第55話/99話 「示す 正しく才能を」
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いつもアキの家で見るアニメの話題が出たのは、大人が完全に温まってきた頃だった。
「そういえば、シオリとあんたのアキが、銀英伝見てるって聞いたときは、驚いたわ。あんたの日本語教材なんですって? リーニャ、誰好きなのよ」
「私ですか? ビュコックでス。滅びゆく者の美学がたまりませン」
「なんで同盟側なのよ。あんた、自由の無い国じゃない。どっちかって言ったら帝国側でしょうが」
「私は、自由の側でしタ」
「そう? じゃあソビエト無くなって残念ね」
「今の方が自由でス」
「「がっはっはっはっは」」
師匠とリーニャ先生のトークは止まらず、日本酒の瓶が次々に開けられていく。トークと同じくらい飲む速度も止まらない。
リーニャ先生の料理はどれもおいしく、アタシとアキはお腹いっぱいになって、ごろんとしている。座布団を枕に。
大人は本当にすごい。あれだけ騒いでまだ余裕そうだ。
さっきは、ミュージックビデオをかけられるのを知った師匠が、リーニャ先生にモニターに色々流させていた。2人とも、好みが同じらしく、何度も同じ曲を。
アタシは、すごく古い曲ばかりだな、と思ったので「いつのですか。これ。アタシ産まれてないですよ」と言ったところ、師匠に「300年前の曲吹く人間が、30年前の曲にガタガタ言うんじゃないわよ」と叱られた。「でも、先生、もう10回も同じ曲ですよ」と、アタシの味方についたアキは、「何百回も同じ曲吹く我々が、たかが10回に文句言ってはいけまセン」とノックアウトされている。大人コンビの方がアタシたちより強い。
その前は、2人でロシアの歌をいろいろ歌っていた。『カチューシャ』はアタシも知っている曲なのに、師匠とリーニャ先生は、日本語でも英語でもない歌詞で歌っていた。よっぱらっていても、外国語ができるなんて、大人はすごい。まあ、英語も詳しくないアタシだけど。
「……アタシは、ロイエンタールです……」
座布団に横になったまま、知っている話題が出たので、混ざりたくて、呟いてみる。
ちなみにアキの方からは寝息が聞こえる。
「あら、シオリ、起きてたの。男の趣味も悪いのね。……そろそろお開きにしましょうか」
「……帰るんですか?」
「何バカ言ってんの。飲酒運転で捕まるじゃない。ここはソビエトじゃないのよ」
「さすがです、ソビエトでは、お酒飲んだまま、車に乗っても大丈夫でしたヨ」
「捕まらなくても、危ないじゃない」
「動く車はないかラ、平気でス」
「「ぎゃははははははは」」
何が面白いのかよくわからないが、ずっと2人はテンションが高い。
「じゃなくて、リーニャがベッド1つ貸してくれるんだって」
よいしょ、立てる?、と師匠がアタシの腕を持って抱き起す。
大丈夫です、と返し、眠い身体を起こす。でも眠い。
今日はこのままリーニャ先生の家に泊まるらしい。
「マユコ、今日は子供たち同士で一緒に寝かせて、大人同士で寝ませんカ」
「ダメよ。師匠と弟子でワンセット。あんたの生徒に、シオリが『ラスプーチン』されたらどうするの」
「大丈夫でス。アキタカ、ラスプーチンに負けてませン」
「ますます駄目じゃないの。アタシのかわいいバカ弟子が壊されるわ」
ちなみに、ラスプーチンはミュージックビデオの1つで連呼されていた名前だ。上半身裸のアフロな男がダンスしていた。「あんたの国、めっちゃ馬鹿にされてるわよ」と愉快そうに笑う師匠に、「この人いないとソビエトなかっタ」とリーニャ先生は返していた。
大人はよくわからない。
手を引かれながら、廊下を歩く。足元がふわふわする。壁の影がゆらいで、少しだけ現実味が薄い。 リーニャ先生が、廊下の一番奥のドアを開けると、暗い室内に廊下の光が差し込む。大きなベッドがひとつ、影だけ見える。
「それじゃあ、師匠と弟子でこの部屋使わせてもらうわ」
師匠がそんなことを言い、アタシのズボンに手をかける。
「自分で出来ますよ。ガキじゃない」
「はいはい」
さっぱりアタシの言うことを聞かない師匠が、あっさりアタシのズボンを下ろし、そのまま、ぽいっとどこかにやる。起きたときどうするんだ。
リーニャ先生がドアを開けたまま待っている。
掛布団をはがしたベッドの上に、ひょい、と師匠に投げられる。
「じゃあ、アキタカは、私がベッドに運んでおきまス。おやすみなさイ~」
楽しそうに言う、そんな台詞とともにドアが閉まる。
「ちょ……暗いじゃない。まあいいわ」
ガサガサ、バサバサ、カチャカチャ、と。
ふわっと、布団が開いて、そのまま師匠が入ってきた。
アタシに抱きついてくる。
「さむっ、師匠冷たいですよ、やめてください」
「うっさいわね、すぐあったかくなるわよ、おやすみなさ~い」
師匠はそう言って眠りにつく。
吐きつけられる息が……ものすごく酒臭い。
「くさい……」
アタシが耐性があるのは、騒音だけだ。
においはすごく気になる。
こんな酒臭い中で眠れるわけが。
酒……臭……眠れ……zzz
〇
「へくちっ」
自分のくしゃみで目を覚ます。
暗い。
アタシの体は、いつも勝手に4時30分に起きる。
……ここは。
……そうだ、昨日はクリスマス会。リーニャ先生の家で、そのまま寝たんだ。
ママに泊まるって言ってないな。行先は言ってあるし、師匠が挨拶しているから平気だと思うけど。
少しずつ思考する。生臭い物体がアタシに絡みついている。師匠だ。
体温を感じるが、師匠が掛布団をどっかに飛ばしてしまったのか、無い。
寒い。
師匠を振りほどく。うう~~ん、とか言っている。臭い空気をまとった酔っ払いが。
ベッドの周りを手探りで探る。掛布団はどこだ。
……あった。ベッドに戻る。
ホテルの時と違って、師匠が起きる気配はない。
どうせ今日は走れないし、この人が起きるまでは帰れない。寝てしまおう。
もう一度、アタシは分厚い掛布団を上からかけて寝てしまうことにした。
酔っ払いと一緒に。
……アキも、さすがに今日は走らないだろう。……多分。
〇
「洗い物、これで全部?」
「うん。アンタ、手際良いね……」
起き出して、昨日滅茶苦茶になった宴会場の片づけを。
……しようとしたところ、止められた。
「なぜか、ガラスがいっぱい散らばってるんでス。危ないでス」
「おかしいわね、ここソビエトじゃないのに。……泥棒でも入ったのかしら……」
「こっちは任せて、アキタカと食器の片づけお願いします。油取れないのあったら置いといてくださイ」
「頭痛いわ……飲み過ぎたかしら」
「ウオッカを飲むと頭痛取れまスヨ」
……。
……ダメな大人たちだ。
そんなわけで、アタシとアキは台所で食器を洗っている。
まあ手際よくきゅっきゅと食器をきれいにしていくアキの傍で、アタシは洗い物カゴに物を入れていくだけなのだが。
コイツ、マジで何でもできるな。
……別に、アタシだって洗い物くらい出来る。家での手伝いでしたことは……あんまりないなあ。まあやらないだけだ。
……なんだか、言い訳まで師匠に似てきたな。
と、師匠が台所の入り口から声をかけてきた。
「終わったぁ? 帰るわよ」
〇
「あれ、これって――」
帰ろうとした玄関。
靴箱の上に置いてあったもの。
昨日の訪問時は、アキのテンションの高さに呑み込まれて気づかなかった。
金色の、アキのトランペットより少しだけ白みがかった金色の、大きなカップ。
大きさにして、アタシの家の炊飯器くらい。高さにして、アタシのおへそから喉くらいのカップ。
数本のリボンがかかっている。多分、祝賀用の杯。
木製の台座に、これまた金のプレート。『全日本楽器コンクール トランペットの部』。
「――『全楽』の優勝トロフィー?」
アタシと師匠を見送りに来ていた、アキとリーニャ先生に訊く。
「うん。そうなんだ。うちに置いても、誰も見ないからさ。母さんには見せたけど、あんまり楽器のことは知らないし。先生の家に飾ってるんだよ」
全国何千人ものトランペッターの子供が夢見て、自分の家に飾りたいもの。
「リボンとかあるんだ?」
「歴代優勝者の名前を書いて、毎年つけるのよ。『全楽』は新しい大会だから、こうして伝統にしたいんでしょ」
伝統なんてのは作るもんじゃないってのに、――師匠はそんな風に言う。
「返還制だから、来年返さないといけないんだけどね。かわりに小さいレプリカがもらえるんだよ」
レプリカをもらったうえで、今年もこれを持ち帰ってきた天才が目の前にいる。
「――持ってみる?」
そう続けたアキに、いわれるがまま、アタシの手は下駄箱の上のカップに伸び、――止まる。
「ごめん。触らない。触れない」
別に優勝杯に怖気たわけじゃない。
カップに敬意を表したわけでもない。
近くでこれを見たせいか、胸の奥でアタシの闘志が燃え上がる。
これをもってきた少年は、来年ジュニアを卒業して、一般の部に参加するという。プロを目指して。
アタシは、今年まだ本選に出ただけだ。何も成し遂げていない。せめて、これと同じ、――フルート部門の優勝杯を手に入れて、それであくまで形の上では、やっと去年と今年のアキと対等だ。
触ったら、負けている気がする。まだ、今のアタシは勝ちの途中。
「――-来年、自分で取る」
アタシは、決意を込めてそう言った。
「そっか。うん、がんばろうね」
アキは、笑って、いつもの、感情が分かりづらい顔でそれだけ言った。
「来年の本選は、フルート部門は、あたしの地元よ。あんたが錦を飾ってくれるならうれしいわ」
師匠が、そんな風に言う。
全楽の本選会場は、毎年各都道府県で持ち回りだ。
それを受けたリーニャ先生が、少しうれしさと期待を込めた声でこう言った。
「もしかして、私とマユコが初めて会った、あのホールですカ?」
「そうよ。会場が一緒なだけで、多分大ホールと小ホールで違うんでしょうけど」
「素晴らしい街でしたタ。とても美しイ。ステーキとってもおいしいでス。男の人の靴底みたいな大きさで、厚さなのに、とっても柔らかい」
「優勝したら、世界一うまいステーキ食わせてやるわ。大きさならソビエトの物には負けるでしょうけど」
「あれは、硬さも靴底でース」
「「がははははははははは」」
師匠とリーニャ先生が会った場所。
師匠の故郷。
美しい街。
……ステーキ、……ステーキはアタシは食べたことが無い。
でもすごく楽しみだ。今からとても楽しみだ。
「お、いい目になってきたじゃない」
闘志を燃やしながら、頬がほころぶアタシを見て、師匠がそんな風に言う。
と、リーニャ先生が
「シオリさん、昨日、色々言ってしまいましタ。不安になることもあるはずでス。それでも、覚えておいてくださイ。私、いつもアキに言ってまス。正しく、才能を世界に示してください。それで世界の方から、きっとあなたに応えてくれまス」
アキと同じ笑顔でそう言った。
もしかしてこの笑顔は、正しくあろう、目の前の人の目に恥じずに、そういう微笑みなのかもしれない。
「正しく、才能を、示す……」
「そうです。それで未来は明るいでス」
「ま、未来のあんたたちの姿は、今のあたしとリーニャ、酔っ払い2人の姿だけどね~~」
「それを言ってはいけませン」
笑い声が玄関に響く。
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ガチャリ。
さよなら、サヨナラ、と言い合い、ドアが閉じる。
外はピンと張りつめた冷気だった。
「師匠、今日は日曜日です。昨日はほとんどできませんでしたが、レッスン、お願いします」
冷たい空気に負けないように。フルートのピッチを下げるそれに負けないように。
アタシの気持ちはすでに熱い。
「……頭痛いから、あたし今日は吹かないわよ。見本見せられないわ」
「別に、それでもいいですよ。絶対行きましょうね、師匠の故郷」
ソビエトの料理、音楽への姿勢、極北の村、プロを目指す友、ころがる一升瓶と割れたガラス。
アタシはきっと、この夜のことを忘れない。
〇
第55話/99話 「示す 正しく才能を」 終




