第51話/99話 「知る これが世界の広さだと」②
〇
「あ! いたいた! シオリ~~!!」
師匠と、じゃれついていると、カヤが手を挙げながら、1人でやってきた。
ドレスの上から、中学生が着るみたいな、紺色のダッフルコートをまとって。かわいい。コートもかわいい。アタシもそんなのが欲しい。
「カヤ! 待ってたよ! いこっか! ……師匠、行ってきます!」
思わず、師匠に呼びかける声まで大きくなるアタシ。
師匠は苦笑いしながら、無言でうなずいた。
近いのに、大きすぎました。ごめんなさい。
カヤと並んで、アタシは、マッハホールを抜け出す。
「シオリちゃん、珍しいの着てるね。サッカーのコーチみたいな。そっちではそういうのが流行ってるの?」
「え……、うん。そうかも」
アタシの着ているのは、紫色にギラギラ光る、膝まで隠せる防水のグラウンドコート。ドレスを隠せそうな丈のものは、家にこれしかなかった。
正月のスーパーの福袋を家族で分けたものである。男子は時々着ている。
〇
カヤが行きたい、と言っていた店の前。
マッハホールの高架を降りて、日曜だから人が多い昼どきの商店街を抜け、少しひらけた場所。
ログハウスっぽく丸太で囲った店の前。
店に入るには、同じく丸太できた階段を上る、その店の前で。
アタシは立ちつくしていた。
チョークで、学校の黒板と同じ素材に、メニューを描いた立て看板。絵描きか漫画家でもいるのかな、というくらい、少ない色でも写真みたいに上手なメニューの絵。
何層にもなったふわふわのパンケーキ、ぶどうが乗ったパフェ、メロンソーダ、ポテト、クリームの塊の乗ったフレンチトースト。
問題は、その立て看板の隣にある、その値段である。
パンケーキ2800円、メロンソーダ700円、フレンチトースト3200円。
アタシにとってのパンケーキは、ママが、『何度もやるのは油もガス代も無駄だし』と、何日分もおやつに出来るように、まとめて作ってきれいにラップで巻いた格安料理。
アタシにとってのフレンチトーストは、廃棄される大量の食パンを、平日にママが持って帰ってきて、土日の昼に牛乳他で漬け込んで、油でカラッとしてくれる、これまた材料費のかからない格安料理。なお、廃棄されてから日にちが経っているほうが、パンがスカスカになってて、衣が良く染みて美味しい。
昨日のカヤの言葉は「パンケーキ」「フレンチトースト」「高い店なんか、子供は入れない」……。
「シオリ、どうしたの? 早く入ろうよ」
カヤが、入口の前の階段を登ったところから、笑いながら呼びかけてくる。入口にもう手がかかりそうだ。
……。
無理だ。
アタシの財布に入っているのは、ママが「美味しい物でも食べてきなさい」とくれた2000円と、アタシのお小遣いを合わせた、3000円に満たないお金。「お土産なんか要らない」とママは言っていたけど、家族にお菓子くらい買えるかな、と貰った時は思っていたくらいの大きなお金。
……ママ、馬鹿だなあ。ここでは、美味しい物は、2000円じゃ食べられないよ。
うちでも作れるフレンチトーストだって、それじゃ食べられないよ……。
アタシは、それでも、と思い直す。
カヤに、気を遣わせてはいけない。
「ご、ごめん、アタシ、生クリーム多いの、苦手で。見ただけでダメだから。……カヤ、悪いけど、1人で入って! 後で会場で待ってるから!」
なるべく自然に、カヤに笑顔で言ったアタシは、少し速足で歩きだす。フルート奏者の鍛えられた表情筋はこんなときのためのものだ。
「シオリ! 待ってよ!」
カヤの声が少し遠くに聞こえる。
歩き出し……、せっかくの友達にも合わせられない自分に惨めさを感じ、……一刻も早く、『カヤの行きたかった店』から離れたくて、アタシは走り出す。
――商店街へ戻り、……人込みの、雑踏の中は走れず、歩く。
あ。
一軒の町中華が目に入った。足を止める。桜山団地にある、桜山飯店と似たような雰囲気だ。
メニューを見る。回鍋肉定食が650円。他も似たような。なんだ、普通の店もあるじゃないか。桜山飯店と変わらない。外食自体が我が家は少ないけれど、桜山飯店は何を食べても美味しい。きっと、ここもそうだろう。
ちょうどいいからここで昼食にしよう。そんなことを考える。
のれんの下の入口、引き戸を開けようとして――
「シオリ!」
息を切らせて、追いかけてきたカヤに腕を掴まれた。
「シオリ、ここ入るの?」
「う、うん」
「じゃあ、私もここにするよ」
「え、さっきのお店は?」
「う~~ん、今度でいいかな。シオリといっしょに食べたくて」
「……うん」
今、アタシはどんな顔をしている?
今から入る町中華は、どちらかと言えば、アタシの縄張り。アタシのテリトリーのように錯覚し、そこにカヤが踏み込んできたような、踏み荒らしにきたような錯覚をアタシは心のどこかで感じていた。
友達なのに。
「ごめんね」
運ばれてきた2つの回鍋肉定食。
カヤはアタシと同じものを頼んだ。
それを食べながら、カヤは謝る。アタシではなくて、カヤが謝る。
「え、なにが?」
「いや、今日、シオリ、手持ちがない日だったのかな?、って。だって、ウソでしょう? さっきの。学校の友達も、そういうときあるからさ」
「う、うん。ごめんね。あ、でも生クリーム苦手なのもほんとで……」
バレてたんだ。
それなのに、追いかけてきてくれたんだ。
カヤ、やさしいなあ……。
「あ。そうなんだ。余計悪いことしちゃったなあ。じゃあさ、ここで食べ終わったら、近くに、甘味処……あんみつ屋さんもあるから行かない? 店の中に水路があってね、注文すると、そこをタライに乗ったあんみつが流れてくるの! 回るお寿司屋さんみたいに。回るお寿司はあんまり美味しくないけど、あんみつ屋さんは美味しいよ」
「あ、師匠が『午後はしっかり聴きなさい』って言ってるから、ちょっと難しいかな……」
カヤの提案に、アタシは応えられない。
きっと、さっきの店と同じような価格帯だろう。なんせ、ただのフレンチトーストがあの値段だ。
なお、アタシは回転寿司も行ったことがない。桜山にないから。
「そう? そんなに時間かからないと思うけどなあ。あ、シオリ、手持ちが少ないから|エンリョしてるでしょ。お金なんていいよ。別に後で返してなんて言わないし。友達じゃん」
……。
……お金なんていいよ。
……オカネナンテイイヨ。
言われた言葉が、アタシにとって衝撃で、頭の中でしばしのリフレインを起こす。
「う、う~ん。やっぱちゃんと、上手い人の聴いて勉強しなきゃ」
……オカネナンテイイヨ。
アタシは気づいた。いや、もうとっくに気づいている。カヤとアタシは違う。『お金なんていいよ』。それは、お金なんかあって当たり前の、そんな環境にある人の言葉だから。払ったお金を、返してもらうことが当然の。払ってもらったとして、返すことができないアタシとは違う。
あるいは、払ったお金が別な場面で、別な形で返ってくることが当然の、共助の、相互扶助の世界にいる人間の、そんな言葉だ。
「へえ~~。やっぱ私と同じ歳なのに、上手い子はちがうなあ。同い年っていえばさぁ、美雲くん、今日トランペットの本選出てるじゃん?」
……オカネナンテイイヨ。
「うん」
ああ、アキは頑張っているかなあ。
「お姉ちゃんがね、今年こそは勝ちたいって、ずっと言ってるの。ずっと練習室にこもりっきりで。お姉ちゃんね、学校では『天才』って言われてるの。半分皮肉交じりで。吹奏楽部に入ってるんだけど、全然居残りとかしないのに、一番上手いからだって、友達が言ってた。家でずっと吹いてるのにねえ……。みんなに、努力を見せてやればいいのに。説得力あるから、友達だってできるでしょ」
「友達いないんだ? ……練習室って、レッスン室みたいな? 楽器の音出す? 防音の?」
アタシは、師匠の家にあるレッスン室を想像する。
「ああ、それそれ。言い方ちがうのかな? うちの練習室、あんまり暖房効かなくてさあ。お姉ちゃん、夜も遅いし、朝は早起きして吹いてるんだけど、この時期は辛いよねえ。入れ替えてもらおうかなあ」
……。
アキは早朝から練習なんて出来ないから、アタシと一緒に走るだけ。
夜でも吹ける場所は、人家離れた、ため池のほとりだけ。この時期は寒くて、我慢できないだろうけど。寒い時期の手は、指は痛い。ホッカイロで温めながらやるしかない。それでも辛い。
アキは努力を隠さない。隠すことができないからだ。友達が多くて人気者だから、誘いは多いけど。放課後に、苦笑されながら「付き合い悪いな、またラッパかよ」と言われてるところは、何度も見ている。まあ、付き合いが悪くても人気者やってるのが凄い所だが。アタシは友達が少ないから誘われない。
アタシたちの家には、カヤが、あって当然みたいに語る『練習室』なんかない。そもそも一軒家のアタシはともかく、アキの家は安いアパートだ。
もうすぐ、冬休みが来る。コミュニティセンターの会議室の予定を見て、空いている日にアタシたちは練習のためにそこへいく。自転車ではきつい、長い坂を登って。雪が降った後は、自転車が使えない坂を登って。
コミュセンが使えなければアタシたちは学校で練習する。入れ替えもクソも、そもそも暖房が無い。カイロの入ったポケットの中は、儚い天国だ。
……『アタシたち』。
友達になったはずのカヤではなく、アキの方を『アタシたち』の側に今、アタシはカウントしている。不思議な感覚だ。ぶちのめしたい相手なのに。
「お姉ちゃん、ストイックって感じでさあ。中学になったら、もうドレスも一緒に作りに行ってくれないの。毎年楽しみにしてたのになあ。制服でいいって。そういえば、シオリのドレスも珍しい形してるよね」
……ママのおさがりだ。
アタシのドレスは、ママのおさがりだ。
「そ、そうかな。で、でもいいね。お父さん、榎本先生、トランぺッターなんでしょ? お父さんがプロで、指導者ならいつでも見てもらえるじゃん」
思わず、アタシは家の話題に耐え切れずに話を変えてしまう。
しかし。
「え~~? お姉ちゃん、パパじゃなくて、別な先生に習ってるんだよねえ。パパじゃ、美雲くんに勝てるくらいのレベルには、してやれないんだって。それにパパ忙しいし」
「そ、そうなんだ」
それじゃ、レッスン料もったいない、という話をアタシはしようとして、慌てて引っ込める。そんなレベルのことを気にするのは、アタシたちだけだ。
カヤやルイさんはそうではない。
「お姉ちゃん、去年中学生になって、『今年こそ1番になりたい』って言ってたからさあ。3歳下の子に負けたら、そりゃあ、ショックだよね。ヴァイオリンも私よりうまいのに、やめちゃうし。最近はラッパばっかり。泣きながら吹いてる時もあるんだよ。あ、シオリはフルート以外、なにかやってるの?」
瞬間。
苦い何かが胃の底から、腸の底から、胸を競りあがってくる。
お前らなんかに、アキが負けるわけがないだろう、言葉にすればそうなるのだろうか。
なんだこれは。アキは目標で、宿敵で、カヤは友達のはずだ。
「え……今はフルートだけ」
今は、なんて言ったけど、アタシが他にやったことがある楽器は、すぐにやめてしまったピアノだけだ。実質無いに等しい。
「へえ~~。そうなんだあ。ヴァイオリンあんまり面白くないから、私もフルートだけにしようかなあ。シオリとまた会いたいし、負けたくないなあ。……ねえ、次はどのコンクール出ようとか考えてるの?」
「……まだ」
アタシは年に1回の『全楽』の参加費だって、ママに出してもらうのに罪悪感がある。
これ以上他のコンクールに出る余裕は我が家にない。
「そっかあ。出るコンクール決まったら教えてね。そうだ、連絡先交換しよ!」
目の前の、アタシの、昨日できたばかりの新しい友達は、どこまでも屈託がなかった。
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「でもシオリ、すごいねえ」
「? なにが?」
店を出て歩き出した所で、カヤは感心したように言う。
「あんな店に、自分から入っていくなんてさ。ワイルド、って感じでかっこよかった」
「……そうかな」
「そうだよ、すごいなあ。私と同じ5年生なのに。大人って感じで。ドキドキしたけど、入って、食べてみたら美味しかったあ」
「……ん」
ああ。
カヤの側の人間は、アタシたちの生きる世界も、選択肢に出来る程度の余裕があって。でも逆はそうではない。
コンクールの予選と本選の控室みたいだな。
アタシはふと、そんなことを思う。
当然ながら、イライラ、ピリピリしてて、がたがた震えるやつもいる予選の控室がアタシたちの側で、余裕と自信に溢れたのが本選控室だ。
……なんでアタシ、予選控室の世界の人間なのに、本選に出てるんだろう。
そんな変な矛盾した疑問を抱えたまま、新しい友達と一緒に、アタシは会場へ戻った。
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