第50話/99話 「出会う 初めての友」①
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12月17日(土)
「はい、いってらっしゃい。お土産とか考えなくていいからね」
「ん。ありがと」
「私も、シオリの応援行きたいなあ……」
「要らない。気をつかわなくていい。でも、言葉だけでも、ありがとう」
全日本楽器コンクール本選前日の朝、師匠の教室まで、ママの片道送迎。
開催地までの旅費と宿泊費は、参加者であるアタシと、指導者である師匠の分は補助が出るらしい。お金持ちの師匠は無くても平気だろうけど。
切符もホテルも師匠が手配してくれた。ホテルは会場近くで、指定された場所があるらしい。
防水リュックにフルートと手入れ道具、ノートと楽譜。1泊分の着替え。パジャマは要らないらしい。
アタシの透明ビニールでできた財布には、少しの小遣いと『せっかく、旅行に行くんだから、美味しい物でも食べてきなさい』とママの2000円。
ドレスと靴は師匠が持ってくれる。
ママの夜なべで仕立て直されたおさがりのドレス。師匠は大会の後、帰る車内で「もしかして、そのドレス、ご母堂の?」と訊いてきた。肯定したところ、「……ぼろきれとか言っちゃって……、悪かったわ……ごめんなさい」とやけにしょんぼりした様子で謝っていた。「ぷんぷん、許しません」とアタシが、半分芝居がかっていったところ、クリーニング代を師匠が出してくれたので、ほぼ新品みたいなもんである。
午前は練習。午後で移動。ホテルでご飯、らしい。
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「忘れ物ないでしょうね。ホテルに行く前に、会場の下見するわよ。あんた、知らない場所だと死んじゃうんでしょ」
大きな駅を出たところで師匠はそんな風に言う。
着いた駅は、ペデストリアンデッキがあって、地元の大きな駅と雰囲気がよく似ていた。地元と言うほど地元じゃないが、まあ同じ市内の。
「む。死にませんよ。アタシをなんだと思ってるんですか。……でも、見ておきたいです」
「はいはい。歩いて行けるから着いてらっしゃい」
歩き出した外は、桜山よりは暖かいけど、まあ寒い。ビルや建物はきれいなのに、空気もあまりきれいじゃない。
それでも、膝まで隠せる防水のグラウンドコートを着てきたから平気だ。
近所のスーパーで正月に出していた、衣類の福袋のやつで、ギラギラ光る紫が趣味悪いけれど、裏にふかふかする毛がついていて、あったかい。
明日は、ホテルからドレスで会場まで移動して、そのままドレスで帰るから、丈の長い外套でないといけないらしい。師匠に、「トイレとかで着替えちゃだめですか?」と聞いたところ、「あんたたちだけがいる場所じゃないんだから、着替えで使ったら迷惑でしょうが」と叱られた。
「ここ、夏になると毎日、光化学スモッグ注意報よ。楽器吹くなら外歩きたくないわ」
師匠は、バカにするように、半分独り言のように言う。
よく分からないけれど、空気が汚いという意味らしい。
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今年の本選会場『マッハホール』は今まで行ったどの会場よりも大きく、新しく見えた。
「ここ、ピアノの形してて、かわいいわよ。後で上から見ましょうね」
師匠がそんな風に言う。
そういえば、文化ホールも「スピーカーの形でかわいい」とか言ってたっけ。アタシはピアノもスピーカーも、かわいいと思ったことは無い。師匠の感性はアタシとは違う。
文化ホールのガラスの入口と雰囲気は似ているけれど、高架のデッキからそのまま入れる入口。道路から入る文化ホールより少し洗練されている気がする。
師匠が、受付らしいカウンターで「明日のコンクールの参加者です」と言ったところ、電話でどこかへ連絡して、職員さんがやってきた。明日使う場所を案内してくれるそうだ。
控室、楽屋、通路から舞台袖、舞台のあるホール、反対の舞台袖、そこから抜ける廊下。
演奏する予定のホールは小さかった。予選で使った文化センターの小ホールより小さい。なんだ。こんなもんか。
「あんたの明日吹く、この会場は小ホールなの。ここの大ホールはすごく大きいわ。去年トランペットの本選聞きに行った、県民会館の大ホールより大きいわよ。で、この建物はその大ホールがメインで、会議室も複数あるから、外から見ると大きく見えるわけ」
アタシの、こんなもんか、の気持ちを察してか、師匠がそんな風に言う。顔に出てしまっていただろうか。
アタシは説明する師匠を見る。
「なんで、分かるんだって思ってるでしょう。あんた、すぐ不満が顔に出るからよ。不満だけじゃないけどね」
「う~~……。でも、フルートがひびかせやすそうで良い会場ですね」
師匠はなんでもお見通しだ。
「せっかくの本選なんだから、大ホール使わせてくれればいいんだけどね。まあでも、あんたなら、大ホールで吹く日もいつかきっと来るわよ」
「そうですかねぇ」
師匠もついにボケたらしい。
『全日本楽器コンクール』の本選会場は、毎年、各都道府県で持ち回り。今年、この会場を使ったなら、来年もし本選に出られたとしても、別の会場だろう。
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会場の下見は終わり。駅に戻り、すごく広い通路を反対側へ。
会場と反対側の駅の出口を出る。暗くなった道を通り、ホテルに着く。ホテルの入口は2階で、1階と半分地下は駐車場らしい。ちらっと見えた、ホテルの駐車場は凄く広かった。
ホテルのロビーも広い。入口から入ったところ、右手奥に見えるカウンターがすごく遠くに感じる。25メートルのプールをそのまま入れても入りそうだ。カウンターの前に、これまた横幅の広い大きな階段があるから、そうではないだろうけど。
師匠がカウンターで受付をしている間、アタシは待つ。受付の人に「名前を」と言われて、自分で書こうとしたけれど、それは大人の役割らしい。
天井にある大きなシャンデリアを見上げる。キラキラの豪華なそれは落としたら高くつきそうだ。
同じ場所にいくつもある、これまた広いエレベーターに乗り、部屋に行く。大きなホテルは、エレベーターも昇るのが速くて、なのにふわっと止まる。
大砲の弾でも防げそうな重い金属製の扉を開けた、その先の部屋は、仮に1台でも、アタシと師匠が一緒に眠れそうなベッドが2台。
「タバコくさい部屋想像してたけど、臭い無くて助かったわ。禁煙部屋でも、こういう安物のホテルだと、タバコの臭いすることあるからね」
……ものすごく高いホテルに見えるけど。
師匠の感性はやはり一味違う。
「あ、師匠、窓のカーテン開けていいですか?」
「開けたきゃ開ければ。腐った街しか見えないわよ」
「え~~」
師匠のそんなボヤキをはねのけ、カーテンを開ける。
――アタシのいるのは、すごく高い位置にある部屋だった。20階くらいだろうか?
来るときに使った駅が、下の方に見える。
四角い形のビルが下にいくつも見える。今いる場所より高いビルも見える。ビルに大きな四角い看板も見える。すっかり外は暗いけど、ビルの明かりがいっぱいあるから、街が照らされて明るい。
「相変わらずね。働くだけの街って感じ」
アタシの後ろまで来た師匠がそんなことを言う。
「あ、師匠、高いビルは同じような感じですけど、下の方はいろんな色がありますよ! お店が一杯ありそうでいいですね」
「ふん、あんた、ああいうところ近づくんじゃないわよ。貧乏人のガキなんか食い物にされて終わりだからね」
アタシと師匠の感性はやっぱり違う。
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夕食のメインは、我が家でも時々食卓に上がるハンバーグとシチュー。ただしハンバーグの大きさは3倍くらいあるし、脂の量が全然違う。つなぎが上等なのか、ぼろぼろ崩れたりしないので、スプーンでは上手く取れなくて、ナイフで切らないと食べづらい。
「こら、食器カチャカチャいわせないで! マナーを知らないの!?」
「知ってますよ……。勉強してきたし……。でも切りづらくて……」
アタシだって、洋食の食器は持ち上げちゃダメ、とか、置いてある食器は外側から使う、とかそういうのは知識として知っている。恥をかかないようにいろいろ聞いてきたし。
でも実際は、やってみるとなかなかうまく上手くいかなくて、テンパってしまう。
うまくやれたのは、一番最初に出てきた、じゃがいもの冷製スープだけだ。
あれも美味しかった。
パンはお代わり自由と聞いて、どんどん頼もうとしたら、怖い顔した師匠に「1回だけにしておきなさい」と止められた。いつも食べるパンより柔らかくて、バターの味がして、ずっと美味しいのに。
「師匠、このシチューすごいです! 肉がホロホロで! 大きくって! それに、白くない、ハヤシライスみたいな色のシチューは初めて食べました!」
「……いつか、本物のシチューを食べさせてあげるわ」
……師匠にとってはこれも偽物らしい。
それにしても、師匠は凄い。
まったく食器の音を立てないし、背筋がピンと伸びたまま、よどみなく上品に洗練された所作で、切り分けた料理を口に運ぶ。
……いつもコンビニ弁当とカップ麺ばかり食べている人なのに。
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「お腹いっぱいです。最高です」
「……マナーもそのうち叩き込むわ」
「ちゃんといろいろ聞いてきたんですけど。……何回か経験すれば大丈夫ですよ」
「……そうは思えない」
疲れた顔をしている師匠。アタシの育ちの悪さで迷惑をかけては大変なので、もう少し、ちゃんと勉強しておこう。
師匠と一緒に、食堂を出て、部屋へ戻ろうとして。
「あれ?」
アタシを見るきょとんとした顔に声を掛けられる。かけられたというか、独り言がこちらへ向かって発せられたというか。
アタシよりほんの少し背の低い女の子がすぐそこにいた。かわいい。
肩ぐらいの2つ縛りの髪。去年の冬のアタシと同じくらいの長さ。くせっ毛でもじゃもじゃしてたアタシと一緒にすると怒られそうな、きれいな直毛だけど。
たれ目で、大きな目。キラキラしてやけに印象的な、曇りのない目。
見覚えがあるような、ないような。
着ている物は、ワンピースじゃないのに、上下揃った黒のブラウスにスカート。ドレスと違ってシンプルだけど。胸から、一番下まで小さな白っぽいフリルのついた上着。そこからつながるように、ただし、変則的な模様でスカートの端までフリル。名札の安全ピンなんか通したら、1発で穴が開きそうな――今、アタシが着てるトレーナーみたいに――細い繊維の生地。靴下は絶対アタシがはかないような、サイドに丸い飾りのついたやつ。それに、アタシがステージで履くみたいな、金具で留める靴。
……なにこの、良い所の、かわいいお嬢様。
思い出せそうで思い出せないでいると、
「あなた……ひょっとして、美雲くんの妹さん?」
薄く溶いた水飴みたいな、甘ったるい声で、その子はそんなことを言った。
「はぁ?」
なんだコイツ、アキの関係者か? 思わぬ場所で、その名前を出され、瞬時に臨戦態勢に入るアタシの返事に、少しだけとげが含まれる。
「うわあ、ごめんなさい。怒らないでください。人違いでしたか」
めちゃくちゃ慌てた顔で、その子は両手をひらひらとさせる。焦っていても、声がなんだか、シャボン玉が跳ねるような調子で、危機感がない。
しまった。怒ってるんじゃないのに。つい反射的に。
「あ、いや、その……」
なだめようと、誤解を解こうと、アタシもついつい焦る。
悪い事をしていないのに、罪悪感が顔を出す。
「あなた、榎本先生のところのお嬢さんよね?」
横から師匠がそんなことを言う。
エノモト先生。
……誰だっけ。全力でアタシは記憶を探る。
……ああ。
「……思い出した。去年、かっこいいオッサンといっしょにいた子。お姉ちゃんいるよね?……いますよね?」
アキの全国大会。
優勝したアキに、挨拶しにきた、かっこいいオッサン。プロのトランぺッターってアキが言ってた、身なりの良い人。
トランペットを吹くらしい、女優さんみたいな顔したセーラー服の中学生の娘。「おめでとう」と言って、アキと握手していた子。握手した後、動けなくなっていた子。アタシがアキにいつも心の中で向ける視線と同じ、嫉妬と羨望と憧憬と、その他いろいろな物が混ざった……負け犬の目でアキを見ていた子。
この子、一緒にいた妹の方だ。
目が全然違うから分からなかったけど、顔は似ている。……気がする。
「あ、そうです。そうです~~! 良かったぁ。人違いじゃなかったぁ」
「……人違いじゃないけど、違います!」
なんかムカつくな、コイツ。
……アキの妹と言われたせいなのか、アタシの心はザワつく。
どう話して良いか分からず、アタシは師匠を見上げる。
師匠は、少しの逡巡を見せた後、迷いながらこう言った。
「ロビーでも行って、じっくり誤解を解いてきなさい。あたしは部屋に戻ってるわ」
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