表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

73/134

第48話/99話 「崩れ落ちる その背」②

 〇

 

 ホールから人がだいぶ減った。

 師匠はまだ泣いている。

 もう号泣はしていないが、膝をついたまま、めそめそと。

 さっき、師匠が持ってくれていた、アタシのリュックにハンカチが入っていたのを思い出し、それを差し出した。

 「師匠、師匠、ハンカチです」と言って手渡したら、師匠は「ありがとう。優しいわね……」と言い、そのまま鼻をかんだ。

 ハンカチではなく、近くにあった、アタシのドレスのスカートで。

 さっき、一瞬「ぼろきれみたいなドレス」って言ってたし、区別がつかないのかもしれない。

 ……そりゃあ、師匠が朝見せてくれたみたいな高級品のドレスではないけれど、ぼろきれはひどい。ママの大事なドレスなのに。

 だからアタシのドレスのスカートには、師匠の体液と崩れたお化粧がべったりとついている。

 


「あ、いたいた! チョウチョせんぱ~~い!」

 

 ペンシルスカートにジャケットの、大人にしては少し小柄な、ショートカットの女の人が、大声を出しながら、こちらに走ってやってきた。

 その人はこちらに走りよると、師匠に話しかけた。

 

「先輩、先輩」


「……あによ、今()いところなのに。……って、わっしぃ? 何やってんのよ、こんなとこで」

 

 ゆっくりと顔をあげた師匠は、超不機嫌な声でそう言った。

 今いいところって、結構時間たってるんだけどな……。心の中でそんなツッコミを入れる。

 

「うわ、……ブッサ。ホラー映画っスか。顔見ない方が誰だかわかるっスよ。いや、私、今日は大会のお手伝いっス」

 

 師匠の顔は、化粧がドロドロに崩れて、汚い涙と鼻水と(よだれ)でぐちゃぐちゃになっている。

 

「ふうん。あんたらしいわね。昔と同じで。おエラいさんに()び売って。どうせボランティアなんでしょ」

 

「悪かったっスね。先輩みたいな天才じゃないんで、生き方これしかないんスよ」

 

「あんたが言う天才って、良い意味じゃないでしょう」

 

 言葉は険悪だが、別に悪い雰囲気ではない。

 と、師匠はこちらを見て、

 

「大学の後輩の鷲足(わしあし)

 

 と紹介してくれた。

 ども、と言われたので、ども、と返す。

 

「で、何よ。あたしのいい気分を邪魔してくれたからには、なんか用があるんでしょ? つまんない用事だったら殺すわよ」

 

 いい気分って、師匠、泣いてただけじゃないですか。

 口に出すとアタシまで殺されそうなので言わない。

 師匠は、泣いてるのをからかわれると、本気で怒りそうなタイプだ。

 

「ああ、そうそう。先輩の生徒、どこにいるんスか?」

 

「ここにいるじゃないの」

 

 師匠は、アタシを(あご)で示す。

 

「いや、こんな山猿みたいな子じゃなくて」

 

 ……山猿とはなんだ、山猿とは。

 多少日焼けしているだけじゃないか。

 ドレスだって着ているのに。汚れてるけど。アンタの先輩のせいで。

 鷲足さんは、続ける。

 

「今日の大会の優勝者の方っスよ。初鳥さんっていう。表彰式の時間なのにこなくて。申し込みの指導者欄に先輩の名前があったから、知り合いの私が探しに来たんス」

 

 ……あの。

 師匠は、立ち上がると、アタシの後ろに立ち、肩を支えてこう言った。

 

「だからこの子よ。初鳥シオリで間違いないんでしょ?」

 

「え、え……?」

 

「すみません、初鳥シオリはアタシです……」

 

 なぜかアタシは謝ってしまう。

 悪いことしたわけでもないんだけど。

 

「え、ほんとに??? ごめんなさい、裏方だったから、ステージ見てなくて……。でも……。え……? ええ……?」

 

 鷲足さんは、少しバツの悪そうな顔をして、アタシと師匠を見比べる。

 師匠は、アタシの肩を支える手に、少し力を入れると叫んだ。

 

「この子が、初鳥シオリ! 頑張り屋さんで! 今日の優勝者で! あたしの、たった1人の、自慢のバカ弟子! さっさとあんたも(たた)えなさいよ!」

 

 体液と崩れたお化粧でドロドロの顔で、吠えるように。

 

「お、おめでとうございます……。……あなた、いくつ?」

 

 師匠の剣幕(けんまく)に押されたのか、困惑するようにアタシに訊く鷲足さん。

 

「11歳です」

 

「へえ~~。天才の弟子は、やっぱり天才なんスねえ……」

 

「何言ってんの。この子の才能なんて、あたしの100分の1よ。全部、この子の努力と根性がやったの」

 

 師匠が、褒めてくれるので、なんだかうれしい。

 やっぱり、泣いてる師匠よりも、こっちの強気なかっこいい師匠の方がいい。

 顔とかはぐちゃぐちゃだけど。

 

「……先輩の100分の1でも才能が有ったら、それはやっぱり天才っスよ」

 

 ぼそっと、鷲足さんは、そんな風に言った。


 〇

 

 表彰式。

 経験は無いけれど、何をやるかは知っている。

 鷲足さんに、フルートを吹いたステージへ、退場した舞台袖の方から案内される。

 

「もう他の二人は来てるから、並んでる真ん中へ、お願いします」

 

「はい」

 

 応えて、暗い袖から、輝くステージへ出る。

 照明は、相変(あいか)わらず熱い。

 アタシが出た舞台袖と反対側の方に、黒いドレスの背の高い女の子と、それよりは背の低いセーラー服の中学生が間をあけて立っている。

 表彰台とかは無いらしい。

 待たせて申し訳ないし、急ぎたいけれど、ステージは急ぐと滑る。

 慎重に、歩いて、真ん中へ。

 と、セーラー服の子と、目が合う。

 待たせてごめんなさい、と思うが、声を出してはいけない雰囲気だった。アタシは、照れ隠しに、目が合ったまま、「へら……」と笑う。

 と。

 その子は、目を見開いて、なんだか少し、顔をゆがませた。唇を噛み締め、アタシから目を逸らす。顔をほんの少し逸らす。

 そうか、今日の勝者はアタシだけ。表情をどう変えても、受け取り方次第で相手を傷つける。

 アタシは極力表情を変えてはいけないことを学んだ。

 

 

 えらそうな背広のオッサンたちが、何人かステージに上がってきた。

 黒いドレスの女の子が、名前を呼ばれて前に出る。

「表彰状、第三位、――――」

 日本語のはずなのだが、聞きなれない単語と、その並びで、何か呪文(じゅもん)のように聞こえる言葉が続く。

 おめでとう、と言われながら、くるっと回された賞状を受け取り、礼をして、折れないように半分丸めて片手に持って、回れ右して列に帰ってくる。

 なるほど、ああやればいいんだな。


 次のセーラー服の子が、呼ばれて前に出る。

 

「表彰状、第二位、「ああああああああああ!」

 

 賞状の読み上げがされた瞬間、セーラー服の子は、慟哭(どうこく)して、その場に崩れ落ちた。

 決して大きい声ではないけれど、その叫び声はアタシの脳裏(のうり)に染みついて。

 えらそうなオッサンたちと、係員の女の人が駆け寄って――。

 なだめられて、なんとか立ち上がって、肩を、背中を震わせながら賞状を受け取ったその子は、こちらへ、床までぼたぼた落ちる涙と一緒に帰ってきた。

 そこからは、よく覚えていない。

 呼ばれて、賞状と(たて)を受け取ったはずだけど、気づけば列に戻っていた。

 アタシの隣でしゃくりあげるセーラー服の子から一刻も早く逃げたかった記憶しかない。

 入賞した3人で記念写真も撮ったはずだ。

 アタシと同じくらい鍛えられた表情筋を持つはずの、セーラー服の子は、写真を撮る時もずっと泣いていた。


 〇


「帰りましょうか」

 

「……はい。あ、荷物持ちます」

 

 表彰式を終えたアタシを、廊下で師匠が出迎える。

 師匠の顔は、ぐちゃぐちゃになったお化粧をすっかり落として、きれいになっていた。口紅だけをさしている。

 すっぴんの師匠は、いつもよりなんだかすごく若く見える。

 

「今日はもう人前に出ないし、フルートも吹かないから、コンタクト、トイレで外しちゃおうか。誰もいないし。眼鏡、リュックに入ってるわよね」

 

「わかりました」

 

 アタシのコンタクトはハードタイプ。ソフトタイプよりも目に負担がかかる。らしい。


 〇


 文化ホールの全面ガラスのきれいな入り口。

 出たところで、師匠の足が止まる。

 入り口近くのベンチが目に入る。

 師匠が見ているのはそのベンチ。

 昨年、師匠に、コンクールの重みを聞いた。

 あの時は冷たい雨で。今日は晴れだけど、もう夕方だから、少し冷たい風が吹いている。

 実際に参加したコンクールは、聞いていたとおりで……。

 

「少し、座っていきましょうか。飲み物、何がいい?」

 

「はい。……ココアでお願いします」

 

「あんた、自販機の飲み物、ココアしか知らないんじゃないでしょうね」

 

 ……師匠は、時々失礼だ。

 アタシだって、ちゃんと何があるかくらいはいろいろ見ている。

 自販機の上よりも、その下を覗き込んだ回数の方がはるかに多いけれど。


 〇


「……あったかいですねえ」

 

「はいはい」

 

 ココアの熱は、疲れた体に()みる。

 今日は午後、1回しか吹いていないのになんだか疲れた……。

 師匠は少し、考えると、話し出す。

 少し細めた目。

 

「あんた、絶対後でめんどくさそうだから、先に訊いておくわ」

 

「はい?」

 

「他人の人生、踏みつけた感想はどう?」

 

 ……。

 細めた目の師匠と目が合う。

 ああ、そうか。

 アタシは、来るときの車の中で、師匠に言われた言葉を復唱(ふくしょう)する。

 

「……フルート始めて1年のアタシに、負けるような人生なら、それまでです」

 

 師匠は、この時のために。

 教えてくれたのは、きっと『模範解答(もはんかいとう)』じゃない。きっと、無数にある中の、1つの正解で。多分、そう考えないと、アタシの弱い心がまた痛むから。無数の正解の中で、そう答えるのが一番、アタシの心を守ることになるから。

 師匠は、スゴいけど、なんだか、ズルイ。ズルいと感じるその正体は分からないけど。

 

「そう。……あの子、これから、どうするかしらね」

 

 あの子。表彰式で崩れ落ちた、セーラー服の子を指しているのだろう。

 アタシは、また師匠の言葉を使う。

 

「今日の敗者は、明日も敗者じゃありません。挑戦者です」

 

 教えられたとおりに。

 

「そ。それでいいわ。あんたは今日よくやった」

 

 ふう、と師匠はため息をつき、アタシの目を見て、意地悪そうに微笑んで

 

「ちなみに、今日のあの子が次に……」

 

 と言って、そこで言うのをやめた。

 

「? なんですか」

 

「いえ、良いわ。ごめんなさい」

 

 師匠は、なんだか少しまずいことを言った、というように黙って、手元の缶を見つめる。

 化粧を落とした師匠の顔は若く見えるけど、なんだか(さび)しげで。

 ――アタシは、励ましたくなってしまう。

 師匠のおかげで強くなったアタシを、見せてやりたくなってしまう。

 

「師匠」

 

「ん」

 

 思考を全力で組み立てたアタシは、師匠に呼びかけ、師匠が言いたかったことを想像し、宣言する。

 

「次にあの人が、アタシと同じ大会に出ても、アタシは全力で吹きます。そうするべきで、そうできます。それしかできません。アキに勝つまで、……何かを見せられる音を出せるようになるまで、アタシはずっと負け犬で……挑戦者です」

 

 師匠は、アタシの言葉に驚いたように目を見開くと、少し、鼻でふっと笑った。

 

「ココアをそっちに置きなさい」

 

「? はい」

 

 言われたとおりに、ココアの缶を師匠の反対側のベンチに置く。

 


 ――師匠が、アタシを抱き寄せる。

「優勝、おめでとう」


 崩れ落ちる姿と、抱擁(ほうよう)

 ――それが、アタシの初めてのコンクール。

 

 〇


 第48話/99話 「崩れ落ちる その背」 終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ