第46話/99話 「磨く ほんの少しを」
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おさらい
これは昔の話である。
『全日本楽器コンクール』略して『全楽』
世界に羽ばたく若手奏者の発掘のため、バブルの終わりくらいに金にあかせて企画された、年1回の新鋭の大会。
15歳までのジュニア部門と29歳までの一般部門がある。
1次予選は大体10月中のテープ審査、2次予選は11月中に行われる各県でのホール演奏。本選は各県代表を集めて12月に行われる。
なお、これはフルート部門のスケジュール。楽器によって同じだったり別だったり。隔年だったり3年に1回だったり。
トランペットはフルートとほぼ同じ。
本選の優勝者には文部大臣賞、これはジュニア部門も同じ。
優勝できなくとも、本戦出場は履歴書等に記載出来る入賞歴となる。
……らしい。全て師匠の受け売りである。
アタシにとって、年1の目標。それだけ覚えておけばいい。
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9月14日(水)
「音量が小さくても、高音がすごく安定してるわね。……硬い金具で、岩に刻むみたいだわ」
「ありがとうございます! ……後半、ほめてます?」
「最大級の賛辞よ。息が強くなった証拠ね」
野外活動から帰宅し、師匠の家にレッスンへ。
いつもと違う体験をして、少しだけ疲労を感じる。
メンテナンス――後で聞いたらオーバーホール――から返ってきた、アタシのフルートは、別物とは言わないが、ほんの少しかっちりと精度が上がっているように感じた。アタシは自分のもの以外のフルートを吹いたことがないけれど、グレードを1ランク上げたような上質感を感じる。
師匠がいつも言っている口癖、例えば「速い連符のスラーも、正確に等拍に! 1音1音意識して! 惰性で吹かないで!」……等々も、意味が少しわかる。これなら表現できそうだ。いつも惰性で吹いているつもりはないけれど。
アタシはメンテナンスの技師さんを探してくれた、師匠の人脈に感謝した。
整備された楽器で、レッスンも捗った。冒頭の言葉はその一幕である。
なお、フルートの高音は、音が小さくなるほど難しいので、師匠が褒めてくれたのは、アタシの中ではかなり嬉しい出来事だ。
使い慣れれば、きっとアタシはもっと上手くなる。
――そんな悠長な意識は、レッスン終わりの師匠の言葉でひっくり返る。
「明日、祝日よね。予定はある?」
アタシが首を横に振ったので、師匠は続ける。
「レッスン日じゃないけど、いらっしゃい。午前で『全楽』予選に出すテープ録音、午後は、外へ吹きに行きましょう」
「ええっ、もうテープとっちゃうんですか?」
アタシは多少の驚きと不満を感じる。
使い慣れてない楽器で無茶を言ってくる。いや、同じアタシのフルートではあるんだけど、それにしたって。
それに、期限は1ヶ月以上先のはずだ。
「1次のテープ審査なんか今でも全然通るわ。見合う実力になってる。それに、2次予選までの間に時間があった方が、上達を実感できるはずよ」
「そ、そうですか」
重ねた練習に自信がないわけではない。アタシの常識の範囲内で、やれるだけはやっている。
それでも、自分の実力が今どのくらいかは分からない。
去年の2次予選会場。アタシはどの子がうまいのかも判断がつかなかった。
他の子がアタシより頑張っていたら、……アタシは追いつけない。
「何よ、自信がないの?」
「そういうわけじゃないですけど……」
「慣れない山に泊まって、疲れた体でレッスンに来て、平然と5時間吹ける子が負けるわけないじゃないの」
「……わかりました」
あっさり言う師匠の言葉に、戸惑いながら同意する。
最初の30分くらいは、メンテ上がりのフルートの出来を確かめていて、吹いていないけれど。
平然、でもない。ひっきりなしに飛ぶ師匠の指導にいっぱいいっぱい、へろへろだ。
それでも、師匠がアタシを信じてくれるなら、アタシも信じる。
「午後は近くの森林公園ね。きっと気持ちがいいわよ」
「外、って屋外って意味ですか」
「そうよ。他にあるの?」
「……わかりません。師匠、外好きですよね」
「コンサートホール、広いでしょ? そこより広い場所で吹いていかないと、音なんか通らないわ」
楽器クラブのアンサンブルで実感した。
ステージから見るホール、客席は、客席にいて感じるそれよりずっと大きい。
「分かりました。……でも、明日、曇り時々雨ですよ」
「ふん。あたしが吹くと決めたら、予報が台風だって晴れるわよ」
なお、翌日は、天気予報に反して。
――――朝からどしゃぶりの大雨で。
アタシは師匠に「あんたの気合が足りないからよ」となじられた。
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9月22日(木)
「どう、調子は?」
「悪くない」
授業からまっすぐ帰るその道で、アキが話しかけてくる。
……クラスが違うのに、よく見つける。隠れているつもりはないけれど。
「『全楽』のテープ、もう送った? 」
「先週送った」
「そう。僕も」
「アタシ、師匠に言われたとき、ずいぶん早いなって思ったけど、一般的には違うのかな」
「わかんない。僕は『忘れないうちに録りましょウ』って言われただけだから」
「アンタは、いつとっても心配ないだろ」
……コンクールの話題で少し気持ちに緊張が出たアタシの言葉は、つい、刺々しくなってしまう。
でも事実だ。
なんなら、テープ審査どころか、2次予選もすっ飛ばして、全国本選からでもいいくらいだ。
……こいつがいる限り、今後何年も、同じ県のトランぺッターは、『全楽』の全国本選に出られないのか。
負けを想像できない、絶対の存在の横で、アタシの心は少し陰る。
「そんなことないよ。……今日はどうするの?」
「……コミュセン行こうかと思ってたけど、5時より後も練習したいし、あんたといっしょにため池行く。予報も降水確率0パーだから雨の心配もない。予選前だから、体力作りで泳いでる場合じゃない」
コミュニティセンターの会議室は17時まで。
併設の温水プールはその後も入れるけど、今、少しでも欲しいのは技術の方だ。
夏休みで沢山吹いたのに、吹けば吹くほど足りなさが見える。
「そっか。明日は?」
「それ、聞いてよ! 明日はレッスンない日なんだけど、祝日だから、師匠が朝から見てくれるんだって! マジでうれしいんだけど。へへへ~」
師匠の愛情を自慢しようと、アタシの声のトーンは一段上がる。
アタシは明日も上手くなる。
しかし、アキの答えは、またしてもアタシの期待通りにはならない。
「あ、そうなんだ。僕も明日と明後日、先生の家に泊まるんだ。お互いがんばろうね!」
ぬぬぬ。
リーニャ先生もコイツを可愛がってるんだなあ……。
師に愛されてるのはアタシだけじゃない。
「そ、そっか。じゃあ、とりあえず今日は、ため池ね。アンタの家の前に集合で」
「え、シオリの家の前でいいよ」
「アンタの家からの方が、ため池近いでしょ」
自転車を担いで、アキの家までの途中にある100段余りの石段を降りることも、アタシにとってはそこまで苦でなくなっていた。
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10月14日(金)
「そういえば、ヒロトくんは『全日本楽器コンクール』、出ないの?」
楽器クラブの終わり、アタシは尋ねる。
ヒロトくんは、「映画音楽が好き」と言いながら、どんな曲でも苦も無く弾きこなす。
クラシックでも、ポップスでも、ジャズでも、民謡でも、時々、顧問の小牛田先生が持ってくる謎の曲でも。
アタシは、ヒロトくんのほかには、学校の先生や、帰りの会でオルガンを弾いてくれる音楽係――大体はピアノを習っている子――くらいしか、ピアノを専門で弾く人を知らない。
それでも、ヒロトくんは、素人のアタシが聞く分には、多分一番上手い。
コンクールとか出ないのかな、とアタシは少し疑問だった。
「う~~ん、そのコンクール、多分ピアノの部門は無いんじゃないかな」
ヒロトくんは少し苦笑しながら答える。
「シオリ、ピアノは評価されるコンクールがいっぱいあって、わざわざ、『全楽』みたいに、新設でやるまでもないんだよ」
ヒロトくんの答えを、アキが補足する。
「あ、そ、そうなんだ。『全楽』以外のコンクールは? あんなに楽しそうに弾くんだから、競うのも好きなんでしょ?」
自分の無知を恥じる。
でも、ヒロトくんのピアノの弾き方を見ていると、楽器を本当に好きなのが伝わってきて、きっとどんな場面でも、その楽器の楽しさを見つけてしまうように思える。
コンクールだって、楽しそうにこなすのではないだろうか。
アキと張り合うための道具みたいに、フルートを使っているアタシと違って。
「う~~ん、先生に言われて、何回かは参加したことはあるけどね。あんまり楽しくはなかったなあ。オレには向いてないみたいだ」
「あ、向き、不向きとかもあるんだ」
「シオリちゃんみたいな子が向いてるんだと思うよ。オレはたぶん違う。……シオリちゃんのコンクールの曲、今日も聞かせてもらったけど、1ヶ月でほんの少し上手くなったよね。夏休み明けでも十分だったのに。あのほんの少し、みたいなのが、オレはたぶんダメなんだよ。毎日同じ曲を上手くなるために弾くことはできても、他人と競り合って、ほんの少しの差で、みたいなのはなんか好きになれない」
「ふぅん」
毎日練習しているピアニストは、それでもそんなことを言う。
他人に勝つために、他人に――アタシの場合は主にアキに――認めさせるために楽器をやるんじゃだめなのかな。
ほんの少し、その言葉の重さは、ヒロトくんはアタシより知っていると思う。
毎日やらないと、あの踊るような指捌きはきっとできない。
「あ、そういえば」
アキが思い出したように喋りだし、続ける。
「ヒロトくん、リハーサルで見たけど、学芸会、ピアノ担当なんだよね。ヒロトくんより上手い人なんていないから当然だけど。応援してるからがんばってね」
桜山小学校の学芸会は、1、3、5年生が劇をやり、2、4、6年生が合奏。
6年生の合奏は、大勢のピアニカとリコーダー、少数のアコーディオン、シロフォンとグロッケン。
そして1台のピアノ。
「あ、ありがとう。アキは本当によく見てるなあ。かげになってるから、観客からは見えないと思ってたのに」
そうだと思う。スペースの関係か、ピアノに隠されて、客からヒロトくんの位置は見えない。
それに、一緒に吹いているピアニカとリコーダーの人たちは、誰がピアノか、なんて気にしない。
合奏の、揃った大きな音がメインだから、ピアノは主役ではない。ほとんど伴奏の役割だ。
そのピアノを弾く男の子が、本気を出したらどれだけ上手いかも、誰も知らない。
「入退場で見えるよ。本番は聞けないけど、がんばってね」
学芸会の本番は、保護者や一般の方のためだから、他の学年は見られないし、聞けない。
「うん。……5年生の、あれ、分身のやつ。アキも出てたよね。あれこそすごいよ。ケガとかしないでね」
5年生の今年の劇は『西遊記』。
クライマックスで、主役の孫悟空が分身するのだが、見栄えが良いように、多数の分身役の男子が登場し、ジャンプして宙返り、バク転、バク宙を繰り返す。
運動神経の良い子たちが集められ、スポーツの得意な獅子戸先生が、教え込んでいた。
アキも集められた中にいる。
「うん。心配してくれてありがとう。怪我したらトランペット吹けないからなあ」
「アンタは、トランペットの大会である限り、腕が折れても勝つでしょうよ」
まさか、とアキは笑う。
アタシは、本気でそう思っている。
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11月2日(水)
「シオリ、お帰り。できたわよ」
レッスンから帰宅したアタシを、ママの声と、胸に持った真っ赤なドレスが出迎える。
アタシのコンクール用衣装だ。
さっきまで。レッスンでしごかれてへろへろだったけれど、見ただけで疲れが消えていくような気がする。
「あ、ありがとう。きれい。うれしい」
手に取ってみる。
薄く、少し古びた生地。
物持ちが良いママのおさがりだけれど。
少し前に、ママが紐のメジャーでアタシの体の採寸をして、夜にミシンで何度も何度も直していた。
頭を通す。無い袖を通す。
ママの夜なべの甲斐あって、それはアタシの体にぴったりと合った。
我が家に姿見鏡はない。
令和の世ならいざ知らず、デカい鏡は高く、我が家には縁がない。
アタシは居間の電気をつけ、庭に続く大きな窓のカーテンを開ける。
真ん中に線はあるけれど、外は暗く、ガラスが鏡の役目を果たす。
くるり。
アタシは回った。
スカートが、広がる。
ママ、ありがとう。
〇
第46話/99話 「磨く ほんの少しを」 終




