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第35話/99話 「ぼやける 視界」②

 〇


「で、何をしてるわけ!? これは!」

 

 怒気をはらんだ、という言葉では軽すぎる、怒りを全く隠そうとしない、低い声でユミちゃんは言いながら近寄ってくる。

 

「ユ、ユミ、これは……」

 

「うっさい!! なんでシオリ、泣いてんの? ……それ、シオリのメガネだよね、……さっさとよこせ」

 

 とりつくしまもない、というのはこれか。低くうなるような声でユミちゃんは言う。

 自分で聞いておきながら、うるさい、というのは少しひどい気もする。

 ユミちゃんはミキちゃんが持ったままの眼鏡を奪い取ると、アタシにそれを差し出そうとする。……が、その手は途中で止まる。

 

「……ほら、……大丈夫? うわ、鼻血も出てるじゃない。誰よ、やったの。……チッ」

 

 舌打ちしながら3人を順繰(じゅんぐ)りに睨みつけると、ユミちゃんはこう言った。

 

「はい、ハンカチ、使って。とりあえず、行くよ。何があったかは後で聞くから」

 

 差し出されるハンカチを顔に当てる。

 ユミちゃんのハンカチはいつもきれいな柄がついているから、アタシの血と鼻水で汚すのはなんだか悪い。……洗濯して落ちるのかな、これ。

 アタシの体に手を回しながらユミちゃんは言う。

 力強く優しい声で。

 

「……行ける?……歩ける?」

 

 アタシはうなずく。

 が。

 

「……眼鏡がないと見えない」

 

「その顔じゃつけたくないでしょ。いっしょに歩くから、手、こっち」

 

 言われるがまま、ユミちゃんの体に腕を回す。

 ……なんだか二人三脚みたいだな。そんなことを思う。

 

「さ、いくよ、……どこへだ?」

 

「……教室にランドセルが」

 

「ん」

 

 アタシの脳裏にひらめいた言葉が、そのまま出てきたつぶやきに、答えてユミちゃんは歩き出す。

 そのまま、空き教室を出ようとしたところで。

 

「ね、ねえ。ユミさあ……、なんでそんなやつ、かばってんの?……ひっ」

 

 声をかけたミキちゃんが、なにやら怯えた声を出す。

 

「……お前らみたいなゴミと、シオリをいっしょにすんな」

 

 肩越しにそれを睨んだユミちゃんは、ドスの効いた声でそう言った。

 

「……後悔させてやる」

 

 〇 

 

 渡された眼鏡は、3人の指紋でべたべたになっていた。

 (ゆが)んでいない保証はないけれど、丁寧に拭いて、鼻血が止まるのを待って、帰路へ。

 顔が少し腫れているから保健室へ行くか、とユミちゃんに訊かれたが、別に行ったところで何もないので断った。2月に行ったばかりだし、よく保健室に来る子、と思われるのもカッコ悪い。

 事情はある程度説明したが、ユミちゃんはついてくる。

 ……以前もこんなことあったなあ。ああ、そうだあの時はスズちゃんが。

 

「ユミちゃん、助けてくれてありがと。アタシ、今日は大丈夫だから、心配しなくてもいい。ついてこなくていいよ」

 

「あんた、いつもそう言うじゃん。家まで送ったら帰るから」

 

「ん。……鍵持ってるし、いつだったかみたいに、家に入れないことはないよ」

 

「いいから」

 

 言ってるのに。

 ユミちゃん、アタシの言うこと聞いてくれないよなあ。


 

「……シオリ、委員会どうするの?」

 

「ん……。別に言われたからってゆずる気は無いよ。アキとかどうでもいいけど」

 

「まあ、そうだよね。どうせ最後はじゃんけんとかでしょ。……カズミがさあ、アキのこと好きなら、言いつけちゃえば。3人でアタシを囲んでイジめるやつだよ、って。男子ってそういうの嫌うし、100パーでフラれるよ。あいつら、バカだよね。アキとあんたがどれだけ仲良いかも知らないで」

 

「ヤだよ。言いつけるとかダサいし。大体、言うほどアキとアタシは仲良くない」

 

「あ~……。シオリはそういうよね。……らしい、っていうか」

 

「大体、フラれたって、すぐに次の好きな子作って終わりでしょ、ああいうのは。……子供らしくアイドルにきゃっきゃしとけばいいのに」

 

「……同い年で、アキほどガキっぽくない男子もいないけどね。わかんなくはない」

 

「まあ、そうかも」

 

 ……将来、結婚するわけでもあるまいし、小学生で好きとか言ってどうするんだろう。


 〇

 

 結局、ユミちゃんは家にほど近いところまでついてきた。

 

「上がる? 心配してくれたんでしょ」

 

「いや、いい。帰る」

 

「ん。……ユミちゃんって、もしかして、アタシのこと別に嫌いでもない?」

 

 なんとなくずっと、うっすら嫌われているとそう思っていた。

 冬に、保健室に連行されたのだって、なんとなくアタシにとっては印象が悪い。

 お前はクラスの足を引っ張っているから、こっちにいろとでも言うような。

 だが結果として、アタシは保健室でそのまま休んで、授業には復帰できずに、迎えに来たママに連れられて帰宅している。

 アタシの心情を抜きにすれば、ユミちゃんの行動は、アタシのためになっている気がするのだ。

 

「はあ!?? 嫌いなわけないでしょ。どうしてそうなるの?」

 

 アタシの素朴(そぼく)な、というか、張りつめた心が一瞬油断して出てきた疑問に答えるユミちゃんの声は大きく、少し興奮しているようだった。

 

「や、その、なんとなく、そう思ってた。みんなに優しいけど、アタシのことはあんまり好きじゃないよなあって」

 

「私が優しいのは、シオリにだけだよ」

 

「いや、それは(うそ)でしょ。みんなに優しくなかったら、あんなに友達いっぱいいないよ。今年も学級委員やるんでしょ」

 

「……本当なのに。私はあんたのこと大好きだよ」

 

 そう言って、ユミちゃんはくっくっと意地悪そうに少し笑った。

 その笑い方は、なんとなく、少し照れくさそうで、わざと悪ぶっているようで。

 アタシは少しだけ弱みを見せる気になる。

 

「……ユミちゃん、さっきも言ったけど、助けてくれてありがと。いきなり殴られるし、アタシ、本当は多分、少し怖くて」

 

「ていっ」

 

「ぐえっ」

 

 アタシの言葉の途中で、並んで歩いていたユミちゃんはアタシにそのまま、横向きに体当たりしてきた。

 ユミちゃんの体はアタシより大きいから、質量と勢いでアタシは弾き飛ばされてしまう。(ころ)びはしなかったけど。

 

「……何をする」

 

「元気づけてあげようと思って」

 

「む~~……。やっぱりアタシのこと嫌いでしょ」

 

 むつけるアタシに、ユミちゃんは、あはは、と笑うと、こう言った。

 

「私は、いつもシオリの味方だから、……安心してね」


 〇

 

 ユミちゃんはそのまま、門の前までアタシを送ってくれて、アタシが玄関を開けるのを見ると、手を振り、帰っていった。

 アタシのことを嫌いではないのは、多分本当だ。少しだけ信じる気になった。

 家に入って、ほっと気の抜けたアタシは、そのまま昼食も食べずにベッドに入り、夕方まで眠った。

 腹痛と高熱で、救急車を初体験することになったのは、ママが帰宅してからのことである。


 〇


 第35話/99話 「ぼやける 視界」 終

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