第36話/99話 「落ちる 意識」
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4月5日(火)
「シオリ、先生が顔見たいって。起きられる?」
「ん」
……。
ママの声に返事をしたものの、横を向いたまま体は動かない。
今のアタシがいるのは、普段両親が物置にしている、あまり使わない、畳の狭い部屋。子供部屋にある二段ベッドではなく、畳に敷いた布団に寝かされている。
昨日、帰宅したママに、かすれる声で腹痛を訴えたところ、熱が40℃くらいあるのが発覚し、そのまま救急車を呼ばれたアタシ。
病院での診断結果は、ただの腸炎。
点滴打って、薬をケツから流し込まれて帰宅し、今日も再度病院へ行き、同じことをされている。
完治には1週間くらいかかるらしい。
「ダメかしら」
「……先生って、……マユコ先生?」
「そうよ、でも無理そうね」
「……マユコ先生なら、会いたい」
寝ようとしても高熱と痛みで、昨晩は朝までほとんど寝られなかった。トイレに行ってみたりするが、少し出たり、苦しい痛みがあるのに出そうで出なかったり。
時折、痛みが和らぐのではなく、耐えきれずに何度か意識が落ちて――気絶して、痛みでまた起きる。
体力も気力も削られて、弱気になっているのが自分でわかる。
いつも強気な師匠の顔が見たかった。
「そう? 先生に、待ってて、って言ってみるわ」
「ん」
そう言うと、ママは扉を閉めて行ってしまった。
起きようとしたが、……手足は重い。
金縛りというほどではなく、気合いを入れれば起きられると思うのだが、その気力が今は無い。
……。
……しばらく沈黙の中にいると、扉が開いた。
「はあ~~い、お師匠様が来てあげましたよ。愛しのバカ弟子。……って、死んでる!?」
師匠のテンションはやけに高い。
元々こんなもんだっけ。
「……呼んでません。……死んでません。てか、バカ弟子って言いました?」
息も絶え絶え、というほどではないが、アタシの声は小さい。
「我が弟子って言ったのよ。会いたいって言うから来てあげたのに、ご挨拶じゃないの」
「……頭にひびくんで、大声、……出さないでください」
熱の発生源は腹であるはずなのに、体が熱いからか、頭もずっと痛かった。
師匠はアタシの枕元に座ると、少し小さな声で話し始めた。
「聞いたわよ。ウイルス性の腸炎ですって? 変なもん拾い食いでもしたんじゃないの」
「……してません。あんまり近寄って、伝染っても知りませんよ」
「ウイルスだからって、空気感染するわけでもないでしょうよ。だいたい、体が弱ってなければ、ウイルスがいても、腸炎発症なんてしないわ」
「……そうなんですかね」
「どうせ、なんかあったんでしょ。ストレス溜める性格してるもんね。自分の気持ちも誤魔化してばっかり。いっつも話すこと聞いてると、理不尽にも納得できる理由探してばっかりだわ、あんたは。そんなの無いっていつ気づくのかね」
「……わかりません」
「そういえば、あんたの部屋、漫画、結構置いてるのね。最近のやつばっかりだけど」
「……ほとんど、シュンのです。アタシも読みますけど」
最近はフルートばかりで、漫画を探しにも行っていない。
「そう? あんたの弟くん、結構趣味が良いわ。話合いそう。ちょっと前の名作漫画も読めって言っておきなさい」
「赤塚不二夫とか、ベルばらとかですか。わかりました。師匠もマンガとか読むんですね」
「暇しちゃってね~~。よく見るわよ、アニメも漫画も特撮も。……って、そんなに古いやつじゃなくていいわよ。いつも思うけど、あんた、あたしのことババアだと思ってるわよね」
「……。……ソンナコトナイデスヨ」
ナイデスヨ。
「ほんとかしら。……あんたの机も見たけど、あんた練習日誌なんてつけてるのね。意外だわ、そういうの。……内容は少し間違いもあったから、今度、重点的に修正してあげる」
「……勝手に見ないでください」
「いいじゃないの。見直したわ」
「……ノートの置く場所も決まってるんです。ちゃんと戻しておいてください」
アタシの学習机の上には、レッスン内容を覚えている限り書き写した日誌の他に、お気に入りの|参考書や|問題集、ノート、今ではあまり読まなくなったが、やはり見ると安心するきれいな昆虫の図鑑、そんなものらが本立てに置いてある。
並べる順番はちゃんと決まっているし、時々入れ替えた後も見た目に拘ったりするので、師匠と言えど、あまり他人にいじられたくはない。
「そ。めんどくさい子ね。悪かったわ」
「……師匠、すみません。……明日のレッスン、無理そうです」
「いいわよ、そんなの」
「だって、師匠、『1日休んだら、3日分下手になる。3日休んだら10日分』っていつも言ってるじゃないですか」
「大丈夫よ。あたしは、魔法使いで神様だから。魔法の力で、10日分の遅れなんか1日で取り返させてあげるわ」
便利な魔法もあったものだ。
「……たのしみです。よろしくおねがいします」
「はい、はい。任せときなさい。……土日も無理しないでね。体が駄目な時にやって、変なクセつけられても困るんだから」
「……はい。…………師匠」
「ん」
「……呼んでみただけです」
「嘘つけ。何か言いたいことあるんでしょ。言ってみなさい」
「……。……師匠」
「ん」
「……………………………………………………アタシに、やさしくしてください」
「あたし、やさしくしてるわよ。十分でしょ?」
そうだ。師匠は優しい。
前のピアノの先生と違って、「下手くそ」とか「耳が悪いの? 頭が悪いの?」とか言わないし、「なんで出来ないの?」みたいな嫌な言い方もしない。
どんな技術でも、アタシができるまで、根気よくずっと教えてくれる。
……なんで、変な言葉が口から出てしまったんだろう。
「………………。……………………アタシ、たぶん、がんばってるんです」
かすれた声で、アタシは言う。
「うん」
「…………………………イヤなことばっかり、あるんです」
頑張ろうとしても、障害は次々に。
くじけそうになるアタシがいる。
「うん」
「…………………すみません。……もう、わかりません……グズッ」
鼻をすすり上げる。
言葉にすると涙がにじむ。
「はいはい。すみませんって言うなって言ってるでしょ。少し、弱ってるだけだから、もう休みなさい」
はい……。
――――――、一瞬、――――――意識が落ちた。
目を開けると、師匠はいなかった。
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第36話/99話 「落ちる 意識」 終




