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第32話/99話 「映す 手鏡」

 〇

    1月21日(金)

「今日、合奏どうする? 委員会、当番じゃないよね」

 

 放課後、アキが()いてきた。

 金曜日放課後になるべく放送室を使えるよう、優先的に当番に入れてもらってはいるけれど、当番ではない金曜日も当然存在する。

 当番表に口を挟める、神様仏様、6年生のヨリコ様でも限界はあるのだ。

 

「アタシ、コミュセンで練習しようかなって思ってた。合わせるなら一緒に行く?」

 

「コミュニティセンター?」


 昨年、温水プールを使用するためコミュニティセンターを訪れたアタシは、気づいた。

 コミュニティセンターにはいくつも会議室や娯楽室があり、なんなら子供向けの本や雑誌や漫画も置いているのに、ほとんど利用者がいないのである。

 会議室の貸し出し記録を見ると、土日はいくつかの会議室が使われているようだったが、平日はほぼ無人である。

 アタシがフルートをやっていなかったとしても、本が置いてある部屋は遊びに来たいと思わせる場所だった。

 なんならサトミと行った亀山団地の児童館より、蔵書(ぞうしょ)に関しては充実(じゅうじつ)している。

 コミュニティセンターのある辺りは、昔から人が住んでおり、開発されてから娯楽の提供が(とどこお)っている桜山団地とは雰囲気(ふんいき)が違って、明るい。近くに児童館の施設があるから、子供はそちらへ行くのかも知れない。

 

 アタシはアキにドヤ顔で教える。

 

「それがさ、平日ガラガラで、めっちゃ空いてるのに、フルート吹いても良いですかって聞いたら全然オッケーだって言うの。ちょっと遠くて、坂が辛いけど、雪も今日は無いし、自転車で行こうかなって。吹き終わったらプールも入れるから」 

 

「へえ、そうなんだ。行ってみようかな」

 

 いくら遠くても、寒風(かんぷう)吹きすさぶ、ため池のほとりよりは体にやさしいはずだ。

 

「トランペットも、ちゃんと許可取って、アンタが全力で吹かなきゃ大丈夫でしょ。保証しないけど」

 

「災害みたいに言うなぁ……」

 

「音公害ってのもあるらしいから、アタシたちも気をつけないと。じゃあ、用意出来たらうち来て」

 

「おっけー」


 〇


「喜……怒……哀……へにゃ……喜……怒……哀……へにゃ……喜……怒……哀……へにゃ……」

 

「ねえちゃん、なにしてんの?」

 

 畳に横になり、鏡を見ているアタシに、やってきたシュンが話しかける。

 時刻はもうすぐ20時。アタシにとっては、眠けを我慢している時刻だ。

 すぐにでも寝てしまいたいが、我慢するには理由がある。

 

「これ? 表情筋(ひょうじょうきん)きたえてんのよ。フルート吹くのに大事なの」

 

 感情を顔で作って、順番に鏡に映し、へにゃ……と力を抜く。

 顔も筋肉なので、鍛えることに意味はある。

 

「くち、だけじゃないの? め、とか、かんけいないでしょ」

 

「……目つきが悪いのと、表情がかたいから、師匠がそれも直せって」

 

 アタシが手に持つ、顔より大きい手鏡は、師匠からのプレゼント。

 片手で持てるような持ち手を含め、分厚い木製のふちがついていて、裏には、悪魔召喚にでも使いそうな、趣味の悪いよくわからない模様が彫ってある。

「要らないからあげるわ。それで頑張りなさい。あんたの死んでる表情もなんとかなるでしょ」とのことなので、プレゼントではなく、ていよく不要物を押し付けられただけなのかもしれない。

 

「ああ、ねえちゃん、ふだんのめつき、するどいからね。ぼ~~っとしてると、ぜんぜんちがうかおに、みえるんだけど」

 

「目が悪いから、細めてるだけだと思うんだけど。……メガネしててもそう?」

 

「……たぶん、そう」

 

 シュンが言うならそうなのかもしれない。

 

「ふぅん……」

 

 アタシは表情筋の筋トレを再開する。

 口角のあげ方は少しわかってきたところだ。


「ねえちゃん、アキくんとつきあってないの」

 

 ぶっ! 唐突(とうとつ)過ぎて驚き、噴き出したツバが鏡にかかる。

 慌ててティッシュで拭く。汚い。

 

「付き合ってない! 小学生にそんなのないから! だいたい、アイツ、競争率高いから、仮にアタシが好きでも、アタシのところには来ないっての。めちゃくちゃモテんのよアイツ」

 

 そもそも、1回、家に夕食食べに来ただけだろうが。

 なんなんだ、このマセガキは。

 

「ふぅん。……ねえちゃん、かわいいから、ライバルおおくても、いけるとおもうよ」

 

「ないない。アンタ、女の子なら誰でもかわいいって言うじゃない」

 

「そんなことないよ。……アキくんみたいなおにいちゃん、いたらいいなあ」

 

「何、アタシが姉で不満でもあるの」

 

「そうじゃないけどさ……」

 

「あれが兄とか、アンタ、多分死にたくなるわよ」

 

 四六時中(しろくじちゅう)、あの優等生と比較される人生?

 想像しただけでおぞましい。

 アキが一人っ子で良かったと思う。兄弟がいたら、世界に不幸な子供が増えるところだった。


「そうかなあ。……あ、ママがおふろはいれって。それでよびにきたの」

 

「今日はプール入ったから、お風呂は要らない」

 

「ママが、どうせそういうだろうって、いってたよ。あしたのレッスン、エンソくさい、かみのけだと、せんせいにしつれいだから、ちゃんとはいれって」

 

「シャワーで流してるっての……。……仕方ない、今行く」

 

 別に風呂は嫌いじゃない。好きでもないが。

 風呂の後に髪を乾かすのが面倒なのだ。

 プールの後にも乾かしてきたから、時間が2倍だ。もったいない。

 それでも、プールの後にちゃんと乾かさないと、帰りの道中で体温を奪われて風邪をひくので妥協(だきょう)はできない。

 2つに縛れるほど髪があるのが悪いのか。いっそ短く切ってしまおうか。

 まあ要検討だ。

 風呂に入らなくて良いなら助かるのだが。

 


「プールとか、なにがいいの?」

 

「体力、肺活量(はいかつりょう)が増えるんだって。アンタも行く? 泳ぎくらいアタシが教えるから。どうせヒマしてるんでしょ。悪いことないから。アタシ、週に2回はコミュセン行くつもりだし、もう回数券も買ってもらったよ」

 

 温水プールは1回100円だが、1000円出すと15回分の券が買える。ママに強請(ねだ)って買ってもらったので、アタシの懐は痛んでいないのだが、まあ大事なことである。

 なお、『週に2回は』の決意は半年後、女子にはプールに入れない日があるという事実の前に、『月に10回、……いや9回は』に(もろ)くも訂正されることになる。

 付け加えるなら、プールに入った日は、布団に入った後の、寝付きまでが、信じられないくらい早い。

 次の日、体が重いけれど、夢も見ないで眠れるので、朝の目覚めはとても気分が良い。

 

「……さかをのぼるの、とおくて、たいへんだから、ぼくはいいや」

 

 コミュニティセンターまでの坂は長い。

 小学1年生の足には急でもあるだろう。

 

「そう? 自転車で登るのが大変なら、一緒に歩いてやるのに。……ああ、アンタは友達多いから、付き合いも大変だもんね。まあ気が向いたら言いなさい」

 

 まあ、アタシも途中までしか、自転車を降りずに登れないしな。

 太ももとふくらはぎと、自転車を引っ張り上げる腕に、筋肉がつきそうで、それも少しうれしかった。

 体がたくましくなっていく気がする。ふふふ。


 にやけるアタシ。

 

「……たまに、ねえちゃんがこわくなる」

 

「何言ってんの。アタシより優しい姉なんかそうそういないよ、な~んて……」

 

 ……多分。

 いや、よその姉弟(きょうだい)事情は知らないけど。

 

「……やさしいけどさ」

 

 ボソッとシュンは(つぶや)いた。失礼な奴だ。


 〇


 第32話/99話 「映す 手鏡」 終

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