表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/134

第28話/99話 「契約 アタシたちの」

 〇

 

「じゃあ、質はともかく、今のままじゃ絶対的(ぜったいてき)に練習量が足りないから、レッスンは増やすわよ」

 

 師匠はきっぱりとそう言った。

 アタシの心のケアはお仕舞いらしい。

 

「アタシの自主練を増やすんじゃダメなんですか?」

 

 サボりたいわけではない。

 真っ先に心配なのはレッスン料の問題。

 こんなときでも、アタシの頭は最初に金のことを考える、それを自覚して、少し悲しくなる。いくらママが好きにしろと言ってくれても、家計の限界はある。

 

「何言ってんの。自主練も増やすのよ。その上でレッスン時間を増やすの。レッスン時間で質の高い練習を確保するために指導者がいるワケ。1人じゃどうしたって質の限界はあるからね」

 

 その言葉にいったんは、なるほど、と納得する。お金の問題は解決していないけれど、レベルアップの条件は見えてきた。

 師匠は続ける。

 

「まず、目標だけれども、来年の『全楽』本選出場を目標にしましょう。普通なら、何をアホなこと言ってんだ、となる話だけど、あんたが勝ちたいのは、日本一ラッパが上手い子供なんだから。そのくらいやらないと、相手にされないからね」

 

「来年……」

 

 1ヶ月前に見た、フルートの2次予選会場を思い出す。

 みんなアタシなんか話にならないレベルに上手かった。

 

「そ、来年。本選出るって簡単に言うけど、要するに、県で1番になるってことだからね。参加人数次第で代表2枠あったりするけど、ほとんどの県は1枠しかないんだから」

 

 つまりそれは。

 

「……あと11ヶ月で、ですか」

 

「そ。あと11ヶ月であんたは、先日予選会場で見た、あんたより上手い人たちを全員ぶち抜いて、県で1番になるの。……無理だと思う?」

 

 挑発的(ちょうはつてき)な顔で、師匠はアタシの目を見る。

 答えはもう決まっている。

 

「無理じゃないから、師匠はこの話をしているんですよね」

 

「……物わかりがよくて助かるわ。可愛げはないけど」

 

 師匠は、はんっ、と鼻で笑った。

 なんとなく、素の師匠は、アタシがいらっとくるというか、挑発的(ちょうはつてき)な話し方をする。

 かわいいと言って欲しいわけではないけれど。

 

「具体的にどのくらい増やすんですか?」

 

「今は土日に3時間ずつ。普通に上手くなるなら十分よ。…とりあえず、学校がある日は週に3回にしましょうか。月曜日から金曜日になる間、どうしたって指導者であるアタシの理想の形から、あんたの演奏は、少しずつずれる。水曜にレッスンを入れることで、修正するようにしましょう。……水曜日、来られる?」

 

「放課後の委員会がなければ。あと、雪があると自転車が使いづらいので、少し遅くなります」

 

 アタシの家から、レッスンをする師匠の家までは、全力で()いで自転車で20分あまり。

 ただし快晴時に限る。

 雪が積もったら()けづらい道もあり、その区間は下りて走るか遠回りする、として……1時間くらいだろうか。

 

「オーケー。水曜日、天気があまりにもひどいときは迎えに行くわ。まあ、あんたみたいな貧乏人、多少、泥だらけになっても平気でしょうけど。風邪をひかれても困るからね。あたしの車が家の前になかったらそのまま来なさい。それと、委員会の予定がある日は早めに言いなさい。その週は、火曜か木曜にずらしましょう。どの曜日でも4時間くらいはやれるわ」

 

「……わかりました」

 

 なんか微妙に引っかかる言葉を挟んでくるな、この人。

 

「土曜日は……最近、小学生も、週休2日制っていうのが始まったって聞いたわ。本当かしら?」

 

「あ、はい。今年から、月の2週目と4週目は、土曜日休みです」

 

 何年か後には、全部の土曜日が休みになる、らしい。

 アタシが中学生か高校生になるくらいだろうか。

 

「じゃあ、普通の土曜日は午後の2時に来なさい。そこから5時間レッスンするわ。日曜日と、休みの土曜日は朝9時に来なさい。午後の……そうね、6時くらいまでやりましょうか」

 

「え、1日中、見てもらえるってことですか?」

 

「そ。……少しはビビりなさいよ。あたしが子供の頃、この時間を提示されたら、うんざりして逃げだしてるわよ」


 少し喜んでしまった。アタシのその反応に。

 師匠は、なんだこいつ、と、嫌悪(けんお)すら多少込めた目で見てくる。

 

「……いえ、師匠に見てもらった後は、いつも上手くなった気がするので、長ければ長いほどうれしいです。……でも、他の生徒のレッスンとか、大丈夫なんですか?」

 

 アタシの言葉に、師匠は眉を歪めて、鼻で笑った。

 

「はっ、……実績もない、金持ちのワガママ娘が道楽でやってる、厳しいだけの音楽教室に人なんか来ないわよ。今の生徒はあんただけ」

 

 ふふふ、と自重気味に鼻だけで笑う師匠。

 そういえば、この教室に通っていて、他の生徒を見たことがない。アタシが来てからなのか、それとも以前からなのかは知らないが。

 レッスンで聴かせてくれる師匠のフルートの音はきれいで、一度聴かせれば、この人にフルートを習えば、きっと上達させてくれるだろうと思わせるには十分なものだ。

 何年も研鑽(けんさん)を積んだであろうそれに、教室を開いても生徒が来ないというのはきっとアタシが想像するより悲しいものだろう。

 それでも。

 アタシは言う。思っていることを。

 日頃考えていることを。

 

「師匠、そういうの良くないです。師匠は、少し自分がみじめだと思っていると思います。でもダメなところを言葉にすると『かわいそうな自分』って自分の言葉に酔いそうになります。そういうの良くないです」

 

 なんとなく、師匠が(さび)しそうに見えたから。一瞬、悲しそうに見えたから。

 師匠は、本当は、アタシ1人を見るだけじゃなく、大勢の生徒のレッスンをしたいのかもしれない。

 あれだけ上手い笛の音を、大勢の生徒に伝えていきたいのかもしれない。

 

「……言うじゃない。さっき泣いたガキのくせに。日頃、クソみたいな貧乏人の生活してるからかしら、よくわかってるわね。……でも今のは良くなかったわ。楽器の師匠っていうのは、弟子を信じさせなきゃいけないんだから。いつも、自分の師は、神様で、最高だって思いこませなきゃね。忘れてちょうだい」

 

 アタシから視線を外して、そう言った師匠の表情は真剣で、思わず引き込まれる。

 鼻から息を、長く、太く吐いて。

 アタシに言っているようで、同時に自分に言い聞かせているようで。

 思わず復唱(ふくしょう)してしまう。

 

「神様で、最高」

 

「そ。さっき神様って呼ばせてみたのは失敗だったけど、そのスタンスは間違ってないのよ。アタシは神様。……呼ばなくていいわよ。あんたの上達に全部の責任を持つから、信じて。……盲信(もうしん)でいいわ、ついてきなさい」

 

「盲信……。……わかりました。どうせ他に方法はありませんし。でも師匠、生徒が他にいないのはわかりましたけど」

 

 最大の疑問は解決していないのだ。

 

「何よ。盲信しろって言ったでしょうが。問題は全部、アタシが解決してあげるわよ」

 

「いや、あの……、レッスン料はどうするんですか? ……今は週に6時間。今後は……短い時で週に17時間、長い時で、20時間くらいですか? 3倍以上のレッスン料なんてうち、出せるとは思えません」

 

 師匠はアタシの言葉を聞くと、ふん、と鼻で大きく息を吐き、言った。

 

「……金なんかいいわよ」

 

「え、でも……」

 

 言いよどむアタシに、師匠は少し怖い顔で話しかける

 

「いい? 学校教育と楽器メーカーのおかげで、この日本では、本場のヨーロッパなんかメじゃないくらい、音楽のすそ野は広がったわ。今じゃ、変なジジイの指揮者が、アイドル扱いされて、テレビにまで出る始末。 ……それでも、子供の音楽の世界の主役は、依然、金持ちのもんなのよ。子供に楽器習わせるなんて、レッスン料なんかでヒィヒィいいながら払う貧乏人の家が、本来やることじゃないワケ。貧乏人の子供はせいぜい、精一杯(せいいっぱい)背伸びして、貴族の真似事のピアノでも習っておけばいい。ハウスやエスビー食品のルーで作ったビーフストロガノフをありがたがるみたいにね。……少なくとも、あたしはそう習ったし、そう言われて育ったわ。……いい? 習う方も教える方も、本来は、金の心配なんかしないもんなのよ。その形に立ち帰るだけ。アタシは金なんか要らない。それこそ、家に帰れば死ぬほどあるんだから」

 

 滔々(とうとう)と語って聞かせるその顔は、とても冗談を言っているようには見えず。

 

「……はい」

 

 アタシは、勢いに押されて同意してしまう。

 

「わかった?」

 

「……でも、母は納得しないと思います。レッスン時間増やすのに据え置きなんて」

 

 パパとお金の話をしたことは、あまりないからわからないが、ママは金に関しては清廉潔白(せいれんけっぱく)というか、とにかく厳しい人だ。

 二桁円しか入っていない小銭入れを拾っても、交番に届けろという。

 ママがもっと金がある家に生まれれば、きっと立派な人になったと思う。……いや、ダメだな。経済が回らないわ。

 アタシが、汚いことをして手に入れたお金に、なんとなく嫌悪感(けんおかん)があるのには、ママの影響が強いと思う。

 ん、自動販売機の横とか下にあるお金?

 あれは誰かが捨てたものだからアタシのものだ。

 

「ご両親の説得はちゃんと考えてるから、心配するんじゃないわよ。そっちの問題が解決すれば、レッスン時間に関しては問題ないわね?」

 

「はい。いっぱい見てもらえるのはうれしいです。……少し後ろめたいですけど」

 

「……金の話? 本当に貧乏人は面倒くさいわね。そのうち、何かで返すから、で普通は終わりなのに。『無料ほど怖いものは無い』みたいな、ヤクザ相手の貸し借りだとでも思ってるのかしら」

 

「そういうわけではないですけど」

 

 そう返すアタシに、師匠は少し考え、やがて思いついたかのように口を開いた。

 その口調は明るく、なんだか芝居がかって。

 

「いいわ。あんたの心の汚い部分を引き受ける。って言ったのはアタシだから、あんたの後ろめたさを(ぬぐ)いさる話をしてあげる」

 

「なんですか?」

 

「昨日見たクライシーヴァ、あたしはあれに見せつけてやりたい。何が元・天才少女だ、と。ちょっとラッパが上手い弟子を育てたくらいで、良い気になってるんじゃないぞ、そんなことくらい誰でも出来るんだと。あんたを育てて見せつけてやりたい。クライシーヴァだけじゃないわ。……あたしを選ばなかった楽隊にもバンドにも、……不景気を理由に内定枠を取り消した楽団にも。奏者の活躍の場を用意しない、採用枠を減らす社会にも」

 

 最初は明るかったのに、途中から師匠の声はだんだん暗くなる。

 話の意味は、話の背景は、少しわからなかったけれど、そのトーンにアタシは少し怖くなる。

 

「……師匠」

 

「あんたは、あたしの力を見せつけるモルモットになりなさい。社会への復讐の道具になりなさい。……これでどうかしら? あんたは、『フルートの音をきれいにしてあげる』って甘い言葉をささやく、汚い大人に利用される子供。これなら、罪悪感もないんじゃないかしら」

 

 師匠はそう言って、にっこり微笑(ほほえ)む。

 ああ、この人はずるいなあ……、アタシは、ちらとそんなことを思う。

 大人の理屈で、子供にはわからない大人の情念(じょうねん)とか難しい話を使って、子供を黙らせようとしてくる。それも、おそらくは、自分ではなく子供のアタシのために。

 子供のアタシには、師匠の感情を読むのは、(おもんぱか)るのは少し難しかった。

 

「……わかりました。アタシをせいぜい利用してください」

 

「……半分は本当よ。ああ、クライシーヴァが天才なら、あたしだって、自他ともに認める天才だから、そこは信用してくれていいわよ。あたしは、フルートの音で負けたことなんて無いからね」

 

「師匠の音、ほんときれいですよね……」

 

 レッスンの最中に聴かせてくれる音、師匠の響きは、実際言葉のとおり。

 天上のそれだ。

 

「あんたが上手くなれば、あたしのすごさはもっともっとわかるわよ。あんたが上手くなればなるほど、遠さに絶望、驚愕(きょうがく)させてあげる。……あたしの全部をあげるわ。技術を全部身につけて、あんたは同じ世代の笛吹きを、全員ブチ倒して前に進むの」

 

「……師匠、『音楽は勝ち負けじゃない』って言ってませんでした?」

 

 確かに言っていたはずだ。

 なんなら、アキも、クライシーヴァ――リーニャ先生――も。

 楽器をやる人は同じことばかりいうな、と思っていたところだ。

 

「……悪かったわ。あたしの先生みたいに、理想論でうまくやれると思っていたの。……勝ち負け関係ないなんて嘘よ。奏者はみんな、一番になりたくて吹いてるわ。プロになっていない人間を奏者と呼ぶかは微妙だけど、便宜上そう呼ぶわね。奏者、同じ楽器吹くやつ、全員自分の音でぶち殺して、一番だって証明したいって思ってる。……あんたの同世代のトランぺッターは、それこそ絶望でしょうね」

 

 アキのことを言っているのはわかる。

 

「でも、来年もアイツが最優秀とは限らないですよね? 他の人も上手くなるだろうし」

 

 アタシは自分の言葉が空虚(くうきょ)だな、と感じる。

 そんなことをアタシは、おそらく本心では欠片も思っていない。

 師匠の言葉もそれを裏付ける。

 

「……まず考えられないわね。『全楽』の本選ジュニアの課題曲なんて、技術を見るものだから、ミスなく吹けるだけで、もうその年齢――この場合は制限の15歳ね――では、まあかなりすごいのよ。それを10歳で吹いて、かつ桁違(けたちが)いの表現力まで見せつけてきたのよ、あんたの友達。……多分、トランペットやめる子もいるわ。あれがいたんじゃ、絶対一番にはなれないもの」

 

「……そんなに、それほど、なんですか」

 

「そうね……、あんた、徒競走(ときょうそう)で、観客席にピースしながら走って、他の子の半分の時間でゴールするやつがいたら、どう思う?」

 

「死ぬほどムカつきますね」

 

「でも、絶対勝てないって思うでしょ」

 

「はい」

 

「まあ、採点方式、コンクールの場合は減点で決まる要素が強いから、あまり関係ない技術をひけらかすと審査員(しんさいん)に嫌われて勝てないけどね。でも、あんたの友達は関係ないくらい格上だわ。だから言ってるでしょ。怪獣だって。ゴジラだって。……ほんとは、楽器で勝ち負けとか、こんな話、子供に聞かせたくなんてないんだけど。あれが目標っていうんなら仕方ないわよね。自覚してもらうわ」

 

 師匠は言い訳じみた言葉を付け足した。

 聞かせたくないのも本音だろうし、全員一番になりたいのも多分本当だろう。

 アタシはなんと言っていいかわからず、これからのレッスンが厳しくなるんだろうな、と多少の(おのの)きを覚えた。

 ただ、同時に、少し大人の世界に足を踏み入れたような、師匠に『聞かせた以上は一人前になりなさい』と励まされているような、そんな温かさも感じている。

 

「……まあ、まずあんたは自分のことか。レッスンの時間以外の、細かい話もしていきましょう。迎えに来るご母堂(ぼどう)の説得は、あたしに任せておきなさい。話は合わせるのよ」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

「あ……、話してる最中、人前で『師匠』は恥ずかしいからやめてね」

 

 この人、案外かわいいな。


 〇


 第28話/99話 「契約 アタシたちの」 終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ