第27話/99話 「師弟 その誓い」②
〇
「昨日見た美雲アキタカ。あれはあなたにとって何?」
「え……」
「フルートを始めた理由で、上手くなりたい動機付けでしょう。素直に口にしてみなさいな」
「……。」
なんだろう。よくわからない。アタシにとって……?
アキはクラスメイトで。友達……というほどまだ親しくはない。
答えられないアタシに師匠はまたささやく。
「よさそうな子だったわね。背も高いし」
「そうですね。『王子様みたいな男子』っていう子もいます」
「あんたにとっては違うんだ?」
「そうですね。アタシは、シンデレラでも白雪姫でもジャスミン姫でもありませんから」
お姫様にはなれそうもない。
アタシは物語の主役ではないし、ヒロインでもない。
「ジャスミンのお相手は王子様じゃないでしょうよ……。て、いうか、今時、オウジサマに憧れる娘たちもいるのねえ。あんたくらいの歳だと、最近は不良少年ばっかり人気あるんだと思ってたわ。……尋ね方が悪かったかしら。あなたはあのアキくんと、どうなりたいの? どうしたいの?」
「アタシは……アキと……アキを……」
「はい、頭を使わない。素直に、素直に」
師匠の少し茶化すようなささやきに……。
「……ぶちのめしてやりたい。……ぶっ殺してやりたいです」
乗せられて出てきた言葉は、答えは、自分でも予想外だったけれども、おそらく抑圧されていた本心で、アタシの心の奥の本音だった。
「……ど、どうして? 裏表もなさそうな、良い子そうに見えたわよ。あなたと喜んでいる顔なんて、本当にかわいかったわ」
師匠が、意外そうに訊いてくる。
顔が少し引いている。いやドン引きしている。
色恋沙汰の話でも期待していたのだろうか。
「アキはすごく良い奴です。……だからなんです」
ああ、そうだ。フルートを吹き始めて、アキと合わせるようになって、ずっと感じている気持ちは……。
おそらくは、愛でも恋でもない。
「……アタシ、アイツに何も勝てるところないんです。全部負けてる」
嫉妬と、羨望と、劣等感。
「それがどうしたのよ。あんたより優れたやつなんて、いくらでもいるわ」
「それでも、普通はなにか、言い訳できるんです。アタシより優れたやつでも、アタシより生まれがよかったとか、金があったとか、運が良かったとか、出会いがあったとか。そうでなくても、何かアタシと違って、『アタシが負けても仕方ないな』って思える何かがあるんです」
ああ、ダメだ。言葉が止まらない。
話し始めると止まらない。
アタシとアイツの差を、言葉にすると止まらない。
「……あの子は違うの? アキくんは違うの?」
「アイツの家、片親なんですよ。きれいな母親だったし、身なりに気を遣って、アキにはちゃんとした服着せてるけど、お金持ちじゃない。……家だって壁の薄そうなアパートです。……アタシはアイツの家に行くまで、良い家に住んで、何不自由なく、両親の愛情受けて育った……、そんな育ちの良い子だと思ってました。それくらい、あいつにはかげがない。人に後ろ指さされるようなところもない。よく出来た人間で、ちゃんとしたやつです」
そうだ。
美雲アキタカは恵まれた環境で育った子供ではない。
客観的に見れば、アタシの方がずっと恵まれている。
「え、出来た子なのに……? ……あんたはアキくんが嫌いなの?」
「嫌いじゃない。……当たり前です。アイツと話して、好きにならないやつなんかいない。アイツは友達も多いし、それなのに、クソみたいな相手する価値のないようなやつにも優しいし。……言葉もほがらかで、自分に自信があるのもわかります。いつも穏やかで、にこやかに笑っています。……周りに人が大勢、いつもいます。けど、ほとんど誰も、アキのラッパが、あれほど、魔法みたいに上手いなんて知りません。知らなくても、魅力があふれでて、人を惹きつけるやつなんです。」
「……」
師匠の沈黙。
アタシは構わず続ける。どうせ止まらないのだ。
「それに引きかえ、アタシはなんです? アタシには両親も祖父母もいて、曲がりなりにも一軒家に暮らしている。三食とも母が用意してくれて、あったかい風呂も布団もあって、……ああ、アキの母、夜のパートで、夕食と朝食は一緒じゃないことが多いです。……なのに、アタシは、環境にも生活にも他人にも文句を言って、言い訳ばかり。アイツに比べればずっと恵まれた環境ですよ。負けようがない環境です。それでも何も勝っているところがないんです。比較したらアタシは本当にクソです。クズです。……こうして言葉にすれば、友達だって少ないのが当たり前の人間だってわかります」
「……」
師匠は、何も言わない。
「師匠はさっき、アタシがずっとガマンしてるって言いました。ガマンしてます。ずっと抑圧された自分を感じてます。でも、そんなのアイツに比べたら、アイツの境遇に比べたら大したことない。ガマンしているつもりになってるだけです。……これだけ立派に生きている子がいるのに、アタシは何なんだ、そう思わせるやつなんですよ、アイツは」
師匠に言われて少しの間アイツを見ていたからわかる。
そうでなくても、クラスで見かける姿でわかる。
スタジオで必死にラッパをかき鳴らす姿でわかる。
アイツのことを考えて夏の間、フルートを吹いていたからわかる。
一緒に合奏をして、話をして、一緒に歩いて、話をしたからわかる。
アタシはアイツに、全てにおいて負けている。
「……なるべく一緒にいるのをやめて、離れるのはどうなの?」
アタシは首を横に振る。
心の底から否定する。
「アタシより全部勝ってるくせに、アイツはアタシに何の曇りもなく話しかけるし、アタシを合奏に誘うんですよ。そして、アタシはそれを断れない。合わせれば楽しいのは、心地良いのは知ってるから。……やってると本当に楽しいんです。……振り返って『アタシは何をやってるんだろう』って思うんですけどね。アタシより死ぬほど上手いやつに、魔法みたいなラッパを鳴らす奴に、下手くそな笛を吹く舞台整えさせて、気分良くおぜんだてされて……。合奏だけじゃない。……話していても、楽しいです。アタシはどこにいても、その場のすみっこにいる、カスだから。ゴミクズだから。みんなに人気のアイツが、アタシと話してくれるのだって嬉しいです。……『何をやってるんだろう』って思うのは、アキと一緒にいる時のこと、話していても、歩いていても、……考えると全部か。どうやっても勝てない相手と、アタシは何をやってるんでしょうね」
瞬間、アタシの中に寂しさ、悲しさ、寂寥感がこみ上げる。
……アキのことを話していると、感情が昂る。
なんだ、これは。
良くない。口から出した言葉に酔っている。
「別に、フルートで勝たなくてもいいじゃない。例えば、アキくんみたいに、その、朗らかに? ……生きてみるとか」
「ダメですよ。ダメなんです。話してるとわかる。いっしょにいるとわかります。アイツの心は本当に澄んでてきれいです。アイツのラッパの音みたいに。……でも、アタシはダメです。アタシの心は汚い。いつも雑音ばかりで、ひがみっぽくて、弱くて、にごってる……。……真似して生きてみたとしても、アイツみたいに本物じゃない」
「……そう」
ああ、ダメだ。言葉に流される。
アタシはここで自分の言葉に酔いたい奴じゃない。こらえろ。
「一緒にいると、自分が恥ずかしくなります。ずっと、劣等感に押しつぶされそうです」
堪えろ。
アタシはここで自分の言葉に酔えるほど、『かわいそうな奴』じゃない。
……ああ、そうか。
師匠に言われて、言葉にしてみてわかった。
きっと、アタシは――。
「……アタシは、……アタシは、アイツになりたいんです! アイツみたいに、堂々と自分の価値を示しながら生きてみたい! アイツみたいに、余裕なんか1ミリもないはずなのに、笑ってうそぶいて、周囲に優しさを振りまける余裕のある人間になりたい! どんなときにも、かげなく、くもりなく、明るく、真っ直ぐ、朗らかに、晴れやかに、屈託なく『自分はここにいるよ』って言えるアイツになりたい!」
「……っ」
……瞬間、こみ上げた物が目から溢れだしてくる。
眼鏡をテーブルに置く。目を閉じ、目頭を全力で抑える。
止まらない。後から後から湧いてくる。
両手で目を圧迫しているが、感情の方が強くてコントロールが効かない。
自分の言葉に酔っている証拠だ。こんなのは良くない。
「……大丈夫? もういいわ。無理しないで」
「ひぐっ……うぅっ……ごめんなさい。ちゃんといいます。いわせてください。ぐっ……。……でも、そんなのは無理だから、アイツになるのは無理だから。 グズ……ズズッ……。だから、アタシは、アイツに憧れるアタシをぶち殺したい! アタシをあこがれさせたアイツをぶちのめしてやりたい……! ふぅ……ひぐっ。本当は、アイツのラッパだって、アタシは『そんなの大したことないんだ』って言ってやりたい。楽器が上手いのくらいなんだ、って。……すごいのは知ってるけど。アイツが積み上げてきたものだって知ってるけど! ……『アタシだってできるんだ』って言いたい! ものすごいアイツに、『お前もすごいな』って、心から言われたい。言われてみたい……。アイツの一番得意なソレで、アタシもアイツに認められたい。……認めさせたい……ぐずっ、ズズズ……うええ、ええぇぇぇぇ……」
涙が、嗚咽が、想いが、止まらない。
鼻水をすすり、しゃくりあげて、泣きじゃくって、言ってることがさっぱり論理的ではない。
支離滅裂で、自己矛盾の塊みたいな言葉だった。
それでも、アタシは、アタシの思っている全部を話した。
別に師匠に心を開いたわけじゃない。
勢いが止まらなかっただけだ。
師匠がそれであきれるなら、呆れてレッスンをやめてしまうなら、それまでだ。
本音をきかせろと言った師匠が悪い。
〇
アタシは、師匠の言葉で開き直った。
聞かせろと言われたから、もうこの際だから全部話した。
ずっと、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
胸を張ってこう言える。
「……全部、話しました。これで全部です。フルートを吹く理由としてふさわしくないなら出ていきます」
まだ目頭は熱かった。気を抜くとこぼれ出てきそうだった。
「そう。すっきりした?」
師匠がアタシに回した手は、肩から背中に移動していた。
泣いて、呼吸が乱れたアタシを落ち着かせようと、さすってくれたのかもしれない。
意識していなかったので、分からないけれど。
「……わかりません。……アタシはどうしたらいいですか」
すっきりはしていなかった。アタシの汚い部分が可視化されただけだ。
「自分で考えなさいって普通は言うところだけど……。頭を使うなってあたしは言ったわね。そうでなくても、あんたみたいなガキにそんなの酷だわ」
「はぁ」
「……いや、正直さあ。若い子のコイバナでも吸って若返ろっかな~~、くらいのカル~~いノリだったんだけど。喋らせてみたら、思ったよりこじらせた、めんどくさいガキだったわ」
師匠は、少し困ったように笑う。
コイバナが出てこなくて悪かったな。混乱した涙の奥で少しだけイラっとする。
「……師匠が言えって言ったんじゃないですか。今時の子供は、みんなめんどくさいですよ。アタシだけじゃない」
「そうね。素直に弱音を吐ける子は好きよ。……シンプルに考えましょう。ここはフルート教室で、あんたはそれを習いに来てる。……魔法みたいなラッパって言ったわね?」
「アイツのトランペットは、アタシに宇宙を見せます」
あの日見たそれがアタシを狂わせる。
非の打ちどころのない存在から出たそれが、アタシの心を離してくれない。
「あら、すごい。それは魔法だわ。……まあ、昨日のあれが、あんた一人だけに向けて吹かれたら、宇宙くらい見えるかも知れないわね。……うん、その子が魔法を使えるなら、あんたも魔法を使いなさい。あんたのフルート、魔法みたいな音にしよう。その子に感じてる劣等感、あこがれ、嫉妬に羨望、全部そのままでいいわ。その子は、魔法使いの先輩。そんなくらいの認識でいい。いつかぶっ飛ばしてやる、先輩」
「……魔法使いの、先輩」
アタシは少し顔をあげる。視界に師匠の顔が入る。
「王子様じゃないんでしょう? だったらそれでいいじゃない」
師匠の顔は笑顔だった。アタシの嫌いな感情の読めない微笑ではなく、おそらくアタシをいたわるような慈しみの笑顔。
アタシは思わず、素直に返事し、訊いてしまう。
「……はい。……アタシも、魔法が使えますか?」
「魔法使いにしてあげる。宇宙かどうかはわからないけど、何かを見せられる音にしてあげる。」
アタシを惹きつける、頼もしさすら感じる声で、言葉で、師匠は続ける。
「それと、あの子と一緒にいても『何をやってるんだろう』なんて思わないで。合奏をしていても、話をしていても楽しいんでしょう? 前も言ったけど、楽器を一緒にやれる友達は貴重よ。そのまま癒しとして受け止めて、『いつかぶっ飛ばされるアタシに、塩を贈るとは、バカめが』くらいに思っておけばいい。敗北を感じたら、心の中で、相手をぶっ殺す『勝ちの途中』だって思いなさい」
「……ふふっ、まるでアタシ、腹黒の悪いやつみたいですね」
思わず、笑ってしまう。
悪役。それも堂々とした強大な敵役ではなくて、主人公を汚い策で陥れようとする、腹の中で虎視眈々と狙う小悪党。
「悪いやつでいいじゃない。悪役でもいいわ。さっき聞いた、ゴミみたいな捻くれた劣等感があんたの本性なんだから。フルート吹く動機付けなんて、それでいいのよ。……音は心が出すんじゃない。きれいな音を出すのは、心じゃなくて技術だけ。何も悩むことなんてない。あんたの悪い心、悩みは全部アタシが引き受ける。自分で嫌な部分は、全部あたしに話して、フルートだけに集中して。……まあ、あたしは正義の味方の方が好きだけど」
「うう……。アタシだってそうですよ。悪役なんてごめんです」
唇を尖らせるアタシに、ニヤニヤとしている師匠。
……本音をさらけ出してみれば、それまで飾っていた先生より、素の師匠はずっとアタシの懐に入ってくる。
アタシの心を溶かすように。溶けだした心を受け止めるように。
現に、クソみたいなアタシの心を聞かせても、矮小なアタシから遠すぎる目標を見せても。師匠は受け止めて、こうして励ましてくれているのだ。
「まあ、あたしだって、シンデレラの魔法使いくらいなら、やれますからね。ネズミみたいに貧相なあんたをウマに変えて、カボチャを食べて。……師匠として、ひよっこ魔法使いを、ビシバシ鍛えてあげるわ」
「かぼちゃ食べちゃったら、どこから馬車を出すんですか。でも、師匠は、魔法使いって感じじゃないですよね。どっちかっていうと、人魚姫の悪い魔女みたいな。声を出せなくさせちゃうやつ……いたいっ」
ゴン。またゲンコツが飛んできた。この人、案外、手が早い。
「舌、引っこ抜くわよ。そういうことは、きれいな声で歌える子が言うもんでしょうが」
それでも師匠は、アタシのほっぺたを両手で軽くつまみながら、正面から、力強くアタシを見据えてこう言った。
「すてきな魔法に、すてきな音にしましょうね。あなたの友達があこがれるくらい。離れられなくなるくらい」
〇
第27話/99話 「師弟 その誓い」 終




