第29話/99話 「踏み出す 寒さの中で」
〇
「ぶふっ……ぷぷぷ」
さらさらと。びゅうびゅうと。しんしんと。
午前5時。
アタシの冬休みは、真っ暗で、横殴りの風が叩きつけ、降りしきる粉雪の中、吹きだすアキの顔で始まった。
〇
12月22日(水)
終業式。
夏に引き続き、『よくできた』が1つもない、案の定な通知表をランドセルに入れての下校の通学路。
アキが話しかけてきた。
「ねえ、冬休み、練習どうするの?」
雪が降っているから、いつもより不自然に声が大きい。
別にそんな気を回さなくても、アンタの声はよく通る。
「……先生が、年内は見てくれないから、家で自主練する」
アタシの声も大きくなる。そうでないと、雪に吸い込まれて聞こえない。
師匠は「年内は色々片付けることがあるから、年明けから来なさい」と言っていた。
1人で練習と言っても、基礎はいくらやっても足りないし、言われた通り少しでも体力もつけないといけないし、やることはいくらでもある。
「そうなんだ。僕は学校でやろうと思ってたけど」
「……学校って、休みでも入れるの?」
「土日とか、お正月以外なら、休みでも先生いるんだよ。職員用玄関から入って、職員室に行くんだ」
「……へぇ」
知らなかった。まあ普通の子供には休み中の学校なんて関係ないもんな。
アタシが知らなくても、当然だと思う。
「……いっしょに、行かない?」
……なんで? 寂しいのかコイツ?
トランペットは家で出来ないけど、フルートは時間さえ気をつければ、家でも出来るんだが……。
まあ、家族になんだかんだ邪魔されるのは事実。
集中できる環境は欲しかった。
「まあいいけど。アタシ、朝は走ることにしたから。何時に行く?」
早寝早起きが習慣になってきたので、朝の時間を宿題やらに充てなくていい冬休みは、体力をつけることに決めていた。
師匠も賛成している。……大いに。
「へぇ、僕はいつも朝走ってるよ。朝もいっしょに走ろうか?」
……マジか。少しは出し抜けると思ったのに。
まあ、アンタがそういうなら仕方ない。見習わせてもらおう。
切り替えて返事をする。
「うん、じゃあお願い。いつも何時から走ってるの?」
「この時期は5時。それでいい?」
「……いい」
早すぎるだろ、と思ったが、コイツより遅い時間から動くようでは、いつまで経っても勝てない、と思えた。
アタシに、やる以外の選択肢はない。
「じゃあ、5時に家の前にむかえに行くよ。……でも、この雪、積もりそうじゃん? 走るのに邪魔そうだけど、明日からでいいの?」
降りしきる雪を見ながらアキが言う。
桜山は、豪雪地帯ではないけれど、粒の小さなサラサラの雪が降る時は、交通に支障が出る程度には積もる。
「……いい。一日でも早い方が良い」
「何を急いでるの。……じゃあ、5時に」
急いでいる? そうかもしれない。
1日も早く、アンタをアタシの音の前に屈服させたい。口には出せないが。
〇
12月23日(木)
夜の間に雪はすごい勢いで降り続き、案の定、積もった。
それでもアタシはちゃんと4時30分に起きる。
布団に入って寝付けなかった時間を考えても、8時間は寝ているはずだから、眠いのは気のせいだ。
着ぶくれするくらい中に着込んで、上下ジャージ。耳のカバーもついたキャップ。軍手も二重に。よし。
外に出る。風が強い。雪が横向きに降っている。
家の前の電柱、外灯の前にアキがいた。
100段以上ある石段を登ってきたはずなのに、平然と立って手を振っている。
近所迷惑にならないように、近寄って、小声であいさつをする。
「おはよ」
「うん、おはよ……ぶふっ……」
さらさらと。びゅうびゅうと。しんしんと。
午前5時。
アタシの冬休みは、真っ暗で、横殴りの風が叩きつけ、降りしきる粉雪の中、吹きだすアキの顔で始まった。
「なんで体育の時間のジャスなの? ……ふふ、ふ、くっくっ……」
「これしかないもの」
アキは他人を馬鹿にしたりしない。つまり、単純にツボに入って面白かったんだろう。
アタシが着ている、桜山小学校の学校指定体操着は、明るいライムグリーンとイエローの2色で出来ていて、……ぶっちゃけ、かなり目立つ。悪ガキが、よからぬ悪戯をしづらくなる心理的効果がありそうな程度には、まあ恥ずかしい色だ。
「運動するって言って、学校のジャス着てくる人、初めて見た。……まあ、目立つから、そうなんはしなくていいかもね」
そういうアキの服装は、帽子に、上下ともジャージ。
柔らかい材質のジャージではなくて、男子が『シャカシャカ』と呼ぶハリのある素材のジャージで、多少の防水効果もありそうなものだった。
「……アキのそのジャージ、いいね。高いんじゃないの」
「ああ、これ? こういうの、ファッション的にどんどん新しいのが出るから、買いに行くと、古い形のが安く売ってたりするんだよ。サイズが合えば……」
「……へぇ」
いいな。今度、パパに強請って買ってもらおう。普段着にも使えそうだし。
それよりも、アタシが気になっているのは。
「……なんで長靴なの? それじゃ走れないでしょ」
アキの足元だった。きっちり長靴を履いている。
「なんでって、どうせこの積もり方じゃ走れないよ。雪の中歩くだけで運動になるから、シオリも長靴はいてきなよ」
……言うとおりだった。
積雪の高さは、軽くアタシの膝下くらいまである。
「……長靴とってくる。待ってて」
物事を始める決意をした日に、そのまま始められるものではないことを、アタシは学んだ。
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「……ちゃんと走りたかったのに」
「まあ、仕方ないよ。それに、足が速くなりたいんじゃなくて、体力つけたいんでしょ? これだって十分だよ」
雪の中、むつけるアタシを、アキがなだめる。
今日はとりあえず、町の大通りの端まで行ってみようということになっていた。
ズボッ、ズボッと雪に足を取られながら、アタシたちは歩いて進む。
確かに、結構疲れる。息も少し乱れている。
「アキは、これまで、朝いつも走ってるの?」
「そうだね。あ、でも天気が悪い日は、あんまり。部屋でトレーニングだけにするときも多いよ」
天気が悪くても何かはしているってことか。
つくづく、差を見せつけてくる。
「ふぅん。足、痛くなったりしない?」
「いや、そんなことは……。ああ、アスファルトの道路ずっと走るよりも、校庭走った方が、足に良いと思う」
「朝、学校入れないじゃない」
「校庭の裏口、通用口はずっと開いてるし、その気になれば校門とか、その横の小さい扉だって、カギはかかってないからね」
「へぇ、知らなかった」
そこまで朝早く行こうと思ったことが無いからだ。
世の中というのは、興味を持たないと、知らずに終わることも多い。
「校庭走ってると、夏は、少年サッカーとか少年野球が、朝から練習したりしてるんだ。トモクニ、席近いでしょ? 彼もいるよ。……みんながやってるの見ると、僕もがんばろうって思える」
「そっか。……朝から運動する人、けっこういるんだ」
アタシもやろう。そう、思えた。
そういえば、シュンがまだ幼稚園の頃、正月に凧揚げがしたいと言い出し、学校の校庭に付き合ってやったことがあった。
休日でも施錠されていないのだから、朝夕だって施錠されていないものなのかもしれない。
なお数年後、学校のセキュリティはとある事件を契機に少し強化されるのだが、アタシはそのことを知らないし、アタシが小学生でいる間、校門が朝に施錠されていることはなかった。
〇
「ふぅ~……ぜひ……へひ……」
情けない声をあげるアタシ。いや息が切れているだけで声ではないのだが。
大通りの端まで行って帰ってくると、もうへとへとだった。
息は切れているし、汗が気持ち悪い。
日の出はまだだけれど、少しだけ明るいから、1時間くらいは経ったのだろうか。
「ちゃんと着替えした方が良いよ。汗冷えると風邪ひくよ。……じゃあ、7時半にむかえに来るから、そしたら学校行こう。あ、カイロは絶対持ってきた方が良いよ」
アキはさらっと、そんなことを言って、雪の中、手を振って帰っていった。
ここから100段、石段を降りて家に帰るんだよな。
で、また登ってアタシを迎えに来る?
……どういう体力してるんだ、アイツ。
ぶち殺すのは、当分先になりそうだった。
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「おう、美雲か。なんか優勝したんだってな。おめでとう」
「おはようございます。……ありがとうございます。音楽室のカギを貸してもらいに来ました。お願いします」
朝8時少し前の職員室。目に入るだけで3人の教師が来ていた。
……本当に、子供が休みでも、先生は働くんだな。
アタシは少しだけ驚く。見ているところしか、結局アタシは知らないのだ。
アキは、慣れた様子で、学年の違う先生に話しかけ、鍵を借りている。
「4年生の教室はカギかかってますか?」
「ん、今は、個別の教室は鍵かかってないはずだぞ。……どうしてだ?」
「クラスの初鳥さんも練習するので、音楽室と教室、部屋2つ使いたいんです」
アキがこっちに話をふるので、アタシも慌てて、先生に頭を下げる。
「だぁれ、一緒にやったらいいっちゃ」
何を馬鹿なと言わんばかりの教師。
アキがにこやかに説明する。
「楽器がちがうので、音が混ざっちゃうと良くないんです」
「……おお、なるほどなあ、まあがんばれよ」
優勝者の貫禄というのか、いつもこうしてますよ、職員室は僕の縄張りですよ、といわんばかりのアキにアタシは感心してしまう。
いつもコイツはそつがない。
「どっち使う?」
「アタシ教室で」
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誰もいない冬の教室は、空気がピンと張って、鋭い。
寒いけれども、人がいないので濁っていない、この空気は嫌いではない。
机に立てた、メトロノームと小さなブックスタンド。それに楽譜が挟んであるだけで、いつもと違う空間に見える。
フルートに息を吹き込んで温める。何度も吹きこんで温める。
キイを時々動かしたりして、アタシの指も温める。
……息と相まって、時々意図しない音が出る。
ポッケのカイロは、その空間だけが小さな天国で、ずっと手を突っ込んでいたくなるが、そうもいかない。
……吹きたくて、吹くために、来たのだから。
冷えて澄んだ、集中力を高めてくれそうな冴えた空気の中、寒さに少し慣れてきたアタシはロングトーンから始まるいつもの基礎練を始めた。
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「お昼だよ、いったん帰ろ」
「ん」
アキが教室まで呼びに来てくれた。
昼食をとりに帰宅する。
雪は断続的に降り続いており、日光は見えない。
「……昼帰る時間勿体ないな……」
「うーん、お弁当持ってくるにしても冷めちゃうよね」
アタシのつぶやきに、アキは聞きつけて返してくる。
「電子レンジを持ってくるとかさ、なんとかならないの」
「重いし、家に1つしかないよ……」
持って来ても、教室に使える電源はない。
「仕方ない、歩くのも体力作りか……」
「うん。じゃあ、また後で行くから」
コイツ、また100段以上の石段降りて登るんだよな……。
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直接の日差しが無くても、午後の教室は午前より暖かかった。
邪魔が入らない分、家より練習に集中できる。
ただ、夕方になってくると一気に冷え込む。朝ほどではないが、昼間の熱に少し体が甘やかされるので、そう感じる。
17時。
学期中なら下校時刻だし、そろそろやめよう。後、カイロは多めに持って来よう。
明日も来よう、そう思った。
「アタシの先生、もっと難しい曲とかアレンジ、持って来てもいいって言ってたよ」
「そう? じゃあ先生にたのんでおくよ」
アキの先生。リーニャ先生。きれいな人だったな。
結果発表の前で見た金色の目と銀色の髪が脳裏に浮かぶ。
「……アタシは、あんまりムズいのは、まだ自信ないけど……」
「シオリの先生が大丈夫っていうなら大丈夫なんでしょ。大人で楽器やる人たちって、すごいよ。僕たちよりも僕たちのことわかるもん」
「ふーん……」
アタシは先日、ようやく師匠のことを全部が全部、心から信じる気になれたけれども、アキはとっくにその心境にいる。
まあ、アタシの場合、信じるより他に道はないだけだが。
こんな面倒くさい弟子を引き受ける師匠が、他にいるとも思えないし。
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「明日も、朝同じ時間でいい?」
「うん。……雪、止まないね」
明日も歩くだけで終わりかな。
正直、かなりの疲れを感じているから、十分な気はするけど。
今日の後半、腕かなりダルくて何度か休んだし。
……でも、帰ったら腕立てはしよう。
「夜には止む予報だったよ」
「……ふうん」
まあ、積もっていたら同じか。
〇
第29話/99話 「踏み出す 寒さの中で」 終




