第22話/99話 「掲示板 それぞれの終わり」②
〇
「来ましたね。それでは帰りましょうか」
扉の前で待っていた先生は、アタシと並んで歩きだす。
並んでと言っても、身長差があるので、先生の歩幅に合わせてアタシは少し早歩きになる。
「ああ、そうそう、シオリさん」
「なんですか?」
マユコ先生は歩きながら首だけでアタシを見る。
「外からエントランスを抜けたところの広場で、結果の発表が行われています。そこを通るので、余計なことは言わないように。結果の紙を見るのは良いですが、人を見るにしても、絶対に体を、首をそちらに向けないでください。人と目を合わせないでください。」
「わかりました」
文化センターの大きな入り口の前は少し広い空間になっていて、帰ろうとするとそこを通る。掲示物を貼り出せる壁もあるから、そこのことを言っているのだろう。
首や体を向けるな、視線を外せという指示が、妖怪とかが出てくるホラー物の小説みたいで面白くて、アタシは少しニヤニヤしてしまう。
通路を抜けて出た広場の光景は……ホラーだった。少なくともアタシの目にはそう映った。
アタシの笑みは消える。
壁に貼り出された大きな白い結果発表の紙。それには個人名が上から下に、横書きに記載されて、個人名の横に『金』『銀』……、あとは『代』『1』『2』『3』。1の人に『代』の文字がついているから、本選代表者のことなのだろう。
そこまではわかる。
問題はその前にいる人たちだった。
喜んでいる人がいない。
セーラー服や学ランの中学生、数は少ないながらもワンピースのドレスを着た女の子、燕尾服の男の子、それとそれについて大人が何人も。
結果発表の紙を凝視して動かない子が、最初に目についた。
視線を外せと言われた指示どおり、慌てて目をそむける。
そむけた先には、大人に肩を抱かれて慰められる子がいる。
その子を見ないようにすると、下を向いて唇をかみしめる子がいる。
どこを見てもそんな有様で、沈痛な面持ちで無い人などいなかった。
憑き物が落ちた、という顔で結果の紙を見上げる人もいたが、なんというか、諦めの表情に見えて、アタシはその人からも目を逸らす。
アタシより年上であろう子供らと、その親か指導者で埋まった空間は、悲しみに満ち満ちていた。
こんなに大勢の人が悲しんでいる光景を、見るのは初めてだった。
「せ、先生」
その空間にいることが怖くなって、たまらず呼びかけたアタシの手を取り、マユコ先生は言った。
「足を止めないでください。行きますよ」
そのままアタシの手を、腕を引っ張った先生は、早足で歩き出す。なんだかゾンビの群れから逃げる人みたいだ。
先生はそのまま入り口まで真っ直ぐ進み、傘立てに置いていたアタシたちの傘をひっつかむと、外へ出た。
「視線を向けるな、と言ったでしょう。……深呼吸、してください」
入り口の大きな雨よけの下、ショックを受け、呼吸が荒くなっているアタシを見て、先生はそんな風に言う。
外は相変わらず強い雨が降っている。
「ふっ…ふぅ~~っ……。……はぁ~~っ。……大丈夫です。落ち着きました」
言われたとおりに、深呼吸を数回して落ち着いたアタシ。
マユコ先生はアタシを入り口前のベンチに座らせると、近くの自販機から缶ジュースを2本買ってきて、横に座った。
「暖かい方でいいですか」
「はい。ありがとうございます」
風は少し冷たかった。雨だし、ジャンパーを着てくるべきだったかもしれない。車と室内だけだと思っていたから油断していた。
手渡された缶の温もりは、アタシの手の平をじんわり温め、中身の液体の甘さは少しずつアタシの心に沁みる。
「……ココアってこんな味がするんですね」
先生は、少し目を見開いて言った。
「……えっ、初めて?」
「あ、はい。で、でも存在は知ってましたよ。コーヒーみたいな味がするのかと思ってたんです」
「あなた、普段、家で何を飲んでるんですか?」
「水道の水とか、たまに母が入れてくれるお茶とか……。あの、缶の飲み物は普段買わないから、ココアを飲んだことなかっただけです」
先生に、物を知らないガキ、と馬鹿にされているようで、アタシはつい言い訳をしてしまう。続けて、アタシはこう言った。
「飲み物と言えば、祖母が健康食品にハマってて、ドクダミのお茶とかビタミンを固めたやつとか、お湯に溶かして飲むドロドロした栄養剤とか飲まされるんですよ。最近はマムシの粉末とか。すっごい苦いやつ」
アタシだって、色々知識はあるんだぞ、という思いがあったか、ついアタシの口は軽くなり、早口になってしまう。
「……マムシは、ごめんこうむりたいですね」
先生は苦笑いをしてそう言った。
「へへ。アタシもなるべく飲みたくないって言ってます」
〇
マユコ先生は、目を瞑って少しの間、何事か考えた後、ふぅ、と大きく息を吐いてアタシに尋ねた。
「あの場面を見た直後に、飲み物の話が出来るんだから大丈夫ですね。落ち着きましたか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
先生のおかげで、アタシの心はすっかりショックから立ち直っていた。
「そうですか。シオリさんのことがわかってきた気がします」
「アタシ?」
「そうです。レッスンのやり方を考えているのですが、なかなか難しく……いえ、生徒に言うことではないですね」
「はぁ……」
何と返事すれば良いのかわからず、アタシは思わず間の抜けた声を出してしまう。
「さっきの、全く喜びがない光景を見ましたね?」
「はい」
先生はアタシに真剣な顔で言う。アタシも内心襟を正す。
なお、慣用句であり、アタシは襟のついた服を着た記憶はほとんどない。
「あそこにいた人たちは、みなあなたより上手く、長い年月、一生懸命フルートに打ち込んできた人たちです。人と競うために真剣に楽器をやるというのは、さっきのような場面を何度も見ることになります」
「はい」
「それでも、頑張れますか?」
訊く先生の顔は真剣そのものなのだが、それ以前に、アタシには疑問があった。
頑張れますか、との質問に答える前に、それをはっきりさせておきたい。
「先生、質問なんですけど、あの人たち、なんであんなに悲しんでたんですか?」
「えっ?」
「だって、今日がダメでも次のコンクール、来年だってあるじゃないですか? みんな、アタシみたいにお金が無くて、参加費に困るとかなんですかね?」
「――っ。……」
先生は少し黙ってアタシをじっと見つめる。説明に困っている風だった。
「それに、今日の人たち、みんなすごい上手でした。今日、賞がもらえなくても、いっしょうけんめいにやって、フルートが上手になったなら、それでいいんじゃないですか?」
「……ん。……」
先生は言うべきことを探しているように、口を開いたり閉じたりし、視線をアタシから外して斜め下を見ると少し考え、言った。
「一生懸命やったらわかりますよ、と言おうとしましたが、それはあなたにとって良くない気がするので、理屈立てて話します。いい機会なので、説明になるかわかりませんが、少し聞いてください」
「はい」
「上達したのを決めるのは誰ですか?」
「アタシは、自分で上手くなったって思えたらそれでいいです。あと、先生と……」
アキに褒めてもらえたら、というのが、ちら、と後に続きそうだったが声には出なかった。
「一生懸命練習すると、いろんな人に褒めてもらいたくなるんです。評価されたくなるんです。みんな、『お前のフルートは凄い』と言ってもらいたいんです。で、コンクールというのはその『その日、その場で評価されたい』という目標の場になります」
「……はい」
「目標のコンクール、まあコンテストでも良いですけど。『今日、この場』で評価されないということは、練習してきた努力、いや練習してきた自分そのものを否定された気分になるんですよ。それが、さっき、あそこで見た悲しみの正体、その1つです」
先生は、エントランスの方向を見ながら言う。
あの場にいた人たちは解散しているだろうか。まだあの場にとどまっているだろうか。
一生懸命やった自分を否定される、というのはどんな気分なのか、想像するだけのアタシはまだ知らない。
「……少しわかった気がします。でも、これでフルートが吹けなくなるわけじゃないですよね? 今日評価されなくても、また立ち直って、みんな明日か、何日後かにはまた練習するんですよね?」
あんなに上手い人たちが、これで終わるわけがない。
アタシはそう思った。
先生の答えは厳しかった。アタシの考えは甘い。
「吹けなくなる人もいるんですよ」
「えっ!?」
まさか、これで指を折られるとか、笛が吹けなくなる呪いをかけられるとか、……ないない。そんな話はない。
顔に、大きなハテナマークを浮かべたアタシに、先生は言った。
「『全楽』は格付けの高いコンクールの1つですが、本選、全国大会まで行ければ、学校の内申書に書いてもらい、高校進学の推薦にも使えます。文部大臣賞が一番上にあるコンクールというのはそういうものです」
「はい」
「推薦に使える、というのは、高校に行けるだけではなく、その待遇も変わります。特待生、授業料免除の可能性だって出てくるんです。あなたの家は裕福ではないですが、授業料の高い私立高校へ行けますか?」
「……父は、私立はとても無理だから、高校は公立でたのむ、と言っています」
「高校に進学して楽器を上達し続けたければ、良い指導者がいる高校へ、進学するのが近道なんです。私立なら公立と違って転勤もありませんし、卒業生を広告塔にすべく、吹奏楽に力を入れている私学も多い。『全楽』は時期的に、高校への推薦にギリギリ間に合う最後のコンクールになります」
「……今日、ここで結果を出せれば、タダで高校に通えて、良い先生に見てもらえる、そう考えている人もいるってことですか」
「お金がない人ならそう。お金があっても、家の教育方針で『将来金にならない、食っていけない楽器なんてやめろ』『結果を出せなきゃやめろ』。なんてこともありますよ。中学3年生でなくとも。2年生でも、ここで結果を残せなければ、来年は受験だけという人もいます。さっき言った、本人が評価されたい、とは別に、評価されないと続けられない、そんな話ですね」
「……え、それって、つまり」
楽器を続けるには、楽器が上手くならないといけない。
上手くない人は続けていけない?
……仮に楽器が誰より好きな子がいても、誰でも続けられるわけではない……。
「もうわかりましたね、人生がかかっている人もいるんですよ。若い人生の一区切り、それがコンクールです。あなたも楽器はいつまで続けられるかわかりませんし、しっかりやりましょうね」
「……」
答えられるアタシはいない。
先生の言葉はとても他人事には思えない。
今日あの場所にいたのは未来のアタシかもしれない。
もっとも、アタシはフルートに人生をかけるほど、好きになってはいないけれど。
まあいずれやめるなら、そこまで好きになっても仕方ない、と考えてしまうのがアタシだ。
「そんな不安そうな顔をしないでください。目標や区切りとして見ているうちに、段々思い詰めて必要以上に重くなってしまう、そんな側面だってあるんですから。本人が思っているほど深刻なものじゃないのに、さっきのあの場所で人生が終わるみたいに感じていた人もいるはずです」
「そう……、そうですよね。別に死ぬわけでもないし」
ただ、アタシは想像すると恐ろしい。
今日聴いた人たちほどの音になるには、積み上げた努力は、鍛錬は、練習は相当だったはずで、そこまで行く間に辞めたくなる瞬間も何度もあったはず。
好きでなければ続けられないはずなのに、好きになってしまえば、最終的に終わりを決めるのは自分ではなく、ほとんどが他の要因であると示しているのが今日の光景だった。
「楽器を懸命にやるというのは、そういうことです。それでも、頑張れますか、とあたしは訊きたかったんです」
「……わかりません」
すぐには答えられそうになかった。
それでも続けて、アタシは言う。
「……でも、アタシは上手くなりたいです」
答えられなかった分、ではないけれど、正直な気持ちを口にする。
「そうですか。……今はそれでいいです。本質的には、今日喜べるのは、本選行きの代表たった1人だけなのに、なんでコンクールなんかやるんでしょうね……。まあその1人も、あの雰囲気では喜ぶわけにもいかないでしょうけど」
先生は静かにそう言った。
アタシは1つの疑問を口にする。
「あの、先生はやっぱり、今日ここで代表に選ばれるべきは、人生かかってるような、がけっぷちの中学生とかが相応しいと思いますか?」
仮にアタシが来年あそこに立てたとして、万が一勝てる実力になったとして。
あるいは、ここで勝たなくても続けていく道が他にある子がいたとして。
勝つべきなのは、楽器を死ぬほど続けていきたい、けれども負けたら続けていけない、勝てば続けられるそんな子だろうか。
その方が運命として、物語として収まりは良いはずだ。
先生は少し黙って、考えるそぶりを見せた後、口角をことさらに上げてにっこり笑い、アタシの苦手な、感情を読みづらい微笑を見せてこう言った。
「あなたがあそこで1番になれる実力になったら、教えますよ」
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第22話/99話 「掲示板 それぞれの終わり」 終




