第22話/99話 「掲示板 それぞれの終わり」①
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11月14日(日)
土砂降りの雨の日だった。
初めてみる『文化センター』は大きな建物だった。
高さは小学校より高いし、車道からゆるく横長の階段を上がって、広いスペースに面した入り口は、全面ガラスで立派だった。建物の奥行きは……広い。雨で暗いし、よくわからない。
午前のレッスンを終え、昼食を食べ、マユコ先生の車で15分くらい。
街中にあって、敷地も広いから、きっと土地代だけで相当するんだろうな。アタシはそんなことをちら、と思う。
「遠くから見ると、スピーカーを2つ並べたようにも見えて、かわいらしい形してるんですよ。今度見に行きましょう」
マユコ先生は楽し気に言った。
アタシはスピーカーをカワイイと思ったことはない。
文化センターには小ホールと大ホールがあるが、本日のフルート2次予選は、小ホールを使う。らしい。
「予選ですし、ホール内には、どうせ奏者と指導者、関係者しかいません。大した人数にはならないと思います。ああ、体調が悪くなったらすぐに教えてください。様子がおかしくならないか、あたしも常に見ているので安心してください」
マユコ先生がアタシの体を気遣ってか、そんなことを言った。
大丈夫だと思います、ありがとうございます、と答える。
建物内は外と違い、埃のない綺麗な空気で満たされていた。
マユコ先生が、勝手知ったる、とばかりに進むのでアタシもついていく。
大きな扉の前にスーツを着た係の人がいて、マユコ先生が話をする。
「奏者と奏者の入れ替えのタイミングでしか、扉は開けられません。トイレは大丈夫ですね。一応、出入りは出来ますが、一度入ったら、40番の奏者が終わるまであたしは出るつもりはありません。中に入ったら、静かに。特に演奏中は絶対声を出さないように。あたしについてきて、隣に座ってください。扉が開いたら、行きますよ」
マユコ先生が真剣な顔でアタシに言う。
アタシはその表情と緊張感が少し怖くて、両手で口を抑えてコクコクとなんどもうなずいた。
「まだ大丈夫ですよ」
マユコ先生がふふっと笑う。
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「行きますよ」
係の人が扉を開けたタイミングで、マユコ先生に続いて中に入る。
映画館と似た作りで、正面、下の方にステージが見える。
前に3つ、段差をはさんで後ろに3つ、大きく6つに分けられる客席ブロック。大した人数はいない、とマユコ先生は言っていたが、前の方は埋まっていた。
照明が落とされて暗い客席。躓かないように段差を下りる。後ろの方のブロック、前の方の席に、マユコ先生に続いて座る。
座って前方を見れば、アタシのいる暗い客席と対比されるように、白い光に照らされたステージは輝いて見える。
次の奏者はすでにステージ上に出てきていた。
これから、アタシが目標にすべきレベルの人、その一人だと思うと、自然と体が硬くなる。
……と、マユコ先生に肩を叩かれたので、そちらを見ると、背もたれに体を預けて、アタシにも同じようにしろ、と手で示している。リラックスしろということらしい。
……ふう。大きく息を吐く。気張っていても仕方がない。
言うとおりにする。
椅子はアタシの体には大きく、深く腰掛けるとアタシの足はほぼ床に着かない。
なんとなく、アタシの居場所ではないような気がした。……いずい。
ブーーッ
会場にこれから楽器を演奏する雰囲気には似つかわしくない、無機質なブザーの音が流れ、アナウンスが続く。
『26番 島田アキラさん 演奏は課題曲3番です』
ブザーの直前に舞台へ上がった、セーラー服姿の中学生が、構えた笛から奏でられる音は、すぐにアタシのそれとの差をわからせてくる。
少し離れた位置にいるはずなのに、指向性のないフルートの音なのに。
真っ直ぐここまで届くと感じるそれは、アタシの笛の音とは質が違う。
アタシの音よりも、マユコ先生が普段レッスンで聞かせてくれる音に、ずっと近いように聞こえた。
(この人と同じくらい吹けるようになるにはどのくらいかかるんだろう……)
曲が終わるまで、その人がいるステージからは目が離せなかったが、見えている光景はずっと遠いところに感じられた。
曲が終わり、最初の人がお辞儀をして、退場する。
奏者の入れ替えのタイミングで、マユコ先生が耳打ちしてきた。
「1年後、あなたはあのステージの上にいます。そのつもりで聴いてください。イメージを作り上げてください」
アタシは黙ってうなずいた。
そんなイメージは全く持てなかったのだが、可能な限りそれに近づけるように。
次々に出てくるセーラー服姿の中学生、時折、ドレス姿や学ランのそれが、構えた笛を奏でていく。
(ああ……)
アタシは奥歯を噛みしめながらそれを聞く。
(この人も上手いなあ……)
背もたれに体重を預け、リラックスしているはずなのに、膝の上で組んだ手は気づけば力が入り、震えていた。
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『――以上をもちまして、全日本楽器コンクール2次予選、フルートの部を終了いたします。結果発表は30分後、ホールの掲示板に貼り出されます。奏者のみなさん、お疲れさまでした』
会場に流れるアナウンス。客席が少し明るくなる。
「どうでしたか? とても音楽を聴く顔ではない顔で聴いていましたけど」
笑顔のマユコ先生が、背もたれに体重を預けたアタシをのぞき込みながら質問する。
「アタシ、そんな顔してましたか?」
不思議に思って、聞き返す。
ステージにいるイメージで、と言ったのはマユコ先生で、アタシはただ凝視していただけのはずだ。
「ええ。とんでもない顔で。まるで、親でも殺されたみたいな顔で、出てくる一人一人をずっと睨みつけていましたよ。何度も注意しようかと思いましたが、集中している証拠かもしれない、とやめておきました」
マユコ先生はずっと笑顔だ。なんとなく、アキの普段の表情と似ている。
考えが読み取れない、アタシの苦手な、穏やかな微笑だ。
「ごめんなさい。気づいていませんでした。気を付けます」
「いえ、いいですよ。闘志を燃やすのは悪くありません。ただ、音楽はもっとゆったり、穏やかな気持ちで聴けるようになりましょうね」
「はい。ごめんなさい」
返事をしたものの、先生の言葉はただの理想論に感じられ、それがいつになるのかはわからなかった。
アタシはおそらく悔しさを隠せない。
「で、どうでした? こういったコンクールを見るのは初めてですか?」
「初めてです。……ステージが輝いてて、きれいだなと思いました」
「ああ、ライトの照度が一般の物とは違いますからね。ステージの上はすごく熱いですよ。立った時、びっくりしないでくださいね」
「へえ…」
「呆けた顔をしないでください。今日ここで聴いてもらった通り、あの場に立つ人たちはみな上手いです。二次予選に出るだけでも大変なんです。……来年ステージに立つ、その一人になるイメージは出来ましたか?」
「……いえ。……あんまり。ごめんなさい」
アタシの正直な気持ちだった。
出会って1月と少し、マユコ先生は指導を一生懸命してくれるし、アタシだって応えようとしている。
それでも、あの場に立つ、その道筋は心に描けなかった。
今日演奏した人たちとアタシの差はそれほどだった。
「謝らないでください。大丈夫です。大事なのは目標を決めてそれに向けて進む心です。今日、この場で本番のコンクールを見たことを、プラスの経験にしてください」
マユコ先生はずっとアタシを励ましてくれている。
アタシは応えないといけないのだ。
「どうやったら来年、あそこに立てますか?」
「あたしが考えます」
「でも……」
「大丈夫です。あたしを信じてください」
先生もだけれども、アタシも何か考えた方が良いのではないか。
物事の上達は頭を使った方が早いはずだ。
そう思ったけれども、遮られる。
のぞき込む先生に、アタシの目線は合わせられず、下を向いてしまう。
ふっと、マユコ先生は立ち上がりながら言う。
「それじゃあ、今日は帰りましょうか」
話している間に客席の退場は進み、前の方のブロックも空席ばかりになっていた。
「はい。わかりました」
アタシも立つ。
「足元気を付けてくださいね」
出入り口の扉は上部にある。
ライトがあるとはいえ、足元の段差は少し不規則なので、歩きづらい。
先生に続いて登り、退場s……
「わぷっ」
マユコ先生が突然、弾かれるように立ち止まる。
アタシは勢いを止められず、顔から先生の背中にぶつかった。
「……先生?」
「用事と、やらなければいけないことを思い出しました。いったん解散するので、トイレを済ませてきてください。15分後に、今から出る扉の前で集合しましょう」
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