第67話/99話 「ぶつかる その正しさ」
〇
6月5日(月)
「あい、お~ん♪」
「I WANT ♪」
「「み~ まい まぁざ~♪」」
ぺちぺちぺちぺち
ぽんぽんぽんぽん
いつもの音楽室。
ヒトミとアタシの声が響く。
ボンゴを叩きながら。
ちなみに、やけに英語の発音が良くて、歌うと高音の伸びが良いのがヒトミだ。
……なんとなく、キレイよりも嫌味の方が勝っている、そんな声である。
「あい、お~ん♪」
「I WANT ♪」
「「み~ まい まぁざ~♪」」
ぺちぺちぺちぺち
ぽんぽんぽんぽん
「あい、お~ん♪」
「I WANT ♪」
「「み~ まい じぃざぁす♪」」
ぺちぺちぺちぺち
ぽんぽんぽんぽん
「「あい お~んちゅ り~び~ず ごぉ~っど♪」」
〇
「シオリ、これは何をやってるの?」
「お、良いところに。アンタもやりなさいよ」
アキが音楽室に来たので、巻き込むことにする。
3人いたほうが、効果がある。
「いや、何をやってるのかって、訊いてるんだけど?」
「楽しそうに見せる。今日からは、毎日10分、練習開始からは、これをやろうと思う」
アタシは学んだ。
今の楽器クラブは、どうも外から見ると、堅苦しくて、楽器に本気で打ち込んでいるやつだけが混ざれる、そんな雰囲気があるらしい。
だから、『気軽に』『楽しそうに』見える、そんな雰囲気を作ろうと思う。
「意味あるの? そんな打楽器叩いても、何かプラスになるのかな」
「ボンゴ叩いて歌う。ソルフェージュみたいなもんでしょ。喉のとおりが良くなって悪くなることは無いんだし。今日から、練習開始10分はこれやるからね」
喉のとおりが良くなって得するのは管楽器だけなので、ヒトミには関係ないのだが。
まあ……付き合ってもらうしかない。
が、アキは苦々しい顔をしている。口を開くとこう言った。
「……ソルフェージュなら、正しい方法でやろうよ。いまさら言わなくても、……シオリだって知ってるでしょ。こんなの、違うよ」
音楽の練習法、ソルフェージュにはやり方がいくつかある。
基礎のソルフェージュ。音階をイタリア式――いわゆるドレミで口に出して、声でその音を出す。ピアノ等で直後に音を出し、正解を確認しながらやる。
移動のソルフェージュ。ある1音をド、として音程をそこから追っていく。
リズムのソルフェージュ。口でリズムを歌い、手でも何かを叩き、体に叩きこむ。
基礎とリズムを同時にやるソルフェージュ。声でドレミを歌いながら、長さもバラバラにやる。
楽器の練習として基礎でやるのは、大体そんなところだ。
―――――つまり、今、アタシたちがやっている、ボンゴを叩きながら、英語で歌うのは、ソルフェージュではない。
厳密に言えば。……いや、厳密に言わなくても。
「……ちょっと来て」
アタシはアキをひっぱって、楽器室の扉を開け、そのまま中へ。
なんだか雰囲気が悪くなりそうなので、ヒトミに見られたくなかった。
中に入った、アタシは言う。
「そりゃ、アタシだって、あれがソルフェージュじゃないことくらい、わかってるよ。でもさ、そう思ってやっていくしかないんだって」
「正しくやろうよ、上手くなりたいから練習するんでしょ」
「そうだけど……。ドレミをそのまま歌ってるところなんて、外から見たら楽しそうに見えないんだ。机を叩きながら『タンタンタタタ』なんてやったところで、どこが楽しいんだって、言われる。……わけわかんない言葉を歌いながら、何か叩いてる方が楽しそうに見えるんだよ。……アンタも去年やってたじゃん」
そう。
アタシがどうやったら、楽しそうに見えるのか、足りない頭をひねって考えた結果は、去年の野外活動で見た、アホな男子たちの上半身裸の民族衣装とバケツ――バケツ族。命名アタシ。――だった。
よく知らない言語で、打楽器を叩き、歌う。音楽と言えるのか、怪しい音楽をする。
小牛田先生に、その話をしたところ「おお、ああいうのやるのかい。じゃあ、歌いやすい曲を用意するよ」と言って用意してもらったテープ。それに入っていた曲をアカペラで歌えるように覚えたのが、ヒトミと歌っていた曲である。
ちなみに、去年の野外活動を仕込んだのも小牛田先生だとか。民族音楽が好きらしい。
「……まあ、やってたけど、あれはお遊びで……。僕は、練習するならちゃんとやりたい。大体、音を聴かせるなら、ドアを開けているんだし、それで十分じゃないの」
アキの態度は変わらない。
考えてみればコイツは、普段は基本的に人当たりが良くて人望も厚いけれど、音楽に対しては妥協しないし、特にトランペットに対してはプライドも高い。
説得は難しいかもしれない。
それでも、アタシは、想いをぶつける。
「ダメなんだよ、それじゃダメなんだ」
「どうして」
「重いんだよ、近寄りがたいんだ。堅いんだよ、誰でも来れる世界に見えないんだ」
考えた結論。おそらくは。
ヴァイオリンも、全国一のトランペットも、そしておそらくはアタシのフルートも。
子供にとっては、どれも近づきたくない。
考えてみれば、当然だ。
桜山の一般家庭には、どの楽器もない。金持ちの、文化的背景のある家ならともかく。
アタシの家にはあった。パパのホルンとママのフルート。
ただ、それは両親がたまたま吹奏楽をやっていたからで、そこまで多い例ではない。
そして、仮に親が吹奏楽をやっている家庭で、そこに楽器があったとしても、ほとんどの場合、子供はやらない。
何故か。――親が勧めてしまうからである。大体は子供が「やりたい」という前に。
子供が自発的に始める前に、親が勧める物を、子供はやらない。やっても続かない。残念ながら。アタシのピアノだ。
だから、アタシたちは、人を誘うなら、音楽室にある楽器で勧誘するしかない。
もし家に楽器がある子でも、まずは来てからだ。やってみたい、と思えるまで。
「……そうなのかな。でも、そんなことして、なんになるの? 来たとしても、そんなにやる気のある子じゃないよ。間違った音楽で来る子なんて、ちゃんと音楽やらないよ。練習する気がある人だけでいいじゃない。その、……僕たちだけでもさ。大体、シオリは今のやり方、楽しいの? 楽しく見せたいのは分かるけどさ」
「……楽しくはない。けど……」
正直に言えば、アタシだって、自分の練習に集中したい気持ちはある。
年に1回の目標、『全楽』の予選だって、あと4ヶ月と少ししかない。
それでも、多分このままクラブを放っておくほうが、アタシの心に憂いを、しこりをずっと残すような気はする。
こんなにも素晴らしい音を持つアキやヒトミの居場所が、こんな寂しい場所で良いはずがない。
コイツが満足しているとしても、それは自分でも気づかない諦めの入った満足だ。
「ね? 僕たちだけでいいでしょ。ついてこられる人だけでさ。ちゃんとやってれば、同じような人が来るかもしれないし」
アキの態度は頑なで、言っていることはきっと正しい。
それでも、それはアタシの心を苛立たせた。
「――――っ! ……2年前のアタシは、ただの素人だ」
「あっ……」
眉間に、力が入るのを感じる。
今のアタシは、アキを睨みつけている。
きっと、アタシは。
「アンタが合奏に誘ったときのアタシは、フルートを持ったこともない! ただ『家にある』って言っただけだ。そして、アンタも気づいてたんだろ? あんなに下手くそだったんだから! なんで誘った? なんで続いた? アンタが誰かと合わせたかったからだろ? 合わせる相手が、アタシやヒトミがそこにいるから、もうそれでいいのか!?」
アタシを救ってくれたコイツの音を、もっと心から肯定したいのだ。
もっと大勢の人に、認めてもらいたい。今、ここで。
息が、語気が荒くなる。
アキからの返事はない。
ただ、少しこわばった顔で、アタシの怒鳴り声を聞いている。
「わかるだろ? きっときっかけさえあれば、2年前のアンタみたいなやつが、いや、2年前のアタシみたいなのでも、来るはずなんだ。いるはずなんだよ。頼むよ。一緒にやってよ。アンタがやってくれれば、それだけでアタシは頑張れる」
「……気持ちはわかる、けど……」
アキは、なんだか、気まずそうな、追いつめられたような表情をしている。
睨んでいたはずのアタシの顔は、今はどうだろう。
睨んでいるが……心は、懇願だった。
「それに、アタシは……、もっと、もっと人を集めて……アンタのすごい音を、トランペットを、みんなに、大勢に聴いてほしいんだよ」
「……僕が一番聴かせたかった人は、もういないよ」
きゅっ、と。
心が締め付けられる。
アキから返ってきた言葉に。
――忘れていた。今アタシが感情をぶつけていたのは、ただの12歳の少年で。必死にラッパにすがって、それをかき鳴らしていた、ただの――最愛の師を失くしたばかりの子供。
「ご、ごめん」
アタシの頭が急速に冷える。
顔から、体から力が抜けるのを感じる。
――アタシは何をやってんだ。天才だと思って好き勝手に感情をぶつけて。アキに甘えている場合じゃないのに。
と。
しかし、アキの表情は、明らかに動揺していて。
「い、いや、僕こそ、ごめん。そ、そんなことを言うつもりじゃなかった」
狼狽しながら、そう言った。
バカヤロー!
謝るんじゃない。
そんな言葉を言わせるくらい、追い詰めてしまったのはアタシだろうが。
下唇を噛んで、床を見るアキが見える。こんな時まで正しく在ろうとしているのだろうか。
「……いや。今のはアタシが悪かった。……今日はちょっと冷静になれないから、また今度話そう」
「うん……」
楽器室を出るアタシたち。
アキは、そのまま音楽室を出て行ってしまった。
ヴァイオリンを構えて、弾く途中のヒトミが見える。
目が、合った。
「ごめん、情けない先輩で」
アタシは、目を逸らしながらそう言った。
「元気出してください。それが取り柄じゃないですか」
「……ん」
〇
第67話/99話 「ぶつかる その正しさ」 終




