第65話/99話 「示す ここにいる」
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5月16日(火)
視聴覚室。
独特のにおい。古いような、新しいような。
ワックスのにおいに混ざって、あまり動かされないカーテンのにおいか。布は長期間動かさないと、変なにおいがしてくる。
普段の教室より薄暗い。教室自体も締め切ると暗いけれど、ここはもっと薄暗い。照明が間引かれているから。
響く重低音。なんらかの機器の。ただ、大きい音ではない。空間に、アタシのへその下の方に、重たい何かかが、ただ、ほんのわずかに在る。
キッチリ整頓された机と椅子。かなりすっきりしていてこれは好きだ。教室と違って余計なものや貼り紙、ポスターもないし。
アタシの、アタシたちの、比較的新しい縄張り。
あまり響かない部屋に、アタシのロングトーン。
「シオリ、これ、どうしたの? 扉を開けたままにして」
入り口から、大声でアキが話しかけてくる。
コイツの声は良く通る。響かない部屋でも。
アタシは練習を中断する。
「ああ、そのままにしておいて」
今日は、視聴覚室の扉をあけ放っている。
「迷惑じゃない?」
「先生は、いいって言ってたから」
ちゃんと許可はとってある。
「どういうことなの? 説明してよ」
「……人を増やしたい」
桜山小のクラブ活動は、5年生になったら、いずれかのクラブに入らなければいけない、というもの。
金曜の放課後は基本的にクラブ活動に充て、途中で移籍もすることができる。
そして、勘違いしないで欲しいのが、5年生以上は強制参加だが、4年生以下が参加してはいけないわけではない、ということ。
つまり人を、楽器クラブのメンバーを増やす余地はある。
だから、扉を開けてみた。
「アタシたちが練習してれば、必ずそこに音があるでしょ? だから、それを聞けば、誰か興味を持ってくれるかもしれない。扉は開けておこうよ。どうせ、他が授業してる時間でもないんだし」
ここに、アタシたちはいる、というメッセージ。
「そうか。音楽室も、扉開いてたから何かと思ったよ。でもさあ、人が、メンバーが増えたら、僕たちの練習場所、無くなっちゃうよ? どうするの?」
「心配だから、先生に、それも言った。『練習場所も、方法も考えるからやってみなさい』だってさ」
そういうのは、大人が考えることだ、と。
アタシは続ける。
「だから、アキも、誰か来たら、積極的に誘ってね。アタシより話上手いんだから。ヒトミにも言ってある。あの子は、なかなか友達出来てないらしいから、言葉があんまり得意ではないかもしれないけど」
ヴァイオリン以外はいまいち、っぽかった。
悪い方に天然っぽいのが出てるのが、一因かもしれないけど。
「う~~ん、まあいいけど」
アキは少しひっかかるものがあるように、それでも了承した。
この週、アタシたちの練習をのぞきに来る子はいなかった。
音だけでは足りないのかもしれない。
〇
5月20日(土)
かきかきかき。
「これでよし、と。次」
とっぷり更けた夜更け。
アタシとシュンの子供部屋。
パパのお下がり、ゴツイ木の机がアタシの勉強机だ。
工作を昔はよくしていたらしく、表面がボコボコしているが、下敷きを敷けば問題ない。
ぱさ、と落ちる大きな画用紙。
そんなものでも、ほとんど使い途のないとはいえ、少ない小遣いで買った貴重品である。
レッスン後の疲れた体。
夕食を食べて、眠けをこらえながら、アタシはクレヨンで絵を描く。
「ねえちゃん、これ何? メンバー……」
「募集中、よ。3年生なんだからそのくらい読めるでしょ」
シュンの疑問に応えるアタシ。
作成しているのはポスター。絵と大きな文字の。
誰もアタシたちをのぞきに来ないのは、楽器クラブの存在が、子供たちの間に一般的でないからかもしれない。
だから、周知だ。
ポスターを校内の掲示物として、貼ればいいだろう。
「ええ~~? 読めないよ。習ってないもん」
「習ってなくても、本くらい読むでしょうが」
「ぼく、マンガしか読まない」
……そうか。
アタシは、ふと気づく。
楽器をやりたい子、というのは、漢字がそれほど読めない子もいるかも知れない。
アタシは小説が好きだし、アキもヒトミもなんとなく、アタシより頭がよさそうなタイプだから盲点だった。
「……シュン、ナイス」
ひらがなとカタカナだけにしよう。
「ところでさ、これ、下の絵はなに?」
「楽器だ。トランペットとフルートとヴァイオリン」
メンバー募集中!、と大きく書いた下には、アタシたち3人の楽器。
ポスターにはこういうものが必要だ。
「がっきかあ! ねえちゃんは絵も上手いんだねえ」
「ふふん、6年生だからね」
図工の授業以外であまり絵を描くことはないし、評価をもらったこともないが、ポスターは伝われば十分だろう。
「ぼくも何か手伝おうか?」
「ああ……じゃあ背景を、一面に水色にして。絵と字にかからないようにね」
「うん、わかった」
シュンのおかげで捗りそうだ。
枚数は……15枚もあればいいか。
アタシは掲示委員。校内で貼れる場所くらい知っている。
「あと……12枚か」
明日は、朝のランニングは休もう。
〇
5月22日(月)
「よし、じゃあ、これを校内に貼るから手伝って。許可はとってある。よろしく」
いつもの音楽室。
アキとヒトミとアタシ。
ばさ、と。
音楽室の机の上に、ポスターを置くアタシ。サイズはA2。
ただの厚紙でも、15枚もあると案外重いな、と思っていたところだ。
2人は、ポスターを見て、動きを止める。
「……シオリ。朝に聞いてたけどさ」
「うん」
「その……いや……」
朝、ランニングの時にアキには話してある。
だというのに、何か口ごもってモジモジとしている。
まだメンバー集めに思うところがあるのだろうか。
と。
「初鳥先輩、これは……飼育委員のポスターですか? 学校にはいない動物ばかりですけど。なぜ、私たちが貼らないといけないんですか?」
「えっ、うちのポスターだよ? 楽器クラブのポスターだよ?」
きょとん、とした顔で訊くヒトミに、答えるアタシ。
「だって、カバが描いてあるじゃないですか」
ポスターの絵を指すヒトミ。
何いってんだ、コイツ。
「いや、それはヒトミのヴァイオリンだから」
「ええっ……?」
絶句するヒトミ。
「3つの楽器が、つまりアタシたちの楽器が描いてあるでしょ。どう見てもヴァイオリンでしょうが」
シュンだって、上手い、上手い、と言っていたんだぞ。
何がカバだ、このバカたれ。
顎を、かく、かくとさせるヒトミ。
「……シオリ、もしかして、このダックスフントは」
「トランペットだけど?」
「あの、じゃあこのナマズみたいなのが、初鳥先輩のフルートですか?」
「うん」
……。
……えっ、この2人、もしかして、絵が読み取れないタイプか?
ヒトミはともかく、アキはなんでもできると思っていたから、意外だな。
2人は顔を見合わせると、真剣な顔でうなずきあった。
「……シオリ、せっかく作ってくれたけど、このポスターはやめておこうか……」
作り笑顔のアキがそんなことを言う。
「は? なに、アタシの絵が気に食わないの?」
イラっとして、語気が強くなる。
絵の好みでポスターの使用について、可不可を決めないでいただきたい。
「あ、ち、ちがうんです。初鳥先輩。……これだけじゃ何のポスターか、わかりづらいじゃないですか。ほら、『楽器クラブ』とか入れたほうが良いと思うんですよ。活動場所とか時間とか」
「む……」
確かに、もっともな意見だ。
「そうだね。ポスターの裏は使ってないみたいだし、裏面で作り直そうよ」
「ぬ……ぐ……くそ」
2人の言うとおり、『メンバーぼしゅうちゅう』としか書いていないし、どこでやっているかもわからない。
「あの、私、絵を描きますよ。楽器の絵ならある程度描けますし」
練習時間が一番限られているヴァイオリンが、そんなことを言う。
違う、アタシはアンタの練習時間を、削るつもりなんかなくて。
……だから土日で作ってきたのに。
「そっか。じゃあ、シオリはアピールする文字を考えてよ。で、字を書いて。あと、最後の背景を塗る役をお願い。僕とヒトミで絵は描くからさ」
師を失った努力家のトランペットが、そんなことを言う。
アンタがなんでもできるのは、知っている。
それでも負担を掛けたくなかったのに。
「……わかった。じゃあ、お願い。2人とも」
「3人の楽器以外も入れたいですよね、ピアノとかクラリネットとか」
「リコーダー、ピアニカも入れておこうか。初心者も来るかもしれないし」
もしかしたら、心の底では、練習に支障が出るかもしれないし、メンバーを増やすことに複雑な想いはあるかもしれない2人。
それでも2人は手伝ってくれる。きっとアタシがやりたいと言っているから。
その後
「がっきクラブ
メンバーぼしゅうちゅう
ほうかご いつでも
おんがくしつ しちょうかくしつ」
と書かれたポスターは完成し、翌日、校内へ貼られた。
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第65話/99話 「示す ここにいる」 終




