第64話/99話 「揺れる 彼方から」
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「ヒトミ、音楽室を基本的に使って。何かあった時は、アタシかアキのどっちかが視聴覚室にいるから」
「はい、わかりました。でも、いいんですか?」
「視聴覚室でヴァイオリンは、さすがに、奇異の目で見られそうだから……。それと、金曜はなるべくみんなで合奏しよう。まあ、出るイベントとか決まってからだけど」
決定事項をそんな風に伝える。
アタシたちに悩む時間はない。ヒトミ、アンタもだ。
悩むなら、その分、吹け。
あ、管楽器じゃないんだっけ。えーと、……弓をしごけ?
アキは「別に、視聴覚室が使える事実があれば、僕たちは、2人とも屋外で練習しても良いんじゃない?」なんて言っていたけど、下級生を校内に1人とか心配だろうが、と言ったところ、渋々納得していた。……納得はしていないのかもしれない。
昨年は、潜水トレーニングのためにコミュニティセンターへ行く日も多かったけど、なるべく校内に留まるようにしよう。
別に、「コミュセンへ移動→フルート→潜水」が「フルート→コミュセンへ移動→潜水」になるだけだ。気持ち的に区切りがつけづらくなるだけで、大きくは変わらない。
「フルート→ため池へ移動→フルート」の日もあるわけだし。
〇
そんなやりとりをして、3週間ほど。
放課後、なんとなく音楽室。ヒトミの様子を見に、練習場所へ散る前に寄るのが日課になっていた。
「美雲先輩、こないだもらった曲、合わせませんか?」
「ああ、うん、いいね。シオリはどうする?」
「アタシ、今日は、師匠にもらった課題曲やらなきゃだから……」
少しだけ心配していたアキとヒトミは、あっさり親密になっていた。
アキは元々、社交性が高いし、面倒見も良い。心配することもなかった。
ヒトミは……頑張っている。
「風強い日でも、外でも吹くんですか? めっちゃ手荒れるじゃないですか」
時々、ナチュラルに失礼なことを言ってきたりもするけど、天然だとして受け入れよう。大体、お前の左手だって、春なのにボロボロだろうが。……楽器のせいで。
クラスでは相変わらず、中々友達が出来ないらしい。直接、「友達できたか」とは訊けないので、ユミ伝いに聞いた限りだが。
仕方ないよな……放課後にヴァイオリンばかり弾いてる転校生――ユミ曰くお嬢様学校からの――だし。
そんなある日。
〇
5月15日(月)
「シオリ、電話よ。榎本カヤさんって言う子。すごく礼儀正しい子ね」
布団に入り、落ちかけていたところ、ママに起こされる。
カヤ。
――カヤ!?
確かに、去年、連絡先を交換したけれど、本当にかけてくるとは思わなかった。
脳裏に蘇る、楽しい思い出。苦い思い出。
なんだろ。っと、待たせてはいけない。カヤはいい子だ。
「もしもし、シオリです。カヤ?」
「あ、シオリ? よかった~~、間違ってなくて」
電話越しでも、半年ぶりでも、カヤの声は甘ったるい。
「うん。久しぶり。何かあった?」
「あのね、シオリ、勉強はできる?」
「まあ……出来ない方ではない、と思う。思いたい」
アタシの筆記テストは基本満点だ。
……とはいえ、所詮ただの公立小学校の勉強。
カヤの通っているのはエスカレーター式の私立の小学校。
勉強のレベルも違うのかもしれない。
なのでこんな答えになる。
……ヒトミの転校前の学校も、聞く限りでは似たようなものらしい。アタシには、それぞれの学校の違いは良くわからない。
「そうなんだ。あ、でも、もし出来なくても心配しないで。私が教えるから」
「うん。……ん、なんの話?」
「そっか。そっちからだ。あのね、来年、中学に上がるでしょ? シオリ、うちの学校に編入してこない? 中学は地方の子も結構いるんだって。寮もあるからさ」
「……え?」
まだ、アタシの頭は寝ぼけているのだろうか。
いまいち内容が頭に入ってこない。
「アタシ、中学受験なんかするつもりないけど」
「それがね、聞いてよ。今日、中学の吹奏楽部の先生がうちのサークル見に来たんだけど」
「うん」
カヤは、学校主催の音楽サークルに入ってる、とか言ってたっけ。詳しく聞いてないけど、アタシと似たような立場なのかな
「フルートの中で、私だけ、声かけられちゃって。去年、『全楽』の本選出たでしょ? で、小学生で本選出るようなすごい子って、サークルの先生が紹介してくれて。来年、ぜひ来てって言われたから」
「へえ~~……すごいね。いいなあ」
アタシもそっちの小学校にいれば、声かけてもらえたのかな。
……夢のまた夢だな。金もない。地域も違う。
「ありがとう! それでね、中学校の顧問の先生に、私より出来る子がいるんです、って、シオリの話をしたの。そしたら、『全楽』の本選に出るような子なら、編入試験なしで中学に編入できるんだって。だからさ、来年、良かったら、うちの学校に編入してこない? シオリと一緒にフルートやりたいなあ……。シオリが寮に入るなら、私も入るからさ」
「あ、そ、そうなんだ」
試験免除と言われても、我が家の経済状況で、私立の中学に行けるわけはない。
……学費、絶対高いんだろうなあ。一応、調べては見るか。
寮って言っても、無料じゃないんだろうし。
カヤにとっては、ただの選択肢の1つだろうけど。
「どう? 一緒に、吹奏楽部入ろうよ。結構強くて、全国常連なんだって」
アタシは一瞬、一瞬……、……一瞬だけ、お嬢様学校の寮生活、学校生活を想像する。
ピンクとか白っぽい制服を着て、三つ折りの靴下履いて、「ごきげんよう」とか言って、紅茶とか飲むのかな……。
学校に併設された寮から、朝は仲良いカヤと一緒に学校に行って、放課後は、たくさんフルート吹いて、全国目指して、同級生とか先輩と一緒に頑張って。
甘酸っぱい青春。
……発想が貧困すぎて、それ以上浮かんでこない。
朝の会で賛美歌を歌ったりするんだろうか。
「う~~ん。……そうなんだ。少し、考えてみるね」
嘘だ。考える余地があるわけない。
「そっか。うん、考えてみて。絶対、楽しいと思うんだよね」
カヤの甘ったるい誘い。
それに、心が、ずきりと痛む。
――そして、アタシが気になったのは。
「そういえばさあ、さっき、『フルートの中で私だけ』って言ってたけど、そっちはフルート何人いるの? 音楽サークルって全部で何人?」
「フルートは私を入れて4人かな。私が1番うまいけど、シオリが来たら2番になっちゃうね。……へへ。サークルは、何人だろう? 30人はいるはずだけど、40人はいないかな」
「さっ……、え、カヤの学校って1学年は何人?」
聞いた気もするけど、確認しておきたくなった。
うちは3人だぞ。
「35から40人のクラスが3つだから100人ちょっとかなあ……。シオリのところも同じくらいなんでしょ?」
……人数、桜山と変わらないじゃん。
なんでカヤの学校は人がいて、うちはいないんだ?
「う、うんまあ……。フルートの他ってどんな楽器の人がいるの?」
「え? 普通に……トランペットとかトロンボーンみたいな? サックスとかクラもいるよ。チューバとかユーフォは、学校にはあるし、マイ楽器持ってなくてもやれるんだけど、あんまり希望者ないから、余ってるんだあ。大きくてかっこいいのにね」
……余ってる!?
金管楽器が余ってる!?
うちの音楽室、楽器室にはまず管楽器が無い。
学年の人数もそこまで変わらないのに、人数も全然違うし、なんというか……文化の土台が、土壌が違う。
「……ああ、チューバかっこいいよねえ」
ぎりり、と。
鳴りそうな歯を、電話の向こうに聴こえないように堪える。
カヤが目の前にいなくて良かった。
「そうそう。もったいないなって。シオリのサークル、……クラブは何人いるの?」
「うち?……うちは3人」
全員でだが。
「へえ。でも、シオリが一番うまいんでしょ?」
お、フルートだけで3人、みたいな意味に受け取ってくれたかな。
しめしめ。
黙っておこう。
「……いや」
「そんなことある!?」
「本当。1人は確実にアタシより上で、もう1人は……評価できない。でもものすごい」
その1人、カヤのお姉ちゃんのほうのライバルだけど。
「ウソだあ……。でも、シオリ、ウソつくような子じゃないもんね。……そっか。大会に出てなくてもすごい子っているよね。うん……頑張らなきゃ」
カヤの声の調子が甘ったるいものから、少し決意を秘めたものに変わる。
素直でいい子だ。いい子なんだよ。
「ん。アタシも」
「じゃあ、編入のこと、考えておいてね。今年は『全楽』前にも、他のコンクールで会えたらいいなあ。そっち行くことあったらまた連絡するよ」
「ん。おやすみ」
「おやすみ~~」
受話器を置く。そっと。
…………。
「――――っ! ぐっ! ふっ! ……ぁぁぁあああああああああ!!!!!」
叫ぶ。
堪えられない、思考が整理できない。
わからない。感情の持って行き先がない。
だから叫ぶ。
「……ねえちゃん、だいじょうぶ?」
「シオリ、どうしたの?」
ママとシュンが心配して話しかけてくる。
「……大丈夫。……寝る」
そう言い残して、ベッドに戻る。
大丈夫も、どうしたも、アタシにだってわかるかよ。
……30人、40人かあ。
脳裏に「3人しかいないんだ」と言っていた、初日のヒトミの声と顔、愕然とする表情が浮かぶ。
「……えっ、これで全員なの? 3人しかいないんだ……」
「3人しかいないんだ」
「3人しか」
……リフレインする。
アタシはいい気になっていた。
後輩ができて、ちゃんと先輩をやれてると思っていた。
環境を整えてやって、みんな練習出来て、それで十分だと。
――場所だけじゃダメなんだ。
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第64話/99話 「揺れる 彼方から」 終




