第91話「黒の災禍」
ベリウスは魔法を封じられた。
退路はなく、闘氣術を使う数百の冒険者に囲まれている。冒険者たちはネーラの【改変】の影響で疲れ知らずの戦闘マシーンだった。
絶体絶命の状況だ――普通なら、そうだろう。
「なんだ、俺の言葉が理解できなかったか? お前の負けだと言っているんだ、ネーラ」
ベリウスはマジックスクロールを取り出して、言った。
ネーラはわけがわからないと首を傾げ、数瞬後、ハッと顔を上げる。
「まさか、その中に……っ」
「ああ、そのまさかだ。貴様の小細工程度、このありふれたアイテム一つあれば壊してやれるんだよ」
マジックスクロールは、任意の人物が込めたスキルを発動することができるアイテムだ。
基本的には、冒険者ギルドに登録した際に、お守りとして配られるもので、初級冒険者が、上級冒険者にスキルを込めて貰うというのが慣例となっている。
だが、もちろん自身のスキルを込めることもできる。
「クリスタルの影響で魔法は発動できないが、これなら魔法を使った判定にはならない」
このベリウスがスクロールに込めた魔法は――。
「――【黒の災禍(カラミティ・ストーム】」
それがスクロールを開放することで、放たれた。
それは、本来、黒魔導士のみ取得する攻撃魔法だった。
その特徴は攻撃範囲の広さと、無差別性。
術者を中心に無数の漆黒の渦が弾け縦横無尽に駆ける。冒険者を吹き飛ばし、地面を抉り、そして、クリスタルに炸裂。予測不可能な動きで辺りを破壊し尽くした。
――このクリスタルの範囲内に存在する者は魔法が使えなくなるんです。けれど、物理攻撃への耐性が非常に高いので魔法でしか壊せません。
ネーラの言葉の通り、このクリスタルは魔法に弱い。
甲高い破砕音が響き辺りのクリスタルは木端微塵に砕け散った。おまけのようにネーラが用意した冒険者も数十人が今の一撃で葬られていた。
「――ッ、そんな欠陥魔法で」
砕けたクリスタルと鮮血のコントラストが広がる中、一人ネーラは立ち尽くしていた。
さすがに、お茶会を続ける余裕はなかったらしい。カップを取り落として、苦々しい表情でこちらを見つめている。
「だが、この状況なら有効だ」
この魔法の弱点は仲間を巻き込むこと。
射程範囲は広いが距離は短いこと。
狙いが付けられないこと。
消費魔力が多いこと、など多岐に渡る。
だが、そのどれもがこの状況でベリウスが使うならば関係のないことだ。
「ベリウス・ロストスリーを倒すなら魔法を封じるのがいいだろう。子供でも考えつく安易な策だな。それを対策しないわけがあるまい」
「そうですか。それでも、こちらに無尽蔵のお友達がいるのですよ!」
ネーラの後ろから、更に数住人の冒険者がやってくる。彼らはベリウスが葬った冒険者の死体を踏みつけながら、武器を構え、刺すような殺意を向けてくる。
ティタウィンの聖墓にどれだけの冒険者が集まっていて、そのうちのどれだけをネーラが手中に収めているのかは知らないが、無尽蔵とはひどい大言壮語だ。
「では、試して見るか。お友達とやらが、本当に無尽蔵かどうかな」
この迷宮内にいる冒険者全てが死に絶えるまで、戦い続けたっていい。
「ネーラさん……触手が。蒼い触手にやられて、みんな闘氣が!」
そんな中、一人の冒険者の男は何やら必死に訴えかけていた。
よく見れば、その男を含む冒険者たちは、ぐったりとしていた。
ネーラの【改変】とは関係なく顔色は悪く、どこか足元も覚束ない。
「触手? 何をふざけて……これはッ」
苛立たしげなネーラは、何かに気づいてハッとする。
冒険者たちのMPが著しく減っていたのだ。
魔獣との戦闘でという線も考えられるが、彼の触手という一言に思い当たるところがあって、ベリウスは思わず笑いが漏れる。
「はははッ、それは想定外だったな。うちのヤツが迷惑をかけたみたいで申し訳ない」
「あなたはどこまで……ッ」
「いやはや、うちの腹ペコ娘は悪食でな。魔獣でも、人族でも、魔族でも関係なく本能のままに喰らい尽くす。すまない、こちらの躾不足だ」
ベリウスは嬉々として冒険者を喰らったであろう、迷宮内で逸れたツルプルルのことを考えてニヤリと笑った。
先日、青銅級に上がったばかりのダンは相棒のカイルと共にティタウィンの聖墓に潜っていた。
ダンとカイルは竹馬の友だった。幼い頃、共に村を出て冒険者を目指した。
長らく鉄級冒険者から抜け出せなかったが、ダンもカイルも焦らず堅実に経験と実績を積み重ねていった。
先に青銅級に上がったのはカイルだった。
その日は、二人で少し豪華な食事を取って祝杯を挙げた。
正直、嫉妬心もあったが、どこか納得する気持ちもあった。
カイルは考えるより先に体が動くようなヤツで、自らの命を顧みず真っ先に危険に飛び込んでいく。そんな彼を引き留めるのが、ダンのいつもの役目で……物語の主人公はカイルみたいなヤツがなるのだろうと漠然と考えていたこともある。
それに、純粋な笑顔で「どうせお前もすぐ上がるだろ。先に上で待ってるぜ」なんて言われれば毒気も抜かれるというものだ。彼はダンが青銅級になることを全く疑っていなかった。
実際、その後すぐにダンも青銅級に上がった。
実は、ダンとカイルが青銅級に上がる際に世話になった一人の冒険者がいた。
彼女はネーラ。
サポートとして、様々なパーティーを渡り歩いている魔導系の職業の女性で、一時的に二人のパーティーにも所属していた。なんと彼女は既に白銀級の冒険者。
ネーラには、武器選びから戦い方、冒険者ギルドでの立ち回りなど様々なことを教わった。実力差があるダンたちと迷宮に潜る時も文句一つ言わないどころか、こちらの成長を促すような立ち回りをしてくれた。
一度何故かと聞いたことがある。
そしたら、「サポートとして仲間に入れて貰っているのですから、少しでもお役に立たないと申し訳ないじゃないですか」と言われた。
謙虚な人だなと思った。彼女なら、大手のパーティーでも引っ張りだこだろうに。
綺麗で、どこか浮世離れしていて、怪しいけれど、本当は優しい人。
この人が困っていたら何があっても駆け付けて力になろうとカイルと誓った。
そして今日、ティタウィンの聖墓でダンとカイルはネーラから助け求められた。
ならば向かわない選択肢はないだろうと勇んで進むのだが――。
「……んだよ、ありゃ」
浅層を抜けて目的地に向かう途中にヤツはいた。
バリバリ。
ボキボキ。
ゴリゴリ。
暗闇の向こうから、不穏な破砕音が響く。静謐な迷宮内を満たすそれは生理的な嫌悪感を引き起こすような音だった。
「魔獣か……?」
ふと揺れる灰蒼いナニカが見えたが、その全貌はわからない。
得体の知れない敵。気づかれる前に迂回するべきだ。そう思いながらも、この道がネーラの下へ向かう最短距離であるという事実が判断を鈍らせる。
「俺がやる」
その時、長槍を構えたカイルは既に走り出していた。
「おい待て、カイルッ」
「はぁああッ、これ以上ネーラさんを待たせるわけにはいかねえだろ!」
カイルはネーラに人一倍恩を感じていた。おそらく、惚れてもいたと思う。今のカイルは冷静じゃない。ダンよりもずっと。
「……っ」
吠えて突進するカイルが暗闇に消えていき、遅れて絶叫が響いた。
考えるまでもない。カイルの声だった。「嫌だ、止めてくれ」「頼む、助けてくれ」「嫌だ、それだけは!」そんな恐怖に溺れた相棒の声が響く。
「嘘だろ……おい、カイル! カイル!」
カイルと入れ替わるように暗闇を切り裂いて現れたのは、巨大な真っ赤な触手だった。いや、血で真っ赤に染まった灰蒼い触手だった。
「きひっ、きひひひひひひ――っ」
甲高い笑い声が響く。
触手を視線で追っていくと、その根元には幼い少女がいた。触手は幼い少女のスカートの下から生えて、まるで手足のように動いていた。
カイルはその触手の一本に捕らえられていた。
「魔獣じゃない……?」
自信がなかった。
なぜなら、その触手はどう見ても魔獣のものだったからだ。だが、触手の主は幼い少女だ。垂涎を垂らし、爛々と輝く瞳でこちらを見る少女。
「プルルはね、お腹が空くのは嫌いだよ」
「……魔族か? 何者だ、お前は!」
「プルルはね、ますたぁを困らせることもしたくないよ。ますたぁにはね、食べ過ぎないでねって言われてるよ。でもね」
自身をプルルと呼称した少女はギザギザの歯を見せて、言葉を続ける。
こちらの言葉に応答はない。同じ言語を介しているはずなのに何も伝わっている感じがなかった。
「これを食べても多分ますたぁは困らないよ! だから、いいよね」
ああ、そうか。
彼女にとって、ダンもカイルもエサでしかないのだ。エサと会話を試みようとする者などいるわけがない。彼女はそういう目でこちらを見ていた。
「大丈夫、ちょっと味見するだけだよ。どうせますたぁよりは不味いから」
バッと投網をするように、触手が放たれる。
「や、止めろ……やめ、ぎゃああああああ――ッ」
逃げ場を塞ぐように四方八方から触手が降り注ぎ、ダンの腕を、脚を、首を絞めつける。万力のような締め付けに抵抗ができない。
それだけではない物凄い勢いで闘氣が吸い上げられているのがわかった。
「きひ、きひひっ、きひひひひひひひひひひひひひひ――ッ」
遠くなる意識の中、ダンの頭の中には少女の不気味な笑い声だけが響いていた。




