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第90話「沈む」

第90話「沈む」


 ユーリは言い合いをする二人の姿を眺めながら、隙を伺っていた。


 一触即発の雰囲気。

 オディールは完全に油断している。

 ユーリは全身に力を込めて何とか立ち上がり、よたよたとオディールの背中に迫る。握り過ぎた刀は手と一体化したのではないかという錯覚さえ覚える。


「……や、らなきゃ」


 ありったけの闘気を練り、刀に集中させる。

 音を殺して、気配を殺して、オディールに迫る。

 そして、完全に注意が逸れ、無防備なその背中を斬りつける――瞬間、ユーリの右腕が刀と共に宙を舞った。


「――へ?」


 ユーリは地面に落ちる腕を呆然と見ることしかできなかった。

 肩から間欠泉のように血が漏れ、その血だまりに溺れるようにユーリは倒れた。


「あぁぁああ! 腹立つぜ! こんな雑魚斬ったところでよォ!」


 振り返ったオディールは短刀を持っていた。

 もはや、斬られた瞬間を見ることさえできなかった。


 オディールは油断をしていたわけじゃない。ただ、ユーリを警戒する必要がなかったというだけだった。


「……そんな、こんなことが」

「あー、あー、可哀想な勇者サマ! テメエの肉は何味だ」


 オディールは斬り落としたユーリの腕を拾い上げる。

 ギラギラとした肉食獣の目でそれを見ると、喰い千切った。

 筋線維の千切れるぶちぶちという音と、骨が折れる鈍い音がする。


「……ぇ、食べ」


 目の前の狂気的な光景が受け入れられず、声が漏れる。

 勇者の紋章が刻まれた、ユーリの右腕をオディールは喰らっていた。


「……ぁ、やだ、返して! 私の腕返して!」

「まじぃ、クソまじぃな。だが、気分は悪くねえ」


 オディールの口から血が溢れ、筋が垂れ、咀嚼、咀嚼、嚥下、噛み千切る、咀嚼、咀嚼、咀嚼、吐き出し、咀嚼、咀嚼、咀嚼、嚥下、噛み千切る――目の前で自分の肉が喰われる光景を見て、正気が霧散する。恐怖を越えて最早笑えてきた。


「あっははははっ、返して! ねえ、返してよおお!」

 それでも、オディールは腕を食べるのを止めない。

 やがて食べる部分がなくなった腕の残骸を投げ捨て、おえと舌を出した。

「うげえ……味に関しちゃあ魔獣の肉のがマシってもんだぜ」

 オディールはつまらなそうな目でユーリを見下ろす。

「なあ、村が滅ぼされたって時、本当はホッとしたんだろ。仲間の死を悼むより先にホッとしちまったんだよなァ、生きててよかったって!」

「……ぁ、え、ちが」

 違うと否定しようとして言葉に詰まる。


「私はそんなこと……思って……っ」


 それは図星だったからか、そうではないのか、自分でもわからなかった。


 ホッとしていた? していなかったと自信を持って言えるだろうか。


 村の皆が死んで、師匠のゼハが死んで、最初に感じたのが安堵だなんてことが許されるわけがない。そんなのはどう考えても勇者的ではない。


 ――そもそも、一度でも勇者的だったことがあったか?


「……ぁ、ああっ」


 ユーリが勇者としての責務を果たせたことなんてなかったじゃないか。

 狂ってしまいそうだった。いっそ狂ってしまえれば楽だったが、ユーリの正気を引き出すように、残った左手の甲が鋭い熱を帯びた。


「はは……なんで、どうして私なの……嫌だ、もう嫌だよぉ」


 ユーリの左手の甲には、新しく勇者の紋章が刻まれていた。


「はッ、随分天使様に好かれてんのな。呪いみたいだぜ、その紋章」


 わけもわからず、ぽろぽろと涙が零れる。

 これまで危ういバランスで成り立っていたユーリの心が崩れた。


 村が滅ぼされたこと。

 家族同然の皆が死んだこと。

 勇者に選ばれたこと。

 戦わねばならないこと。

 守らねばならないこと。


 七魔皇のベリウスに負けて、魔獣に苦戦して、仲間になるはずだった子を奪われて、今こうしてまた魔族に負けようとしている。


 何一つ成せていない。

 勇者になって、ユーリはただ負け続けている――なんて弱い存在だ。


「そろそろ楽になりたいだろ、じゃあな。勇者サマ」


 死を覚悟して瞑目する。

 楽になりたいと、一瞬でもそう思ってしまった。


 痛いのは嫌だ。頑張りたくない。

 そんな弱気を認め始める自分がいた。

 ならばもう――私は勇者じゃないのだ。


 ごめん。そんな誰に対してかもわからない味気ない謝罪を心中でして、しかし、ユーリの命を奪う衝撃はいつまで経っても来ず、そっと目を開く。


 視界に入ったのは、汚れ一つないメイド服と綺麗な銀髪だった。


「なんのために戦うか――楽しそうなお話をしていましたね。わたしもガールズトークに混ぜてください。」


 その少女は漆黒と純白の二振りを構えて楽しそうに言葉を続ける。


「ちなみに、わたしが剣を振るうのは、ご主人様とのイチャラブ生活のためッ!」


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