第89話「黒精種の村」
オディールの生まれた黒精種の村は、赤き竜への信仰が強く根付いていた。
人族を殺して魔力を奪い、いずれ選定される七魔皇に収めて赤き竜の糧とする。それを生き甲斐と考え、赤き竜復活こそが生きる意味だと誰もが信じて疑っていなかった。
「この世の全ての魔力は赤き竜様のもの。卑しき人族からそれを取り戻すのが、赤き竜様の復活の一助となることこそが、我らの喜び」
村長の言葉は今でもオディールの脳内にこびりついている。
元々、魔族には赤き竜復活のために人族を敵視する本能が植え付けられていた。
オディールは特にその暗示が強く、苦しめられていた。頭の中にはいつも声が響いていた――人族を殺せ。殺せ。殺せ。殺して、奪え。それこそが貴様の使命だ。
頭が割れるように痛い。
思考が捻じ曲げられるような強い暗示に吐き気を催こともあった。
よく悪夢にもうなされた。
忌々しい呪いだ。腹が立って仕方がなかった。
「どうして、生まれた時から見ず知らずのヤツのために生きることが決まってやがる……どうして、誰もそれを疑問に思わねえんだ。アタシは誰かに決められた理由で戦いたくなんてねえ」
この話をすると、母親にひどく叱責された。
赤き竜との繋がりが濃いことは誇るべきことなのだと諭された。
唯一理解を示してくれたのは、姉のオデットだけだった。
「さすが私の妹なの! オデットも同じように思ってたの。頭の中の声が鬱陶しくてしょうがないの! 村の大人たちはどうかしてるの!」
そんなある日、人族によって大規模な討伐隊が組まれ、村が襲撃された。
幼いオデットとオディールは村の奥に隠れていた。自分も戦うと出て行こうとしたところ、姉のオデットに強く止められたことを覚えている。
結果は辛勝。
大きな損害は出したものの、人族の討伐隊を退けることに成功した。
しかし、その直後、ネーラ・ビシオンセンスが襲撃に現れた。彼女は黒精種が人族と交戦になり、疲弊した瞬間を狙っていたのだ。
ネーラの強力無比な魔法に、黒精種たちは手も足も出なかった。
大人たちは、すぐに降参をした。ネーラは次期七魔皇筆頭の一人だったから、彼女を介して赤き竜に魔力を捧げられればと考えたのだろう。黒精種側には、同じ魔族と争う理由などなかった。
しかし、ネーラは一瞬の逡巡もなく断った。
「あなたたちはとてもつまらないですね。赤き竜を信仰? あんなのはただの勝手がいい兵器に過ぎません。あなたは赤き竜に救われたのですか? 言葉を交わしたことがありますか? ないですよね。あら、おかしいですね。それで命を懸けるのですか?」
「貴様ッ、赤き竜様を愚弄するつもりか!」
「いえいえ、貴方たちを馬鹿にしているんですよ。ワタシ、つまらない人は仲間にしたくありません。だから、お友達になりましょう? ワタシの言うことだけを聞くお友達に」
そう言って、ネーラが黒精種の頭に手を翳すと、すぐに異変が起こった。村のみんなが今まで赤き竜にそうしていたように、ネーラを崇め始めたのだ。
「自分の人生に責任を持てないことを悔しいと思いなさいな。信仰という都合のいい言葉で己が意志を捻じ曲げた貴方たち弱者は死んでいるも同然。死体をどう利用しようと、責められる言われはありませんわ」
半壊した村の中、黒精種の祝福を受けてネーラは優雅に天を仰ぐ。
その光景を見たオディールはかつてない衝撃を受けた。
「……責任……そうだ、アタシはそれが腹立たしくて仕方なかったんだ」
彼女の言葉はオディールの心に深く刺さっていた。村の大人たちにバカにされてきたオディールの疑問の答えを彼女が持ってきてくれたのだ。
「アタシに【改変】を使ってくれ。同じ傀儡としての人生なら、アタシがアタシの意思で選びたい。アタシはアンタの手足として、アンタの野望のために戦うぜ」
気づいた時には、オディールはネーラの下に跳び出し、跪いていた。
「あらあら、この村にも面白い人がいるじゃないですか。ええ、構いませんよ。今この瞬間から、貴方はワタシの配下です」
ネーラはくすりと笑うと、オディールの額に手を翳した。
こうして、オディールに刻まれた赤き竜の本能はネーラの【改変】に上書きされた。あの忌々しい頭痛から解放され、悪夢にうなされることもなくなった。
オデットもオディールに続いてネーラの【改変】を受けた。
オディールはもう迷わなかった。なぜなら、これが自分の選んだ道だからだ。オディールは今、自分の人生に責任を持って、ネーラのために刃を振るっている。
オディールは、ネーラとの出会いを思い出し、刮目する。
「だからよぉ、アタシはその不自由から解放されるためなら、どんな不自由でも受け入れるぜ!」
ユーリに短刀の切っ先を突き付ける。
コイツの言葉は軽い。甘っちょろい理想論を吐くばかりで、もし、それが全て本心だとしたら素晴らしいとも思ったが、ユーリは暴力に屈して怯えを見せた。
くだらない。
コイツは、ただ勇者という肩書に縋って思考停止をしている。
「勇者は殺せないなんて言われたけど、殺しちゃダメとは言われてねえんだ! まさかこんなに弱っちいとは思わなかったぜ! いいよな、アタシがやっちまっても!」
オディールは短剣を逆さに持ち、ユーリの首を目掛けて振るう。
ここで手柄はオディールのものだ。ネーラも上々の結果に満足することだろう――そんな油断がオディールの脳裏を過った時、ぶわりと重たい風が頬を叩いた。
「……っ、なんだ」
オディールの動きがピタリと止まる。
爆発的な魔力の起こりを感じ視線をやると、そこには糸で吊り上げられるように体を起こす、シグレの姿があった。
満身創痍のシグレは切れた手首から滝のような血を流していた。それは地面を濡らす前に気化し、シグレを祝福するように体に吸収されていく。
「……っ、【サクリファイス・ルール】――己の血を魔力に変える捨て身の魔法なの」
後方で静観していたオデットが呟く。
「ははッ、そうだよな! お前は狂ってる側だよな、狐の狂信者!」
オディールはシグレの復帰を歓迎して笑った。
「シグレは自分が恥ずかしいです……ふえへ、あなたたちが背信者であるならば、命を懸けて止めます。神様のためなら、死んだっていいッ」
シグレは杖で体重を支え、怨敵を呪い殺す冷たい眼光を向ける。
瞳からは血が垂れ、ローブもぼろぼろで、口元は歪んでいた。勝つか負けるかじゃない、彼女の瞳に映るのは明確な殺意のみだった。
「そうだなッ、お前の動機はわかりやすくて嫌いじゃねえ! なあ、狂信者。テメエのレベルを教えろよ」
「四十六です」
それを聞いて、オディールは驚愕した。
彼女の動きは、魔法の精度は、その多彩さで四十代なのか。
ユーリも同じように思ったのか、「……そんな」と息を呑む。
「そのレベルで……そうか、そりゃすげえや。お前に敬意を表して、その最後の足掻きを見てやるよ! その上で、正面から叩き潰してやらァ!」
オディールは短刀の切っ先を、シグレに向ける。
シグレは両手で握った杖を掲げ、詠唱を始めた――刹那、彼女の体は神速の矢に貫かれた。芸術的な一本の線が腹部を貫通し、シグレは吐血。その場に頽れた。
オデットが迅速な射撃でシグレが詠唱を終える前に、仕留めたのだ。
「……っ、シグレさん!」
「テメ、クソ姉貴!」
オディールの怒りは、弓を構えたオデットへ向いた。これからという時に水を差されたのだ。いくら姉とはいえ、許し難い行為だ。
しかし、オデットは冷静に弓を下ろし、やれやれと肩を竦めた。
「興奮し過ぎ。悪い癖が出てるの」
「はあ? んだよ、それ! 楽しくなってきたとこだろ!」
「それで何度も痛い目を見てるの。狐の狂信者は召喚師なの。捨て身でえげつないもん呼び出されて、その対処をするのはオデットたちなの」
「ちっ、普段は考えなしにやらかすくせに、意味わかんねえところでビビるよな!」
「はぁああ? 考えなしじゃないの! 意味のない苦労はしたくないだけなの! わざわざ無駄に面倒な敵と戦おうとするわけがわからないの!」
「無駄じゃねえって、クソ姉貴のそういう小心者なところしょーもねえよな!」
「誰が小心者なの! 効率的で、天才的で、パワーなオデットなの! 竜でも何でも別に倒そうと思えば倒せるけど、やる意味がないって言ってるの!」




