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第88話「勇者の」

 ユーリの動きは冴え渡っていた。

 体中に熱が滾りながらも、冷静に次の一手を思考する。本来格上であるはずのオディールの動きを先読みし、攻撃を合わせることで対応していく。


 シグレのサポートも大きかった。レッドドラゴンを始めとする竜種を召喚し、オデットとオディールに放つ。これで数の有利は取った。


 後衛のオデットは竜種に迫られないよう、弓矢で牽制するので精一杯の様子だった。

 ユーリは新調した刀に闘気を纏わせて、闘氣術アーツを放つ。

 オディールは目にも止まらない速さで回避。

 カウンターの要領でクナイを飛ばしてくる。

 紙一重で避ける。


 そのまま突撃してくるオディールの懐に入り刀を振るう――。


「……や……きろ……」


 ユーリの一撃を受けてオディールが怯む。ここが勝負どころだと判断。ユーリは呼吸を止めて畳み掛ける。何度も、何度も、何度も刀を振るい斬りつける。腕が千切れてもいい、闘氣が練れなくなってもいい、そんな決死の思いで何度も、何度も――。


「おい、いつまで寝てやがんだ。クソ雑魚勇者」


 殴りつけるような声と全身の疼痛に、目を覚ます。


「ゆ、め……全部夢……」


 目の前には傷一つないオディールの顔があった。

 オディールは地面に伏すユーリの髪の毛を掴んで無理やり体を起こす。


「うぐ……痛っ」


「おいおい、勘弁してくれよ。こっちは欲求不満なんだぜ? あまりにもテメエらが手応えなかったもんだからよ」


 その言葉にユーリはハッとして、辺りを見回した。


 地面や壁には激しい戦闘の痕があった。

 祭壇の床は砕け、無数の矢が刺さっていた。


 少し遠くにシグレがうつ伏せで倒れていて、血だまりが広がっている。

 ユーリの体も酷いものだった。腕に力が入らない。口の中には鉄の味が広がっており、肋骨が折れているのか呼吸の度に痛む。


 比べて、オデットとオディールは無傷に近かった。

 ユーリたちは後衛のオデットに攻撃を掠らせることも、オディールのスピードについていくこともできなかったのだ。見たことのない多彩な闘氣術アーツに対応できず、気付けば負けていた。


「……く、ぅ」


 敗因は幾つもあった。

 双子のオデットとオディールは抜群のコンビネーションを誇っていたのに比べて、ユーリとシグレは急造のパーティーだった。


 加えて、本来、召喚術によるサポートが役割であるはずのシグレの下に、オディールの刃を届かせてしまった。ユーリがオディールを止めることができなかったのだ。


 シグレは迷宮探索や、プロトラドンの戦いでかなり疲弊していた。ポーションを飲んだとはいえ、疲労は十分には癒えていなかった。


 ここまでも、この戦いでも、ユーリはシグレの脚を引っ張っていた。


 そうだ。ユーリは負けたのだ。

 完膚なきまでに叩きのめされたのだ。


 それを自覚した瞬間、一瞬でも都合のいい夢を見たことに忸怩たる思いを抱いた。


「わ、たしは……ゆう……しゃ、な」


 ユーリは地面に落ちた刀に手を伸ばす。刀に指先が触れようというところで、髪の毛から手を離され、支えを失ったユーリの顔が地面に叩きつけられた。


「う、くぅ――っ」


 情けなさと痛みから、思わず涙が出そうになるのを堪える。

 そんなユーリを見て、オディールは腹立たしげに右手をにじってきた。


「自称とかだったら、まだよかったんだけどな。マジでテメエみたいな雑魚が勇者なのかよ。そりゃ、さすがに人族にも同情するぜ」


 オディールがユーリの右手からグローブを剥ぎ取ると、そこには勇者を示す紋章が刻まれていた。ユーリは正真正銘の勇者――魔族を撃ち滅ぼす人族の代表だった。


「返、して――あぐっ」


 再び手を伸ばすが、オディールの長い脚に顔面を蹴り飛ばされる。鈍い衝撃に額から地面に突っ込む。口の中が切れ溢れた血を吐き出した。


「うぅ、おえぇ……ぅ」

「お前さ、何もかもあめえんだよ。勇者だから? 勇者なら? そんな義務感みたいな正義で戦ってんのかよ。くだらねえ」


 ぐわんぐわんと揺れる頭に、厳しい言葉が降り注ぐ。


「人族の命が大事か? 魔族が憎いか? 何を守りたいんだ? 何を壊したいんだ? なァ、お前はそれで命を懸けられるのかよ、何のために戦ってんだクソ勇者様はよォ!」

「わ、たしは……」


 ユーリは全身に力を込めて体を起こす。

 何度も振り返った、勇者としての出発点を思い出す。


「私の村は魔族に滅ぼされて……わ、たしだけが……生き残った」


 落ちた刀を拾い上げ、握る。

 もう二度と離してしまわないように、固く握り締める。


「だから、次に同じようなことが起こった時、大切な人を絶対に守るって誓ったの。私と同じ想いをする人を減らせるように、二度と同じ無力感を感じないために、できるだけ多くの人を守るって――」

「あせえよ」


 ユーリの言葉を千切り取るように、オディールの蹴りが腹部を貫いた。


 激しい痛みに体がくの字に折れ、膝を付く。胃の中の物が逆流しそうになってえづくが、大して何も入っていないのか、胃液の酸っぱい味と鉄の味が口の中に広がるのみだった。

 刀を杖にして体を起こそうとするが、上手く立ち上がることができない。


「同じようなことが起こった時? もしも未来の話が原動力だなんて勇者様は余裕があんだなァ! 断言してやる、お前の心なんてどこかで簡単に折れるぜ」


 オディールがユーリの首を掴み持ち上げる。

 体を浮遊感が包むと同時に喉が詰まり、咽る。オディールはユーリのぼやけた視界でもはっきりと分かるほどの殺意の籠った目をしていた。


「どうしてか知りたいか?」

「離し、てッ」

「それはなァ、執着が足りないからだ!」


 オディールは腕を振りユーリを投げ捨てる。放られたユーリは戦闘痕でガタガタになった床の上を転がり、真っ赤な血の線を引いてぐったりと倒れる。


 もう全身で痛みを感じないところがないくらいで、しかし、不思議と意識ははっきりとしていた。


「大切なヤツって誰だよ! 自分と同じようなヤツって誰だよ! まだ村を滅ぼした魔族に復讐するって方がわかりやすくていいぜ! お前の話はこうだったらいいなっつう夢物語でしかねェんだよ、そんなんがどこまでも続くわけねェだろ!」

「違う……私は本気で……」


 ユーリは何度目か立ち上がろうとするが、腕に力が入らず失敗する。

 その瞬間、ゆっくりと近づいてきていたオディールに、腹を蹴り上げられた。鋭い痛みに失神しそうになる。ギュッと拳を握って意識を繋ぎとめる。


「違わねえな! お前の言葉は全部安っぽいんだよ! 抗う? 逃げない? ふざけろよ、お前は賭けられるもん全部賭けてここに立ってんのかよ! あァ!?」


 オディールに何度も何度も体を蹴り付けられる。

 彼女の声が脳内で反響し、ユーリの弱気を引き出そうとしてくる。


 抗わないと。勇者なんだから諦めちゃダメだ。そんな前向きな言葉と同時に、本当にここで立ち向かうことに意味があるのかという及び腰な考えが浮かぶ。


「ぐっ、がっ、あく……っ」


 その間にも、体は滂沱のような暴力に晒されていた。

 転がされ、蹴り付けられ、踏みにじられ、嘲笑される。


「耐えろよ、耐えて見ろよ! 本物だってところを見せてみろ、勇者!」


 どうしても考えてしまう。


 本気で勝てると思っているのか?

 彼我の戦力差を考えたことはあるか?


 レベル差を、経験値の差を、スキルの数の差を考えたか?

 それでも、どうにかなる可能性があると本気で思っているのか?


 それはもはや現実逃避ではないのか。頑張ったふりがしたいだけじゃ――一度考えだしたら、止めどなく弱気が溢れてくる。今まで心の奥底にしまい込んでいたものが全部、全部、全部、全部。


「おいおい、震えちまってんじゃねえか。いくら何でも、そりゃ折れるのが早すぎだろうがよ」

「はあはあ……っ、そ、んなこと……」


 自分の口から洩れたのは想像していたよりよっぽど弱弱しい掠れた声だった。

 体が震えていることも、オディールに指摘されて初めて自覚した。体に力が入らないから? いや、これは恐怖による震えだ。


「いいよなぁ、人族は自由で」


 ピタリと暴力を止めたオディールは大きく息を吐いた。


「アタシら魔族は産まれた時から不自由だ。アタシらの本能は初めから歪められちまってるからな。ネーラ様がいなけりゃ、アタシはずっとそのままだった」


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