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第86話「共闘」



 ――天使ミカエラは魔族の男と恋に落ち、子を身ごもった――その子供の名ををティアナディアという。


 オデットが読み上げた石板の文字に、ユーリは理解が追い付いていなかった。


 ティアナディアとは、先日ルゥプを攫った、ベリウスの配下の魔族だ。

 ベリウスは、ティアナディア本人はこれを知っているのだろうか。


 嘘を言っている? いや、そんな感じはしなかった。


 だが、もしこれが本当だとしたら。人族の拠り所である天使が怨敵である魔族と愛し合って、加えて、その事実を裏付ける子どもの存在があったとしたら。


「……人族の混乱は避けられない。これは絶対に表に出しちゃいけない情報だ」

「いいや、たっぷり利用させてもらうぜ。なあ、オデット」


 そんなユーリの呟きを真っ向から否定したのは、オディールだった。

 オディールは上機嫌に口角を歪めると、まるで、ユーリたちに対するようにオデットの隣に並び立った。


「その通りなの! これでネーラ様も満足するはずなの。とりあえず、お仕置きは免れたの。べ、別に怖がってるとかではないの!」

「オデットさん、オディールさん……?」


 ドクンドクンと心臓が早鐘を打つ。


「何を言っているの?」


 嫌な妄想が脳裏を去来して、内頬を噛んでそれを振り払う。

 しかし、違う、そんなわけないと自分に言い聞かせたところで、全身を包む悪寒は消えなかった。


「本当は気づいてんだろ、 勇者ぁ!」

「――っ、どうして私が勇者って!?」

「ふふん、ユーリも鈍いの。だから、こんなところで死ぬの」


 すると、オデットとオディールから禍々しい魔力の奔流が放たれる。

 それは天使ミカエラから力を授かったユーリたちとは根本的に異なる、邪悪な存在感だった。赤き竜から得た、暴力的な力の一端が彼女たちから感じられる。


 今までは不思議と疑問に思わなかった、彼女たちの容姿に違和感を抱く。


 尖った耳に褐色の肌、金色の瞳は、紛うことなく黒精種ダークエルフのものだった。


「あなたたちは……魔族ッ」


 解いたのだ――彼女たちの正体をひた隠しにしていた認識阻害を。

 必要がなくなったとみて、その正体をユーリたちの前に曝け出したのだ。


「改めて自己紹介するの。七魔皇が一人、ネーラ・ビシオンセイスの配下、オデット・ブレッツェル。パワーで天才な大弓士グランアーチャーなの」

「同じくオディール。こいつの妹で忍刀士ニンジャだ」


 どうして気づけなかったのか。

 ユーリは最悪の選択をしてしまった。


 この石板の秘密は魔族に知られてはいけなかった。


 だが、ユーリがいなかったとしても、彼女たちはここに辿り着いたような気がする。

 どうする? どうすればいい――後悔と、葛藤と、不安とで心が混ぜこぜになる。


「ちなみに、パーティーごっこは結構マジで楽しかったの。でも、プロフェッショナルは切り替えができるの。いつだって、お前らを殺してやれるの。ぷくく」

「殺すって……たしかに、私たちは人族と魔族だけど、ここまで一緒に戦って……」

「はあ?」


 オディールが心底から呆れたような低音を響かせる。


「おいおい、そんなあまっちょろいこと言ってる場合かよ」


 瞬間、彼女の姿が消えた。目の前に現れた。彼女の冷めた目が眼前に迫る。腹部に重たい衝撃が走る。蹴られたらしい。吹き飛ばされる。地面に転がる。痛みが全身に広がり、ユーリは体を丸めて悶えた。


「ぐぶっ……おえ」


 痛みに体が痙攣する。内臓が全部口から出そうだった。

 一連の水際立った動きが脳内で反芻され、その実力差に恐怖を覚えた。


「見て見ろよ、そっちの狂信者は覚悟ガンギマリみたいだぜ」


 オディールの視線を追って、シグレを見るといつもの不安げな表情が嘘のように冷たく暗い瞳をしていた。彼女は魔力を滾らせ、静かに怒りに震えていた。


「神様はメイド長のことをとても大切にしています。彼女を利用しとういうのは、つまり、神様への背信行為だと思うんですよ。それもいずれ作る教典に書き記さなきゃ」

「相変わらず、何を言ってるのかわからないの。しょーじき、ベリウスの配下が勇者と居たのは想定外だったけど、ちょうどいいの。今頃ベリウスはネーラ様にボコボコにされてるところなの。あなたも今から同じ末路を辿るの」

「……しょ……が」


 シグレはボソリと呟く。

 オデットは不機嫌そうに「はあ?」と聞き返す。


 すると、シグレは狐尾をピンと立てて怒りの形相で叫んだ。


「ベリウス〝様〟でしょうが! ふざけているのですか、この愚かな背信者めッ」


 シグレは魔法鞄から魔力回復のポーションを三本取り出すと、まとめて口の中に流し込み、口元を拭った。


「どうしてベリウス様の魅力がわからないのですか? ボコボコにされる? い、意味がわからないです。どこの世界の話をしていますか? それはシグレが知っている神様のことですか? 神様は何よりも尊く、美しく、強いお方です。それがどうしてただの魔族如きに敗れることがありましょうか! 神様が全て正しい! 神様のために生きるのが人類の喜び! それができないヤツは生きてちゃいけない、そうは思いませんか! 思わないなら死んでください! 死・ん・で・く・だ・さ・い!」


 シグレは血走った目でオデットとオディールを睨め付け、早口で捲し立てる。


「おいおい、こいつマジでイカレてんだろ。人族ってこええ」

「やっぱ人族滅ぼした方がいいの。こんなヤツらをのさばらせてちゃいけないの」


 オディールが呆れたように言い、オデットも同調する。

 シグレは今にも二人に殴り掛かりそうな雰囲気だった。

 そんな中、ユーリは自問自答していた――これが勇者の姿か。


「わ、たしは……」


 オデットとオディールが魔族だとわかって、真っ先に戸惑いを覚えた。

 その後に、共にプロトラドンを倒した達成感を思い出した。


 殺意を向けられれば恐怖した。

 逃げたいと一瞬でも思ってしまった。


 ここで立ち上がったところで、この二人に勝てるだろうか。


 魔族に出会ったら即逃げろと教わってきた。本来、それだけの実力差があるのだ。普通の人間なら勝てない。きっとユーリも勝てない。


 そんな思いが湧いて出て、慌てて頭を振った。


 魔族に滅ぼされた村を、ユーリを必死に逃がそうとしてくれた大人の姿を、ユーリを庇って一人魔族に立ち向かった、師匠の姿を思い出して、五指に力を込める。


「逃げない、勇者は逃げない」


 そのまま勇を鼓して立ち上がると、ホルダーから刀を抜いた。


 故郷の村を救うことができなかった。

 あの時、村のみんなに庇われて、育ての親のゼハに庇われて、自分だけが助かって、なぜか勇者に選ばれた。


 今度は大切な誰かができた時、絶対に守りたいと思った。そう誓った。

 もし、ここで二人を取り逃がせば、更に多くの人が不幸になる。


 それがわかっていて、後ろ向きな選択は有り得ない。


「私は抗う、勇者として」


 ユーリは鼻血を拭い、刀を構えると、シグレの隣に並び立った。


「いいんですか? 先に言っておきますけど、シグレはベリウス様だけの味方ですよ」

「天使が魔族と恋に落ちたこと。それを裏付ける、子供の存在。あの情報が出れば、人々は混乱の渦に呑まれます。私はそれを食い止めたい。シグレさんはどうですか?」

「シグレは、ふえへ、神様のために全てを捧げるのみです。メイド長の秘密が表沙汰になるのは、神様も望んでいないでしょう。ならば、答えは決まっています」


 シグレは再び滾る魔力を漲らせながら、敵を見据える。


 ユーリも後衛のシグレを守る位置に立ち、細く息を吐いた。


「ふぅん、敵の敵は味方ってことなの。いいの、相手になるの」

「おっっしゃ、久しぶりに好き勝手暴れてやる! 楽しもうぜ、なあ!」


 オデットが巨大な弓を構える。

 オディールは前衛に出ると、短刀を構えて片手で印を結んだ。

 両陣営の間で激しく火花が散り、初めに動いたのはユーリだった。


 矢の速度で一直線にオディールに迫り、それを迎え撃つオディールの短刀が振るわれ、開戦の合図となった。


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