第80話「ティタウィンの聖墓2」
二日目。
ユーリは、シグレと共にティタウィンの聖墓の探索を続けていた。
シグレとの連携も慣れ、不用意な戦闘を避ける方針を取ったことで、捜索範囲はかなり広がった感覚があった。
しかし、未だに金のクロックローチの手掛かりはゼロだった。
途中ですれ違った冒険者たちと情報交換もしたのが、結果は同じだった。
そこで、もう少し下の層に潜ってみるかと話し合っていると――ふと、シグレが歩みを止めた。
「ふぇ……すみません。気づくのが遅れました。近くにな、何かいます」
ユーリも同じように足を止め、辺りを警戒する。
前衛後衛一人ずつのパーティー。
つまり、魔獣が現れた際にそれを引き受けるのはユーリの役目。シグレが詠唱する時間を稼がなくてはならない。気合を入れなければ。
そう己を鼓舞して刀を構えようとして、ハッと違和感に気が付いた。
「……シグレさん、ごめんなさい。もう手遅れかもしれません」
体の自由が利かない。
何かに縛られたように、その場から動けなかった。
いや、ようにではない。ユーリは縛られているのだ。
薄暗い闇の中で銀色の糸がてらてらと僅かな光を反射する。
よく目を凝らさなければ視認できないような細い糸にユーリは縛られていた。
「――ッ、こんなに細いのに」
振り切ろうと藻掻くがビクともしない。
それどころか、ユーリの体の方が切断されてしまいそうなほどだった。
敵はどこだ。シグレは近くにいると言った。
だが、辺りを見渡しても魔獣の姿はない。
卒然として、ぼんやりとした赤い光が灯った。
何事かと上を見上げると、それはいた。
八つの赤い光は魔獣特有の深紅の瞳。鋭い鋏角に、禍々しい斑模様をした八つの足。ユーリに巻き付いたものと同じ銀の糸の上を自在に歩くそれは――フィルフェルム。
超巨大な蜘蛛型の魔獣が、天井からユーリを狙っていた。
「――ッ、Aランクの魔獣!?」
Aランクの中では下位だったはずだが、それでもAランクには変わりない。
上級冒険者がパーティーを組んで討伐するべしというのが、冒険者協会がこの魔獣に定めた脅威度だ。冒険者協会が想定しているパーティーは、もちろん即席の二人パーティーなんかではない。
その辺りの詳しい説明は、迷宮都市に入る前に改めてアゲートから説明されたから記憶に新しい。
――もし、万が一Aランク以上の魔獣に会敵したら迷わず逃げろ。
アゲートの声が脳裏に去来する。
だが、気づいた時にはフィルフェルムの糸は成す術がないほどに絡まっていた。
糸が強引に引かれ、ユーリの腕が捩じ上げられる。思わず、苦痛に声が漏れる。
「くぅ――いっ」
更に腕が捩じられ刀を取り落とす。フィルフェルムの唾液を体に被る。じゅっと音がして装備が融解した。露出した肌が焼けるように痛む。脚も無理やりに捩じられ、抵抗はできない。糸は鋼鉄のように頑丈だった。
「シグレさ……逃げて……」
迷宮に潜った時にあった全能感は一滴だって残っていなかった。
まともにアイテムを補充せず、たった一人で初めての迷宮に挑んだ。アゲートが知れば憤慨ものだろう。冷静に考えれば有り得ないことだ。
だが、ここに来た時は、それしかないと思ったのだ。
まるで、何かに憑かれていたかのような心地で、だが、死の恐怖を前に思考は正常を取り戻していた。
せめて、彼女だけはと思い、シグレを見やる。
予想と反して、あの常に自信なさげな少女は泰然と詠唱をしていた。
それが終わり、シグレの口から出たのは、ユーリが聞いたことのない魔法だった。
「お待たせしました――【竜喚びの儀】」
巨大な魔法陣が描かれると、低く気高い咆哮と共にそれは現れた。
強靭な爪と鋭い牙。
全身を覆う真っ赤な鱗。
天を突くほどの巨体。
それが足を踏みしめる度に大地はどよもし、紅蓮の翼を広げれば熱波で肺が爛れそうになる。
口端からは炎が漏れ、陽炎が揺れる。
全生物の頂点とも言えし最強の生物、竜種の一角。
「……スカーレットドラゴン」
それはAランクの更に上の位、Sランクの魔獣だった。
Sランクと言えば、アゲートやカンデラ級の冒険者がパーティーを組んで討伐するような、まさに天災とも形容すべき魔獣に与えられる称号だ。
それを使役する者がいるとしたら。
「竜種の召喚……まさか、シグレさんの職業って」
赤魔師? 黒魔師? とんでもない。
シグレの職業は、その更に上。
召喚師の派生、その中でも最も特異な一つ。
「竜喚使……初めて見た」
「行って。ふえへ、全部壊して、ね」
シグレの号令に応えるように、スカーレットドラゴンは咆哮。
フィルフェルムはユーリを捕まえたように糸を飛ばし、スカーレットドラゴンを拘束する。しかし、スカーレットドラゴンが身動ぎするだけで、銀の糸は、まるで本当にただの糸かのようにぶちぶちと千切れた。
「……すごい」
魔獣としての力の差は歴然だった。
フィルフェルムがあらゆる手段で動きを止めようとするも、スカーレットドラゴンはその全てを力ずくで捻じ伏せる。そしてゆっくりと、ただ目の前に出された料理を喰らうようにフィルフェルムの体に牙を立て、ぐしゃり。
あっさりとその体を噛み砕き、フィルフェルムは絶命。
まるで相手にならなかった。
決着は一瞬にして付いた。
ユーリを拘束していた銀の糸が解かれる。
同時にスカーレットドラゴンがその体を淡い粒子と溶かして姿を消し、シグレはがくりと膝を付いた。
「シグレさん……っ!」
ユーリは痛む体に鞭打って、シグレの下に駆け寄る。
「ふえへ……ちょっとカッコつけすぎちゃいました。やっぱ、この子はまだちゃんとは使えないですね。魔力……持ってかれ、すぎ……だし、言うことも聞いてくれない時あるし」
シグレの額には玉のような汗が滲んでいた。顔が僅かに上気し、熱っぽい。
一度に大量の魔力を消費したことによる、拒否反応が出ているのだろう。
「ありがとうございます……本当に助かりました。シグレさん、実はすごい人だったんですね。いえ、その今までがすごくないと思ってたとかじゃないですけど」
「そ、そんなシグレはすごくないですよ……」
「いえいえいえ、上級職ですよ! 冒険者のほんの一握りですよ!」
だが、シグレは恐れ多いと言わんばかりに、ぶんぶんと首を横に振る。
「ふえへ、本当に違うんです。この力は全て神様の祝福で、シグレの力なんてこれっぽっちもなくてですね……あ、ユーリさんは神様を信じますか?」
そんな時、視界の端で何かが光った気がした。
「ユーリさんも救われたいですよね。たしか、ペンダントの予備がここに……」
不思議に思って、光を追うとそれはいた。
黄金の光は目にも止まらぬ速さで壁を移動し、制止。
闇の中で煌めくそれは、神々しく、まるで幻のように淡く、ただ、そのフォルムは生理的嫌悪感を引き起こすような禍々しさがあって――。
「シグレさん! いました! あれ! そうですよね、あそこ!」
それは、間違いなくユーリたちが探し求めていた、金のクロックローチだった。




