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第77話「墜落2」

 朦朧とする意識の中、アゲートは宿での出来事を思い出していた。


 何の前触れもなく、長い黒髪と頭に生えた魔族特有の器官が特徴的な女性が現れた。淫魔種の、それもかなり高位の魔族なのは、一目見てわかった。


 だが、気付いた時には、アゲートは既に魔法を喰らっていた。


 全身の熱が奪われたようだった。吐き気と頭痛に襲われる。視界が歪む。関節が軋むような痛みに立っていられなくなり、アゲートはその場に倒れ込んだ。


「耐性を越えて……っ」


 これは毒状態の一種だ。

 しかし、異常状態耐性は常に付与している。身に着けている装具も安物ではない。その辺の魔法なら容易に弾くはずだが、それほどの使い手ということか。


「クソッタレ……」


 そんな中でも、アゲートは冷静に異常状態の分析をしていた。

 これは原因不明の呪いとは違う。ならば、対処の仕様はある。冷静にいくつかの取り得る手段を考え、順番に実行していく。


 異常状態・毒の解除。失敗。

 解毒ポーション。効果なし。

 魔法効果打消しの魔法。効果なし。


「あらあら、そんな付け焼刃でワタシの魔法は解けませんよ」


 魔族の女は短剣を取り出すと、アゲートの腹部を貫いた。


「があッ」


 鋭い痛みにアゲートは魔法鞄を取り落とした。血が滲む感覚と全身の異常におかしくなりそうな思考を落ち着けながら、歯を食いしばる。


「別にあなたに恨みはないんです。これはちょっとした嫌がらせです。ただの嫌がらせで命まで奪ってしまうのはワタシも心が痛みますから……死なないように頑張ってくださいね?」

「クソが……ふざけ、んな……」

「ちなみに、ルゥプさんは、この街の廃教会の地下に捕らわれているので、元気になったら是非探してみてください。もう、要は済んだのでいつでも解放してくれて構いませんわ」


 ぼやけた視界に映る魔族の女は、笑って踊るようにステップを踏んでいた。


「ふふ、これから迷宮で楽しいことが起きますよ。街中の人が招かれているのは、決して偶然ではないんです。ワタシはその呪いを利用させて貰うとしましょう」


 ねっとりと妖しい声音。


 彼女の魔法は一級品で、この異常状態も初見のものだ。今思えば、同じ部屋にいながら気配に気づけなかったのも異常だ。おそらく、アゲートよりもレベルが高い。


 そして、淫魔種という種族も揃えば彼女の正体にも思い当たるものがあった。


「テメエは……まさか、七魔皇の」


「しーっ。あなたも、ワタシのお友達としていつか助け合いをしましょうね」


 魔族の女性がアゲートの耳元で囁いた。

 瞬間、頭の中がシェイクされたような不快感に襲われた。何かが捻じ曲げられたような、頭の中を舐り、犯されたような不快な感覚に、アゲートの意識が暗転する。


 そして、目が覚めると、アゲートはベッドの中にいた。

 朧げな意識の中で、リリィの声が聞こえた気がした。彼女が治してくれたのか。逆に言えば、自分は彼女が必要なまでに酷い状態だったのかと戦慄する。


 そして、もう一人、ユーリの気配を感じて声を絞り出した。

 あのクソチビ勇者にちゃんと伝わっただろうか。


「――迷宮には近づくな。ルゥプは廃教会の地下にいる」


    ◇


 ティタウィンの聖墓。

 早朝だというのに、浅層は人でごった返していた。


 だが、ユーリの目的は浅層にはない。

 彼らを押しのけて奥へ、奥へと向かう。


 不思議と体が軽い。自分の体ではないようだった。いや、そうじゃない。これこそが、ユーリの体だ。初級職と中級職でこれだけの差があるのだ。


 一度地面を蹴るだけでグンと景色が後ろに流れる。

 あれだけ苦戦していたサッドドッグの体がバターのように斬れる。


「ははっ、私今ならいけるッ」


 赤き竜の封印に綻びが見られる影響で魔獣は強さを増している。ユーリの村の近くに現れた個体なんかと比較にならないくらい、今の魔獣は強くなっている。


 だが、それよりもユーリの成長の方が著しい。


 ――ガルルルルッ。


 サンドドッグが垂涎を垂らしてユーリに向かってくる。

 あれだけ素早いと思っていたサンドドッグの動きが、今のユーリには止まって見えた。止まることはせず、ホルダーの刀に手をかけて駆け、向かい討つ。


「――ッ、【一閃】」


 すれ違いざま、ホルダーから刀を抜刀し細い光の斬撃を飛ばす。それは地面と平行にどこまでも伸び、ちょうど上顎と下顎の間を通りサンドドッグを真っ二つにした。


 続けて、七体のサンドドッグが一斉に襲い来るが、ユーリは極めて冷静だった。


 ユーリの新たな職業は、刀剣士セイバー

 スピードと一撃の攻撃力の高さに特化した、近接物理職である。


 再び刀を収める。細く息を吐き、瞑目。

 母指球で地面を捕らえ、瞳をカッと見開いた。


「ふ――ッ、【閃光卍華せんこうばんか】」


 糸のような細い閃光が迸る。


 瞬く間の五連撃。


 時が止まったような気がした。サンドドッグはユーリに襲い掛かる体制で静止し、数瞬後、体がズレるように切断。重力に従って落下。まるで美しい花のように鮮血を散らし、絶命した。


 ――奥へ。聖墓の奥へ向かうといい。人族に仇名す異端に罰を。


 脳内に響く声がさっきよりも鮮明に聞こえる。


「ふふッ、これならルゥプちゃんも助けられる――ッ」


 ユーリは確かな手ごたえに刀を持つ手を強く握る。

 主に浅層と呼ばれる、比較的対処が容易なD~C級の魔獣が出現するエリアを抜けた。

 冒険者が溢れていた影響で浅層ではなかなか魔獣と会敵しなかったが、この辺りからはC級上位の魔獣が基本。加えて迷宮が複雑化してくる。


 勢い任せにここまで潜ってきたが、その思考は徐々に冷静さを取り戻していた。

 ユーリは、ここでルゥプの手掛かりを見つける必要がある。金のクロックローチの話も気になる。アゲートは最後に「き……の、ち……」と言った。もし、あれが金のクロックローチのことを言おうとしていたのだとしたら。


「……有り得なくはないよね。迷宮に関連することだし」


 すると。


「うぅ……神様……どうか役立たず無能クソ雑魚狐のシグレをお許しください…シグレはこのまま遺跡の塵となります……」


 奥から、今にも溶けて無くなりそうな弱弱しい声が聞こえてきた。

 警戒しながら進むと、そこにはローブに身を包んだ妖狐種の少女が倒れていた。


 柔らかそうな尻尾に、ややオーバーサイズの三角帽子。彼女の物であろう杖は少し離れたところに転がっていた。彼女は耳や尻尾をピクピク痙攣させ、痛みに喘いでいる。


「だ、大丈夫ですか!」

「か、神様……シグレは、まだまだ神様のお役に……」


 慌てて駆け寄り状態を見る。

 状態異常に掛かっている。猛毒状態。事前にギルドで確認した情報と照らし合わせて考えるに、この辺りで出るとしたらツインサーペントだろうか。


「よし」


 ツインサーペントの毒は非常に厄介で、一般的に流通する解毒ポーションでは完治しない場合がある。


 だが、運がよかった。今のユーリはこれを解毒する手段を持っていた。

 魔法鞄の中から、意外と過保護なアゲートに持たされたポーションを取り出した。高級そうな瓶の蓋を開け、少女に中身を無理やり呑ませる。


「全部飲み込んでください。これで治るはずですから」

「ふぇ……す、すみません。信仰心の足りないシグレなんかのために、どなたか知りませんが、あなたに神様のご加護がありま……うぅ、おろろろろろろろ――っ」


 少女はうわ言のようにそう呟くと、素直にポーションを嚥下し、嘔吐した。


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