第76話「墜落」
第76話「墜落」
早朝。
ユーリは、愛用のグローブを嵌め、新調したブーツに足を通す。速度上昇の効果が付与された、ややオーバーサイズのアウターを羽織り、新たな相棒を腰に下げる。
道中に稼いだお金と多少アゲートも頼って、できる限り装備は新調した。
きっかけは、神殿で行われた職業昇進だった。
一定のレベルに達したことで、ユーリはその条件を満たしていた。
初級職から、中級職へ。
一生を初級職で終える冒険者も少なくないことから、一か月足らずでの昇進は規格外だと驚かれた。職業はこれまでの戦闘などの経験やスキルなどを加味して、天使様の祝福により授けられる。
「もっと、もっと強くならなきゃ」
ユーリは、腰から下げた現代的な光のラインが入った刀を撫でる。
これは、ギルドでひと悶着あった末、偶然手に入ったとある明光が打った一品だった。触れれば指が落ちるほどの輝きを誇る、美しくも妖しい魅力を持つ一振り。現代の最新の技術を取り入れ技巧を凝らして作られた、未来的な性能を持つ装具だ。
「今の私ならきっと」
つい、目が覚めてしまった。
逸る気持ちが抑えられなかった。
今すぐにでも迷宮に挑みたい。いや、挑まなければならない。そんな強迫観念が湧いて出る。金のクロックローチを倒せば何でも願いが叶うらしい。それがあれば、ルゥプのことだって――ユーリは部屋を跳び出して、そして、立ち止まる。
アゲートが泊っている隣の部屋に、視線が吸い込まれた。
――じゃあ、私を助けてください! ルゥプちゃんを救い出したいんです。お願いします!
思い出したのは、他でもない自分の言葉だった。
そうだ。自傷行為のように自分勝手に頑張ったふりをするのはもう止めたのだ。一応、アゲートにも話をしておくべきだろう。
「……あれ?」
アゲートの部屋のドアノブに手をかけると、抵抗なくすんなりと開いた。
鍵の掛け忘れだろうか。しっかり者のアゲートにしては珍しい。
「……アゲートさーん? 入りますよ?」
魔石灯は消えている。室内はしんとしていた。
寝てしまったのだろうか。ゆっくりとベッドのある方に進むと、床に散らばった本か何かを踏んでしまう。よく見ると、部屋は荒れていて、枕や毛布、椅子などが散乱していた。
悪いと思いながら魔石灯を付けると、部屋の隅にアゲートが倒れていた。
「――っ、アゲートさん!?」
床にはアゲートのものと思われる血が広がっていた。
慌てて駆け寄り抱き起すと、アゲートは苦しそうに呻く。体は熱っぽく、腹部が抉られ出血していた。最も特徴的なのは、体に浮かぶ禍々しい紫の斑点模様だ。
「これは……毒!?」
まずは、魔力鞄から回復用のポーションを取り出して飲ませる。
これで腹部の傷はマシになるだろうと思ったのだが、様子がおかしい。
「どうして……全く効果がないなんて。この毒のせい?」
ならば、と思い毒消しのポーションを飲ませるが、効果は現れなかった。
ポーションの質が悪いのか、それとも、この異常状態が特別なものなのか。どちらの可能性もあった。少なくとも、ユーリはこんな斑点模様を見たことがない。
「ぅ……クソ、が……」
「ダメです! 今は喋らないで!」
ユーリは魔法鞄から取り出した包帯で傷口の応急処置をしながら考える。
多分、手持ちのアイテムではどうにもならない。いくら中級職になったとはいえ、回復系の魔法は使えない。
ならば、回復魔法が使える専門の者を頼るしかない。
この街にもミカエリス教の教会があったはずだ。
「……よいしょ。すみません、少し我慢してくださいね」
ユーリは行き先を決めると、丁寧にアゲートを抱え、部屋を後にするのだった。
◇
ミカエリス教・教会。
教会は、信仰への報いとして、怪我や異常状態などに対する治療を受けられる場所である。相応のお布施をする必要はあるが、迷宮都市の教会となれば、腕のいい者が揃っているはずだ。
アゲートを急いで運び込むと、見たことのない症状に最初は皆困惑していたが、優先して奥の施療室に運び込まれることとなった。ここでも、魔導学院の講師という肩書が役に立った。
ユーリは待合室で、天使様に祈りながらアゲートの回復を待つ。
しばらくすると、修道服に身を包んだ白髪の女性が現れ、ユーリを病室に招いた。
「どうぞ、中へ」
彼女は、リリィ・フロスト。
上級職、大司祭の一人で、治癒魔法の腕は折り紙つき。聖金貨十数枚という大金を払ってまで彼女の治療を求める者もいるそうで、普段は全国の教会を回っているのだとか。
それが、たまたま迷宮都市ラスアルゲティに滞在していたのだから、本当に運がよかった。
「アゲートとは古い顔なじみでしてね。懐かしい顔を見られたと思ったら、命の危険すらある酷い状態で困惑しましたよ」
「い、命の……す、すみません」
「あら、あなたのせいでアゲートは傷を負ったのですか?」
「い、いえ……そうではないですけど、でも、私がもっとしっかりしてたらとも……」
「違うのなら謝罪をする必要はありませんね。そうだとしても、私が謝られるのはおかしな話ですが」
部屋の隅のベッドで、アゲートは寝かされていた。
病衣に身を包んでおり、顔色は悪い。だが、体中に浮かんでいたあの斑点模様はきれいさっぱりなくなっていた。
「ひとまず、毒状態の処置と、腹部の傷は治癒しました。命にも別状はありません。ただ……やっかいですね、この毒は」
リリィは、雑に毛布を捲って、アゲートの腹部を晒しながら言った。
「えっと……つまり……」
「完全回復にはもうしばらくかかります。これも毒状態の一種であることは間違いありませんが、これほどのものは初めて目にしました。一定の等級以下のアイテム、及び回復魔法を一切受け付けない特殊な猛毒。まるで、呪いのようです」
リリィは再びアゲートに毛布を掛けると、不機嫌そうにアゲートを見やる。しかし、彼の髪を梳くリリィの手つきは優しく、視線は不安に揺らいでいるようだった。
「私がいてよかったですね。他に対処できたものはいなかったでしょう」
「……それほどの。あ、ありがとうございます」
「何があったのですか? アゲートがこれほどこっぴどくやられるなんて、よほど高位の魔族が現れたのか……それこそ七魔皇級の」
「……わかりません。私が部屋を訪ねた時はもう倒れていて」
ユーリが知りたいくらいだった。
あのアゲートがそうやすやすとやられるようには思えないというのは、ユーリも同じ意見だ。短い間だが、彼の強さはよく知っていた。
「そうですか。彼が目覚めたら詳しく聞くとします。治療費についてもしっかりと絞り取って……じゃなかった、信仰の証としてお布施を包んでいただくことにしましょう」
そう言うと、リリィはユーリに軽く礼をして病室を後にした。
改めて、アゲートの顔を見やる。
アゲートは苦しそうに寝息を立てている。
だが、リリィも時間がかかるが治るとは言っていた。命に別状がないというのはひとまず安心した。彼女には改めてお礼をしようと心に決める。
「……今はゆっくり休んでくださいね」
「……ぅ、に」
アゲートが苦しそうに呻く。朦朧とした意識の中、ユーリに何かを伝えているようで、続けて「……の、ぅ……に」と言葉にならない呻きを漏らした。
「……え?」
アゲートの口元に耳を近づける。
すると、今度ははっきりと聞こえた。
「――迷宮に……ルゥ、プは……き……の、ち……」
ユーリの心臓がドクンと跳ねる。
迷宮と言った。つまりは、ティタウィンの聖墓のことを言っている。
ユーリは自分が迷宮に挑まなければならないという焦燥感に突き動かされ、アゲートの部屋を訪ねたことを思い出した。
もし、それがただの直感ではないとしたら。
勇者としての勘のようなものが働き、迷宮に導かれたのだとしたら。
――暴きたまえ、聖墓の底の底を。
ふいに、脳内に声が響いた。
頭を鈍器で殴りつけられたような衝撃があった。
それはユーリの心を滾らせ、その閃きを欲望に昇華させた。
きっと、ユーリの直感は正しかった。迷宮には何かがある。瀕死のアゲートもそれを示したくれた。もう、それ以外のことは考えられなかった。
「待っていてください。ルゥプちゃんを助けて、先生の仇も取ってみせますから」
ユーリは腰に掛けた刀を掴み、そう新たな決意を口にした。




