第73話「双子の黒精種の襲撃2」
オデットはゾッと背筋が粟立ち、弓を取り落とす。
それは身の丈ほどある巨大な弓で、特に攻撃力を高めることに拘って鍛えて貰った一品だった。加えて、放たれる矢の速度はまさに疾風の如し。
実際、矢は狙い通りターゲットに直撃した。
そのまま、背中から心臓を貫くはずだった。
今頃、ターゲットの体には大穴が空き、地に伏しているはずだった。
だが、そうはならなかった。
「どうしてなの! 有り得ないの! オデットの天才的でパワーな一撃がああああ!」
何か特殊なスキルでも発動していたのだろう。
ターゲットには傷一つ付かず、それどころかこちらの狙撃位置を特定してきた。
視線が合った。有り得ないと思ったが、相手はあの七魔皇の一人、ベリウスだ。オデットは七魔皇がどういうヤツらか身を以って知っていた。
「だからアタシは止めようって言ったじゃねえか! バカ姉!」
オデットの双子の妹、オディールが騒ぎ立てる。
「言ってないの! よっしゃ、やってれ姉貴! ってノリノリだったの!」
「そりゃ、姉貴に乗せられて……最初はちゃんと止めてただろ!?」
「だったら、最後まで自分の意見を貫くべきなの! バカオディール! バーカ、バーカ!」
「はぁあ!? 姉貴がアタシの話素直に聞き入れたことなんてなかったろうが!」
オディールが地団駄を踏む。
オデットは、オディールの圧に怯みかけるが、なんとか姉の威厳を保って「がるるっ」と威嚇する。
百七十を超える高身長に、豊満なバスト。褐色の肌、黒精種(ダークエルフ)特有の尖った耳。
色々とデカいのがオディールの特徴で、比べて、オデットの体は貧相だ。体は薄く、どれだけ食べても太れない。開き直って髪はツインテールに括ってやった。
どうして、自分の方が姉なのに……という思いはあるが、今はそれどころじゃない。
「いいから、さっさと逃げるの! このままじゃ、マジでヤバいの!」
言うが早いか、オデットは弓をしまって監視塔を飛び降りる。
オディールも軽い身のこなしで付いて来ると、オデットを追い越して入り組む街の中を駆ける。
「クソぅ、これアタシもネーラ様に怒られるのかなぁ」
逃走ルートを思い描き、人混みを縫って走る。
「もってなんなの! オデットとオディールは一蓮托生なの! 怒られる時は一緒なの!」
「あぁああもう、クソ姉貴! あの人有り得ねえくらい滅茶苦茶こええんだからな!」
「それは知ってるの! オデットだって既に震えてるの!」
気配遮断のアイテムを使用してから人混みを抜け、狭隘な路地裏に入る。
大通りから外れたここから先は、迷宮都市に住まう人々でも迷うほどの複雑さを誇っているらしいが、オデットは事前に周辺の地理を頭に叩き込んでいた。
「はあはあ……っ、とりあえず、ここまで来れば安心なの」
肩で息をしながら、安堵に一息つく。
狙撃に失敗したのは痛手だったが、振り出しに戻っただけとも考えられる。チャンスはまだある。それよりも、ネーラへの言い訳を考えることに思考をシフトするのがいいだろう。
そう思って、顔を上げると、隣のオディールが目を剥いていた。
「う、嘘だろ……」
オディールの視線を追って、その理由がわかった。
空気が震え、蛇に睨まれた蛙のように体が硬直する。
圧倒的な魔力の帳が降り、呼吸困難に陥りかける。
まるで、全てを見透かしたように、これまでの必死の逃走を嘲笑うかのように――ベリウス・ロストスリーが立っていた。
「貴様らの――」
ベリウスが口を開く。
それだけで空気が数倍にまで重たくなった気がした。
「目的はなんだ」
ベリウスの声に腹の底が震え、すぐに逃げ出したい衝動に駆られる。
それでも、オデットは強く拳を握り込み、口を開く。
「はッ、そんなの言うわけない――のがッ」
「詠唱破棄――【グラビティ・フォール】」
オデットの言葉とほぼ同時に、ベリウスの声が響く。
激しい重力の帳がオデットの一面に降りかかり、地面に落ちる。顎が強打され、口の中に血の味が広がる。立ち上がろうと五指に力を込めるも、ビクともしない。
オデットは地面に縫い付けられ、ただ、ベリウスを見上げることしかできなかった。
まるで、巨人に踏みつけられているのかのようだ。
この規模の魔法を詠唱もせずに繰り出してくるのか。
「……ば、けもの」
わかっていたはずだが、実際に目の前にすると、想像以上だった。
「オデットッ!」
オディールが手を伸ばそうとしてくるが、それを視線で静止する。オディールまでこの重力の檻に捕らわれれば、本当の意味で勝機がゼロになる。
オディールもそれをわかったようで、悔しそうにその場で歯噛みする。
ベリウスがゆらりと杖を持つ腕を持ち上げた。
そんな挙動の一つ一つに、オデットは耐え難い恐怖を感じていた。次の瞬間に強力無比な魔法が放たれ消し炭になる、そんな妄想が脳裏を過る。
「1715」
「……は?」
しかし、ベリウスから発せられたのは、わけのわからない数字だった。
「お前の命の総量だ、黒精種の少女よ」
「……な、何を言ってる、なの」
「俺は今から、お前に2645のダメージを与える。言っている意味がわかるか?」
わからないが、わかった。
重力の檻に捕らわれ、圧倒的な魔力に息が詰まりそうになり、その鋭い相貌で見つめられれば、嫌でも理解させられた。いや、既に理解していた。
どちらが上で、どちらが下か。
彼我の実力にどれだけの差があるのか。
ベリウスが今から何をしようとしているのか。
「死――っ」
ひゅっとオデットの喉が鳴る。
ベリウスが杖の先をこちらに向けてくる。
「全て話すから助けて欲しいの! なんなら、仲間になってあげてもいいなの! なんでもするの! なんでもするので命だけは助けて欲しいなの!」
必死のオデットは、自分でも驚くほど軽快に口が動いた。
ネーラのことを考えると恐ろしいが、今は目の前のベリウスの方が恐ろしい。命あっての物種だ。死んでしまえばどうにもならない。一度裏切るくらい……。
「そうだぜ! まずは、話し合いをしよう! アンタだって、戦力は多けりゃ多いほどいいはずだろ? 頼むよ!」
オディールも同じように思ったのか、オデットに便乗する。
「こう見えてアタシも、オデットも結構役に立つ――ぜ?」
その時、オディールの声が不自然に上擦った。
一拍遅れて、宙に舞うオディールの右腕が視界に入った。鮮血が舞い、それがぴしゃりとオデットの頬を濡らす。腕が地面に落ちる鈍い音がして、オディールの絞り出すような絶叫が響いた。
「……ぁ、やぁ、あぁぁああああああ――ッ」
びしゃびしゃとオディールの肩から血が噴き出て、よたよたとたたらを踏む。
「オディール!」
しかし、ベリウスは杖を構えたまま動いていなかった。
いくらベリウスと言えど、予備動作なしで腕を斬り落とすのは無茶だ。
いったい誰が――そんな味気ない疑問の答えは闇の中からやってきた。
「あらあら、首を落とすつもりだったのですが、外れてしまいましたわ」
おっとりとしていながらも、脳を直接撫でるような不気味さのある声だった。
宵闇のような漆黒の髪に、冷たい瞳。絶対零度を思わせる凍てつく魔力を纏った彼女は、細い指先で唇を撫で、ニッと笑った。
彼女の表情を見て、オデットはベリウスとした時より深い恐怖心に苛まれる。
全てを見好かれているような、その瞳に刻み込まれた恐怖がフラッシュバックする。
きっと、オディールも同じだ。
だから、あんなにも震えているのだ。
「今、オデットが……ッ」
焦燥感に歯を食いしばる。
オデットは重力の檻から逃れるべく体中に力を込めるが、やはりビクともしなかった。
明らかに通常感がられる魔法の持続時間を大きく凌駕している。
何もかもが常識の埒外にある――これがベリウス・ロストスリーなのか。
「……フンカル」
ベリウスは、女の名前を呼ぶ。
「すみません、出過ぎた真似をしたでしょうか? あまりにも醜くて見ていられないものでしたから」
フンカルと呼ばれた女は、ペコリと頭を下げる。
「いい。問題ない」
ベリウスは顔を上げろとフンカルに言い付ける。
オディールはその一瞬の隙を見逃さなかった。そのベリウスの視線がオデットから逸れた瞬間、オディールは切断された己の腕を拾い上げる。
「クソ姉貴! 手をッ!」
そのままベリウスが作った重力の檻に飛び込むと、オデットの手を掴んだ。重力に押しつぶされ片膝を付く。オディールの腕から血がドバドバと漏れる。
だが、オディールは左手で印を結んでハッと笑った。
「これでッ」
ベリウスが事もなげに視線を寄越す。
オデットたちなんて取るに足らない虫けらだとでも思っている目だ。警戒なんてしていない。それに安堵すると共に、緊張感を覚える。
だが、おそらく、このまま――。
「飛ぶぜ、姉貴――【瞬転の術】」
彼女の職業、忍刀士は、スピードと技の豊富さに秀でた、近接系の上級職だ。
取り回しのいい短刀を身に着け、アレンジを加えたシノビ装束を纏ったオディールは、十八番の闘氣術を発動。
瞬間、ふっとオデットは自身を押さえつける力から解放された。
【瞬転の術】は発動者と、触れた者を一定距離に転移させる闘氣術だ。
一日に一度しか使えない奥の手だが、まさに今がその切りどころだろう。
「ざまぁ、なのっ!」
オデットとオディールは【瞬転の術】で転移しその場を後にする。
その時、視界に映ったベリウスはこちらを見て笑っていたような気がした。
◇
オデットとオディールが目の前から一瞬で消え去り、場にはオディールの血だけが残された。勢いを増した重力に耐え切れず地面は砕けており、その間に血は染み込んでいる。
黒精種。
魔族の二人組。
オデットとオディール。
双子の彼女たちの姿にベリウスは見覚えがあった。
原作ゲームでプレイヤーとして戦ったことがある。彼女たちは、ベリウスが次のターゲットに据えた七魔皇、ネーラの配下だ。
「すみません、逃がしてしまいました。やはり、ワタシが余計なことをしたから……」
フンカルが恐縮して言う。
「いや、いい。収穫はあったさ」
「収穫ですか……?」
その問いに、ベリウスは答えない。
既にこの世界は、原作のストーリーから大きく外れている。それでも、ベリウスの持つ知識によるアドバンテージは健在。敵が考え得るあらゆる可能性は無論ベリウスの脳内に存在し得るものである。
彼女らはネーラの手の者であり、同じ七魔皇のベリウスを狙っていた。本来は赤き竜の復活という共通の目的を持つはずの同士であるベリウスをだ。
徐々に輪郭を帯び始めた今回の敵を思い、ベリウスは心の中で唱える――さあ、かかって来るがいい。真正面から、全てを叩き潰してやる。




