第58話「ユーリの旅立ち2」
カンデラはメイドに出された紅茶に手を付けると、ふうと息を吐く。
その所作の一つ一つが洗練されていて、ああ、やっぱり目の前のこの人は剣聖カンデラなのだなと思った。
もしかしたら、さっきの珍事もこちらの緊張をほぐすためのパフォーマンスだったのかもしれない。
「あら、紅茶が減ってしませんわね。お口に合いませんでしたか?」
ユーリの手元のティーカップに視線をやり、問うてくる。
「いえ、そういうわけではないんですけど……」
「ああ、覚めてしまってはせっかくの紅茶が台無しですね。誰か、新しい物に交換してくださりませんか?」
「い、いえいえいえ! そんなお気になさらず! いただきます!」
ユーリは慌ててティーカップを手に取ると、その中身を飲み干した。
冷めたからなんて理由で新しい物に変えて貰うわけにはいかない。
味はよくわからなかったが、なんか高そうな香りだなあと思った。
「ごめんなさい……気を利かせたつもりが、返って気を遣わせてしまったようで」
ユーリの様子を見て、カンデラは苦笑いをする。
なんだか恥ずかしくなって「……す、すみません」と呟き、ユーリは小さく縮こまる。やはり、自分は場違いだろうと思った。
それから、勧められるままにこれまた高級そうな菓子を口に含み、しばらくしたところで、「そろそろ本題に入りましょうか」とカンデラが切り出した。
「人類は再び岐路に立たされていますわ。赤き竜の封印が緩み、七魔皇が選定された。先日の高台でのベリウス・ロストスリーとの一戦は貴方の記憶にも新しいものでしょう」
「は、はい」
「貴方が勇者ですね、ユーリ・グレイル」
カンデラの言葉にドクンと心臓が脈打つ。
「……気づいてらしたんですね」
「ええ。単身七魔皇に立ち向かう、貴方の雄姿を見させて貰いました」
「いえ……私は本当に何もできず……すみません」
ユーリはグローブを取ると、手の甲をカンデラに見せつけた。
そこには、勇者を表す紋章が刻まれていた。ユーリは正真正銘の勇者だった。
この紋章が刻まれた時、ユーリは心底から驚いた。今でも半信半疑だ。まさか自分が勇者に選ばれるなど思ってもいなかった。
ユーリは、王都よりしばらく南下したところにある、とある田舎の小さな漁村の出身だった。
生まれた時から両親はいない。
ユーリは、昔、王都で冒険者をしていたという猟師――ゼハに拾われ育てられた。
同年代の子供はおらず、大人に囲まれて育った。寂しくはなかった。ゼハは不愛想だが優しくて、村のみんなもユーリに親切にしてくれたからだ。
村の近くには、度々魔獣が出現することがあったが、レベルはそこそこ。被害が出ても軽度なもので、村の大人や常駐する冒険者などで十分対処ができていた。
ゼハは名のある冒険者だったようで、その剣裁きは幼いユーリから見ても卓越したものがあった。彼の戦いっぷりに憧れたユーリが剣を習おうとするのは、必然的な結果だったように思う。
ゼハは仕事の合間を縫って剣を教えてくれた。
その時間はユーリにとってかけがえのないものだった。
そんなある時、事件は起きた。
一人の凶悪な魔族が村を襲撃してきたのだ。
その魔族は日頃相手にしている低級の魔獣とはわけが違った。
鉄級冒険者ほどの戦闘力の村の大人では相手にならなかった。
魔族は村人を殺し、家々を破壊した。
村の大人たちはユーリを守ってくれた。
誰もがユーリだけは守り通すと命を張ってくれた。
もういい。逃げようと言うのだが、誰も言うことを聞かなかった。
一人、二人と目の前で家族にも等しい者たちの命が奪われていく。
そして、その刃はユーリにも届こうとした。ユーリは恐怖から動くことができず――瞬間、海に出ていたゼハが駆け付けてくれた。
『逃げろ、ユーリ。コイツぁ、オレが仕留める』
ゼハは一人で魔族を食い止めると言う。
無茶だと思った。
ゼハの強さは知っているが、それでも目の前の魔族は規格外の強さをしていた。
仕留める? 違う。ゼハは命懸けでユーリが逃げる時間を稼ごうとしているのだ。
『早くしろ! ここでお前を死なせたら、死んでも死にきれんじゃろうがいッ』
ゼハの蛮声にビクリと体が震える。
気づいた時には、ユーリは脇目もふらずに駆けだしていた。
涙を拭い、振り返ることなく、全力で走った。
自分は足手纏いだ。
もし、戦える力があれば。
もし、抗う勇気があれば。
そうしたら、村のみんなが死ぬことも、ゼハが一人残るようなこともなかった。
あの日ほど、自分の無力感を呪ったことはなかった。
自分は無力だ。心も体も弱い、何も持たない子供だ。
そう己を呪いながら逃げて、逃げて、逃げたはずなのに――。
『……どうして』
ユーリの手の甲には勇者の紋章が浮かんでいたのだ。
わけがわからなかった。
何もできず、敵に立ち向かうこともしなかった。
死にゆく恩人たちを前に何もできず、一人村を逃げ出した。
何一つ成せず、ただ逃げただけの小娘がなぜ勇者に選ばれたのか。
選ばれてしまったのか――自分なんかが勇者に。
「……っ、ダメだ。弱気になっちゃ」
意識を引き戻されたユーリは、後悔に気分が沈みそうになるのを振り払い、目の前のカンデラに視線を向ける。
カンデラは困ったように苦笑いをしていた。
「貴方は本当に立派でしたわ。それに何もできないで言えば、わたくしこそそうです。ベリウスのメイドに手も足もでなかったのですから」
「それは違います! 剣聖様のおかげで被害があれだけで済んだんじゃないですか」
カンデラが敵わない相手に誰が敵うというのか。
あの場にカンデラがいたのは、まさに不幸中の幸いだった。
敵が強すぎたのだ。カンデラが何もできなかったなんて思えるはずがなかった。
「そう言って貰えると救われますわ。……ノワール以外は席を外していただけますか?」
カンデラが視線をやると、側に控えていたメイドたちが一礼をして次々と退出していく。ノワールと呼ばれた黒髪のメイドだけが残り、カンデラの背後に待機した。
カンデラが咳払いをして、話を続ける。
「ユーリは勇者の役割を理解していますか?」
「はい。七魔皇を討伐して、赤き竜の復活を防ぐことですよね」
カンデラの問いに、力強く頷く。
「そうですわ。歴代の勇者は今までたったの一度も赤き竜の復活を許さなかった。勇者には信頼と絶対的な力、そして運命力があるのです」
「……運命力」
「これから、貴方はどのような選択をしようと、戦いの運命からは逃れられませんわ。それを前提に今から二つの選択肢を与えます」
カンデラが二本の指を立てて言った。
「一つは、王国の最大戦力を以って貴方を保護し育成する案。もちろん、わたくしも責任を持って貴方を指導いたしますわ」
カンデラを含む、王国の先鋭が、勇者の素質を最大限発揮できるようにユーリを鍛える。
危険は少なく、勇者を手元に置いておけるという意味では、王国にも利点があるだろう。
「もう一つは、勇者の体を研究し、七魔皇討伐に活かそうという案。人類全体の力の底上げを図ることができれば、勇者という不安定な個人に頼る必要もありません」
「……っ、それは」
人体実験の文字が脳裏を去来し、息を呑む。
「それは……私に話してよかったんですか……」
「王国は困るでしょうね。ですが、わたくしには関係ありませんわ。今の二つの案は、どちらも王国内で話し合われているものですが、わたくしは貴方の存在も上には報告していません。あなたがどうしようもない腑抜けだったならば、その選択肢もあったでしょうが……わたくしは先日の戦いで単身ベリウスに挑む貴方の姿に惚れましたの」
「ほ…惚れっ」
「ええ、あれこそ、まさしく勇者の素質」
カンデラの歯に衣着せぬ物言いに、思わず頬が紅潮する。
彼女は真っ直ぐと、こちらを見つめてくる。本気で期待しているのだ。なんの力も持たない小娘に、この英雄は真摯に向き合ってくれている。
だから、つまり、そういうことだろう――。
「……三つ目の選択肢があるんですね?」




