身体が読む
翌朝、玄関にエドが立った。胸元のポケットから、鉛筆が三本覗いている。先端は今朝のうちに削られているのが、上からも見えた。
「三本か」
「今日は、反応が増えるかも、と」
セレナがエドの肩の高さで、軽く頷く。
「気をつけて」
「ミラに、同じ時刻に同じ動線が通ると伝えてくれ。反射の有無を、全部書け」
「分かりました」
エドが出る。帳面の角が肩で一度揺れた。昨日と同じ動作だった。
俺は事務所に戻り、机の上の食材納入記録を開く。新顔の運搬人の二日目以前を遡る。
一日目の搬入物に、紙包み一つがあった。記録には、香料、とだけ書かれている。
受領主の欄に、厨房と短く記されていた。
香料の保管棚の使用記録を引く。前日の保存量と、今日の保存量を並べる。差分は、想定の倍に近かった。通常より、減りが早い。これだけではまだ足りない。
香料が、何かの経路で薬湯か食堂に近づいている。
紙の上に、もう一つ点を打った。香料、と小さく書く。
机の端の事件1と2のノートには、ペンの蓋がまだ乗ったままだった。線を引きかけたままで、点だけが、薄く古びている。
昼前、エドが戻ってきた。帳面が今日も少しだけ膨らんでいる。
「今日は、三度でした」
「三度」
エドが帳面を机に置く。一行目の前に、エドが線を一本引いていた。
朝、配膳係ミルセンが薬湯の盆を厨房から運び出した時、ミラ反射。
場所、厨房の入口。昨日と同じ瞬間。
昼、厨房で薬湯が煮立った時、ミラ反射。
場所、厨房の竈。これは、新しい。
ミラは半分の動きより、やや深い、と書き加えてあった。
右手が、剣の柄に触れる手前で止まったとも書かれている。
昼、新顔の運搬人が裏門から食材を入れた時、ミラ反射。
場所、裏門の前。昨日と同じ瞬間。
「二度目だけ、ミラが少しだけ違いました。半分より、もう少し」
「物が、運ばれる時、ではない時にも、動いた」
「物が、変わる時、でしょうか」
「変わる時、だ」
帳面の二度目の行で、エドの鉛筆の跡が、紙の裏まで薄く透けて見えた。
昼の湯気の匂いまで、そこから戻ってくる気がした。少し甘い。
エドが少し顎を引いて、二階に上がる。俺は帳面の二度目の行に、ペン先で短い線を引いた。
午後の机に、帳面、香料リスト、薬湯の薬種記録、厨房の竈の使用記録が並ぶ。
二度目の反応——薬湯が煮立った瞬間——を、中心に置いた。
厨房の竈の付近に、香料の保管棚がある。竈と棚の距離は、人が両手を伸ばした程度だ。
薬湯は単独では無害だ。薬師が今朝、味見済みで変調なし。
香料も単独では無害だった。神殿納入の正規品で、検査控えにも陰性と書かれている。
だが、煮立ちの瞬間だけ、二つは同じ高さで白くほどける。薬湯の湯気と、温められた香料の気配が、毒見役の口元で一つになる。薬師の控えの『血流に微弱な変調』の一行が、そこでようやく紙の上に戻ってきた。
紙の上に、二本の線を引いた。
一本は、薬湯の運搬と煮立てから、毒見役の卓まで。
もう一本は、香料の搬入と保管から、厨房の蒸気まで。
二本の線が、厨房の煮立ちと毒見役の卓の間で、一点に交わる。
紙の上で、点が、線に変わった。
揃いかけ、ではない。
揃う場所が、見えた。
夕方、セレナがコーヒーを淹れた。細い湯気が、棚のほうへ一度だけ流れる。エドが二階から降りてくる足音は、軽い。
「明日、また同じ時刻に同じ動線」
「毒見役が口をつけるところまで、同じにする」
「止めるの」
「止めれば、次の機会を相手は作るだけだ。一度だけ、現場で止める」
「ミラに」
「ミラが動く瞬間を、先に読む。俺の指示より、あいつの身体が先に動くしかない」
「俺は、書きますか」
「書け。動かないことが、お前の仕事だ」
エドが帳面を抱え直した。表紙の角が、机の縁に一度だけ触れる。
ミラ、お前の身体に、明日を任せる。口には出さなかった。
セレナの指は、机を叩かない。今日はもう、叩かなかった。
帳面の表紙の、もう少しだけ膨らんだ感触が、夕方の光の中に残った。




