再会
朝の光が、机の上で三枚の紙を白くしていた。
一晩で選別した三枚だった。
扉が開いて、セレナが入ってきた。銀髪を結い、外套の襟を留め終えたところだった。
俺は三枚の紙を揃えて、机の上を滑らせた。
「持っていくのはこれだけだ」
セレナが紙を一枚ずつ確認した。事実だけを残し、結論は削ってある。
仮説の紙は三行分の余白のうち、一行しか埋めていない。
セレナの指が、最後の紙の上で止まった。
「仮説を一つだけ?」
「現場で判断できる幅を残す。全部渡すと罠に嵌まる」
セレナはそれ以上聞かなかった。三枚を二つに折り、外套の内側にしまった。
「行ってくる」
扉が閉まる音がした。
窓の下で馬車の音が聞こえた。馬蹄が石畳を叩く間隔が速い。第三の門まで、この時刻なら四半時だ。
頭の中で時間を置いていく。第三の門、控えの間、形式的な挨拶、拝謁の間。長くて昼前には終わる。
午前十一時を過ぎた。窓の光が机の縁まで下りてきている。
俺は紙を机の上から動かさなかった。仮説の紙だけは、左の端に寄せて残してある。渡した一つと、渡さなかった二つが、今どれくらいの重さで動いているのか。紙の上からは見えない。
インクの匂いが少し乾いていた。朝に触れたままの紙の角が、まだ揃っている。
時間だけが、妙に遅かった。
階段を上がる足音がした。エドが扉を薄く開けて、顔だけ覗かせた。
「飯、食うか」
「いや」
エドは何も言わず、扉を閉めた。足音が下に降りていく。俺は動かなかった。フィクサーは現場に出ない。動かないことを選んでいる。動けないのではない。
午後、扉が開いた。
セレナが入ってきた。外套を脱いで、椅子の背にかけた。机に近づく。
指が、机を叩かなかった。
石床の匂いと、外の冷えた空気が一緒に入ってきた。朝より少しだけ重い。
「どうだった」
俺は短く聞いた。
セレナは少し間を置いてから言った。
「普通の人だったわ。王子は普通の人だった」
俺は一瞬、黙った。「普通」という言葉の幅を測っている。喜んでいるのでも、動じているのでもない。
セレナが続けた。
「後悔しているのか、計算しているのか、読めなかった。十年分の変化を、読む技量が私にはない」
「それでいい」
セレナは机の端を見た。
「断るの?」
「お前が決めることだ」
「決まっているでしょう。ただ——」
語尾が途切れた。
「断り方が問題なの」
頭の中でデータベースを開いた。
「婚姻打診を、ラングフォード家が断った場合」——この条件で、波及経路を展開する。EXPLAIN。
筋は三つあった。直接断れば、王太子派と距離を置いたと見なされる。時間をかけて曖昧にすれば、交渉だけが宙に浮いて名誉回復の意味が薄れる。残るのは、別の理由を立てて断る筋だった。
紙を一枚取り、三つの経路を書き出した。左から順に線を伸ばす。孤立、減衰、別の理由。右端に並んだ三つの終点を見比べる。
セレナが覗き込んだ。
「直接断ると孤立する。曖昧にすると減衰する。別の理由を作るしかない」
「理由を作れる?」
「作れる。だが——誰にも傷がつかない形を設計する必要がある」
セレナの指が、机を一度叩いた。
紙の上の三本目を、もう一度見た。
「別の理由」を作るには、商業取引の実態が要る。ラングフォード家に復興事業が必要で、ギルドの商会が参画している形。形式だけでは足りない。人と、物と、帳簿が動く必要がある。
「今夜、設計する」
セレナが俺を見た。
「一人で?」
「いや、お前と」
「——それでいい」
短い沈黙が落ちた。机の上の紙が、窓の光を反射していた。
俺は一つだけ確認した。
「王太子の態度、本当に『普通』だったのか」
セレナは少し考えてから答えた。
「わからない。ただ、一度も私の目を見なかった」
俺は黙った。
渡した一つは感情の筋だ。だが、目を見なかったという事実は、それだけでは閉じない。
セレナの指が、机を一度叩いた。
設計と調査を、明日から同時に走らせる必要があった。




