銀髪の少女は助けを拒んだ
南門の脇に、人だかりができていた。
太った男が、一人の女の腕を掴んでいる。生臭い汗の匂いが風に乗って届く。女は振りほどこうとしているが、体格差で動けない。
「宿代三日分、銀貨15枚だ。踏み倒す気か」
「三日で銀貨15枚? ふざけないで。あの部屋にそんな価値はないわ」
女は若い。俺と同じか、少し上くらいか。薄汚れた外套を羽織っているが、背筋が伸びている。
銀色の髪が夕日を受けて光っていた。
俺はデータベースを走らせた。南門付近の安宿に絞り込んで、相場を引き出す。
一泊銀貨2枚から3枚。三日なら6枚から9枚。
銀貨15枚はぼったくりだ。
「払えないなら、身体で払ってもらうぞ」
男がにやりと笑った。周囲の野次馬は見ているだけで、誰も動かない。
俺は一瞬、足を止めて計算した。
助ける義理はない。見ず知らずの女だ。関わればトラブルに巻き込まれる。
だが。
あの女の所作。背筋の伸ばし方、顎の角度、手の組み方。安宿に泊まるような身なりとは、明らかに不釣り合いだ。
(貴族だ。それも、かなり上の)
俺の足が動いた。
◇
「すみません、その人に用があるんですが」
太った男が振り返る。
「あ? なんだお前」
「商人ギルドのレインです。その方に届け物がありまして」
懐から銅のギルド証を見せる。
「届け物? そんな話は——」
「宿代の件でしたら、こちらが立て替えます」
俺は銀貨9枚を取り出した。15枚ではない。9枚。
「相場は一泊3枚。三日で9枚ですよね。ギルドの取引記録にも、そう記載されています」
嘘だ。ギルドにそんな記録はない。だが、この手の男に確認する度胸はない。
男の目が泳いだ。
「……ちっ」
銀貨をひったくるように受け取り、男は去っていった。
野次馬も散る。
女が俺を見た。青い瞳。冷たくて、鋭い。品定めされている。
「助けてもらったつもりはないわ」
第一声がそれだ。
「9枚は返します。いつかは分からないけど」
「そうですか」
「何が目的? 見ず知らずの女に銀貨9枚。商人が理由なく金を使うわけがないでしょう」
頭の回転が速い。そして、人の善意を信じない目をしている。
(いいな、この女)
俺は正直に答えることにした。腹の探り合いをするなら、最初の一手は素直に出すほうが効く。
「あなた、貴族ですね。元は侯爵家あたりだと見ましたが」
女の目が細くなった。
「何を根拠に」
「歩き方。姿勢。それから、ぼったくられているのに値段の相場を正確に把握している。教養がある証拠です」
沈黙。
「……元、ラングフォード侯爵家。セレナ・ラングフォード。今はただのセレナよ」
ラングフォード侯爵家。
俺はデータベースの中で、ラングフォードの名を検索した。
一瞬で情報が浮かぶ。侯爵位。没落。そして——令嬢が王子の元婚約者。
十年前、王子との婚約が破棄された侯爵家。理由は別の令嬢との縁談。政争に敗れた侯爵家は領地を召し上げられ、一族は散り散りになった。
書庫で読んだ記録と一致する。
(当たりだ)
「俺はレイン。商人です。伯爵家の五男でしたが、今は名乗れる姓もありません」
「伯爵家? ……どこの」
「バルトス」
セレナの眉がわずかに動く。
「小さな伯爵家ね。ラングフォードとは面識がないけれど」
「そりゃそうです。格が違いますから」
皮肉で返すと、セレナの唇がほんの少し持ち上がった。笑ったのかもしれない。
「それで、何が目的なの。元伯爵家の五男さん」
「あなたが欲しい」
セレナの眉が跳ね上がった。
「仕事の話です。俺には貴族社会の実践が足りない。作法、人脈、社交の場での立ち回り。あなたにはそれがある」
「……あなた、腹黒いわね」
「お互い様でしょう」
セレナは俺をじっと見つめている。数秒の沈黙。
「今すぐ答えは出せないわ」
「構いません。南門前市場で薬草を売ってます。気が向いたら来てください」
俺は背を向けて歩き出した。
(来る)
確信がある。
あの女には行く場所がない。金もない。だが頭は切れる。プライドも折れていない。
追い詰められた人間が、差し伸べられた手を払い続けられるのは、せいぜい数日だ。
人物テーブルを更新する。セレナ・ラングフォード。元侯爵家令嬢。性格は腹黒で現実的。
利用価値、極めて高い。
(楽しくなってきた)
宿に向かう足取りが、少し軽い。




