影のかたち
エドが荷を背負って玄関先に立っていた。木箱を二つ積み上げて、肩紐を引っ張りながらこちらを見る。朝の光が開けた扉の向こうから差していて、石畳がまだ乾いていなかった。
「今日の分、多いっすね」
「顧客が増えた」
「あ、そっすか」
短い返事だった。エドは何か付け加えそうな顔をして、やめた。荷を背負い直して、外へ出た。石畳を踏む音が遠ざかる。まだ早い時間で、通りを行く人影は少なかった。朝の光の角度が低くて、扉が閉まる寸前に、エドの荷の上に影が伸びるのが見えた。
扉が閉まった。事務所の中が静かになった。
◇
リッツが帳簿を広げていた。指先で数字を追いながら、筆を走らせている。インクの匂いが朝の空気の中にある。時折、紙のめくれる乾いた音がした。窓から入る光が帳簿の白い頁を照らして、文字がくっきり見えた。
「レインさん、今月の売上、過去最高です」
「そうか」
リッツは顔を上げない。数字の列に戻る。筆が止まって、また動く。正確な字だった。頼んでもいないのに毎朝整理されている帳簿の端が、今日も揃っている。リッツが加入してから、帳簿の誤りが消えた。それだけのことだが、その「それだけ」が積み重なっている。
俺も手元の書類に目を落とした。帳簿の紙がもう一枚めくれる音がした。
◇
窓から裏庭が見えた。
ミラが剣を振っている。一定のリズムで、決まった順番で。朝の光が庭石に斜めに当たっていて、ミラの影が細長く伸びる。剣の軌道が変わらない。乱れない。毎日同じ数だけ振るのを見たことがあった。足の運びも同じだ。
何回目か数え終わったところで、剣が止まった。
ミラが剣を脇の石に立てかける。それから、自分の右手を見る。指をゆっくり開いて閉じる。慎重な動作だった。
しばらくして、ミラが懐に手を入れる。折りたたまれた紙が出てきた。開かなかった。ただ手の中に持って、また指先を見る。裏庭の朝の光の中で、その紙の白さが少し際立った。
ミラは庭石に腰を下ろした。剣の柄に片手を乗せたまま、しばらくそのままでいた。何も声を出さない。
俺は書類に目を戻した。
◇
昼前に神殿から使いが来た。クレアからの手紙だった。
本文は短い。「新しいスキル発現記録が三件ありました。興味深いです。今度、見せてください」。文字は丁寧で、いつものクレアの筆致だ。
裏返すと追伸がある。本文より小さな字で、端まで余白を取らずに書かれていた。
「あの日消した記憶は、父の声でした。でも、父の笑顔は覚えています。それで十分です」
読み終えて、しばらく、その行から目が離せなかった。
神殿の石の部屋の冷気と、クレアが目を閉じた瞬間が浮かんだ。あのとき聞けなかった答えが、今になって机の上に置かれていた。
手紙を折り直す。封をして、机の引き出しに入れた。木の引き出しが静かに閉まる。
◇
午後になって、セレナが事務所に入ってきた。外套を椅子の背にかけながら、こちらを向く。銀色の髪がいつもより少し乱れている。どこかに出ていたらしい。
「今日の予定は?」
「ギルドへの報告と、東方への物資調整と、バルクハルトへの——」
「多いわね」
「ああ」
「コーヒー淹れるわ」
セレナが背を向けた。厨房へ向かう前に、通り過ぎざまに手が机の縁に触れた。指が一度、軽く叩く。
それだけだった。セレナは奥へ消えた。
しばらくして、コーヒーの香りが漂ってきた。焙煎の苦みが空気に混じる。俺は書類の次の頁に目を移した。
◇
書類が一段落したところで、窓の外を見た。
王都の昼だった。天秤棒を担いだ商人が荷台を引いている。貴族の馬車が石畳を渡って、車輪の音が路地に響く。子供が二、三人、その馬車の後ろを走り抜けていく。八百屋の声が遠くで上がっていた。どこかで魚を積んだ荷台が水を跳ねた音がした。
誰もこちらを見ない。アルク商会の窓から誰かが外を見ているとは、誰も思わない。通りを歩く人々には、ここはただの商会にしか見えていない。
パターン認識は未来を予測する。だが一つだけ、予測できないものがある。俺自身が、何を選ぶか。データベースは答えを出さない。選ぶのは俺だ。
机に向かった。新しいクエリを組み立てる。次の仕事が待っている。
影のフィクサーは、今日も表に出ない。データベースは静かに回り続ける。




