五つの複製
五日で五箇所、一日ずつ動いた。
一日目は神殿記録室だ。クレアが先に来ていた。彼女の【写本】が写し終えた帳簿の束を確認して、原本と照合する。完全一致。俺のデータは神殿の石壁の中にある。
二日目はバルクハルト私邸だった。封印の書簡を一通、金庫番の老人に預ける。「何かあれば開封してくれ」とだけ言った。老人は封書を両手で受け取り、何も聞かなかった。
三日目はギルドの金庫だ。情報仲介役として積み上げた権限の一端を、証書の形にして残した。四日目はノルトへの早馬だった。東方辺境伯領へ届けるよう頼む。ノルトは書類を懐に入れて、余計なことは何も言わなかった。
五日目はセレナだった。鑑定を通った証言は、彼女の中に残る。
一箇所を潰しても、四箇所が残る。二箇所を潰しても、三箇所が残る。五つ全部を同時に消さない限り、ディートリヒは俺の証拠を殺しきれない。
五日目の夜、事務所へ戻ったとき、足の裏が重かった。五日分の重さが積み重なって、足の指が靴の底に沈み込んでいる。椅子に座って机の前に手を置いた。指が書類の角に触れた。それだけで止まった。動かなかった。
◇
扉の音がした。
ミラだった。市場帰りの籠を片手に提げたまま、こちらを見る。
「顔色が悪い」
「平気だ」
ミラは少し俺を見た。三秒ほど。
「嘘つけ。平気な奴はそう言わない」
責めていない声だった。ただ、そう言った。
踵を返した。続きを言わないまま、厨房の方へ消えていく。
蝋燭の火が一本、机の上で燃えていた。炎が揺れた。窓から夜風が入っているわけではない。俺が息をしているだけで、揺れる。その程度の火だった。書類の端を見ていた。文字は読めた。頭に入らなかった。指が紙の上で止まったままだ。
しばらくして、陶器を置く音がした。
薬湯だった。机の端に、白い湯呑みが置かれている。湯気が蝋燭の光の中で揺れた。匂いが来た。苦い草の匂い。薬種屋で出てくるような、体に良いがうまくはないやつだ。
ミラはいなかった。置いて、行った。
◇
翌朝は神殿記録室だ。
クレアが先に来ていた。いつもと同じだった。三つ編みが整っていて、眼鏡の位置も正しくて、机の前に座って書類を広げている。今日は最終取り込みの日だ。
「始めます」
クレアの声が静かに石壁に当たって消えた。
俺が頷くと、クレアはペンを持った。彼女の【写本】が起動すると、紙の上に文字が現れる。俺には見えない何かを写している。今日のそれは、これまでの五日分の記録の確定処理だ。マスターに何があっても、レプリカが本物だと証明できる最後の手順だ。
神殿の冷気が足元から上がってくる。石の床が薄い靴底を通して来る。壁が厚く、窓が小さく、昼でも光が届かない部屋だった。蝋燭が三本。クレアの呼吸が白く見えた。
処理が進んでいた。クレアのペンが動いている。俺はその手元を見ていた。蝋燭の炎が石壁に影を作って、揺れるたびにクレアの輪郭が伸び縮みする。
途中でクレアが止まった。
ペンが紙から離れた。目を閉じた。唇が動いた。声は聞こえなかった。神殿の静寂に消えたか、あるいは声ではなく口の動きだけだったか。俺には分からなかった。
容量には限界がある。その言葉だけは覚えていた。記録するためには、何かを消す必要がある。それが分かっていた。だから俺は、聞けなかった。あるいは聞かなかった。
一行先に進もうとして、進めないまま、ただ立っていた。
冷気が膝まで上がってきた。足の指が靴の中で固まっている。五日分の疲労とは違う重さだった。クレアが手放したものの輪郭だけが、石の空気の中に漂っていた。
クレアの目が開く。
ペンを紙に戻した。作業が再開した。顔色は変わっていない。呼吸も乱れていない。いつものクレアだった。薄い金髪の三つ編みが、蝋燭の光の中でかすかに揺れている。
俺は何も言わなかった。
クレアも何も言わなかった。ペンの音だけが、石の部屋の中にあった。
五つの複製は置かれた。向こうが潰すべき場所は五つになった。こちらが守るべきものも、同じ数だけ増えた。




