十年前の真実
封筒を渡したバルクハルトは、それだけで踵を返した。
「偽造書簡三通の写しです。調査報告を添えてある」
それだけだった。足音が路地の奥に消えていく。俺は封筒を手の中に持ったまま、しばらく動かなかった。
紙の重さが、思ったより重かった。
◇
アルク商会まで十分の道が、今日は長い。
石畳の冷気が靴底から上がってくる。風はない。だが指先が冷たい。封筒の角が掌に当たっている。
伝えるか、伝えないか。
セレナは書簡が偽造だったことを知っている。元家臣の手紙から聞いた。だが封筒の中身はそれより先に進んでいる。三通すべてがディートリヒ一人の手によるものだと示す証拠だ。書記官見習い時代。最初の仕事。十年前に彼がどこにいて、何をしていたか。
十年前、七歳のセレナが何も分からないまま失った全てを、誰かが意図して奪った。その「誰か」の名前が、今俺の手の中にある。
伝えれば、傷を開く。
伝えなければ、嘘になる。
曲がり角で一度足が止まった。
セレナは強い。折れない人間だということは知っている。だが強さは痛みを感じないことではない。今まで独りで受け取ってきた重さを、俺がわざわざ増やすことに意味があるのか。
封筒の紙が風に鳴った。
答えは出ていた。最初から出ていた。伝えないなら、俺は何のために調べたのか。
事務所の扉の前に立った。手が封筒を持ったまま、少しの間止まった。
押した。
◇
セレナは机の前にいた。帳簿の確認をしていた。こちらを見て、俺の顔を一瞬だけ読んだ。
「座って」
言われた。座った。
封筒を机の上に置いた。迷いを見せずに置いた。
「バルクハルトから。偽造書簡三通の写しと、調査報告書だ」
セレナが封筒を見た。指が机の上に置かれている。叩かない。
写しを取り出して、順番に置いた。セレナに読めるように向ける。それから調査報告書を開いた。淡々と読み上げた。
一通目。ラングフォード家が東方の某侯爵と秘密裏に接触し、王子の婚姻工作に反対する貴族連合を組もうとしているという告発。
二通目。ラングフォード家の家令がその連絡役を務めているという偽証。
三通目。ラングフォード侯爵自身が王弟派と密約を交わしたという、最も決定的な一通。
「三通すべてがディートリヒの【模写】によるもの。当時は書記官見習いだった。これが最初の仕事だったと、調査報告は示している」
読み上げ終えた。
セレナの指が机の上で止まっていた。叩かない。普段の癖が消えている。顔から血の気が引いている。
「王子は——騙されていたのね?」
声に怒りはなかった。低い、静かな確認だった。
「そうだ」
俺は続けた。
「ディートリヒを排除すれば、ラングフォード家の名誉回復の道が開ける。正式な告発の原本が偽造だったと証明できる」
セレナが少しの間、黙っていた。
外から荷馬車の音がした。石畳の上を車輪が転がる音だ。遠い。事務所の中は静かだった。
俺の声だけが、そこに落ちていた。
◇
セレナが口を開いた。
「名誉なんかどうでもいいわ」
短い間があった。
事務所の空気が止まった。
「——嘘。少しだけ、欲しい」
声がそこで終わった。机の上の写しを見ている。写しを見ているが、目が読んでいない。
俺の指がセレナの指に触れた。
セレナは手を引かなかった。
外の荷馬車が遠ざかっていく。音が消えて、また静かになった。
セレナが顔を上げた。目が赤かった。
「……ありがとう」
小さい声だった。何も言わなかった。
セレナの指は、まだ動かなかった。




