知る者の覚悟
クレアに会いに行ったのは、ディートリヒの過去を洗い直すためだった。
神殿の記録室。窓が高い位置にある。午前の光が棚の上だけを照らし、下の方は薄暗い。インクと古い紙の匂い。クレアはいつもの席に座っていた。三つ編み、眼鏡、目の下の隈。羊皮紙の束を抱えるようにして、何かを写し取っている。
「ディートリヒの過去十年分の活動を追いたい。神殿記録とギルド記録を照合する必要がある」
クレアが顔を上げた。眼鏡の奥の目が、一瞬だけ光った。
「十年分ですか。量は多いですが、可能です」
作業が始まった。俺が経路図でディートリヒの行動パターンを辿り、クレアが神殿の文書から裏付けとなる記録を探す。クレアの手は速い。棚から文書を引き、目を通し、必要な部分を白紙に写し取る。正確だ。一字の狂いもない。
三時間が経った。書記官の異動記録、税収報告の承認者リスト、軍令の伝達経路。断片が集まってきた。ディートリヒの名前は直接出てこない。だが周辺の人間の動きに、同じパターンが繰り返されている。
クレアが手を止めた。
「あのう」
声が小さかった。眼鏡を直す仕草が、いつもより遅い。
「あなたのスキル、そろそろ教えてくれませんか」
手が止まった。
「私の仮説は三つまで絞れています。一つ目、高速演算の派生で情報処理に特化したスキル。二つ目、記憶と分析を統合した複合スキル。三つ目——」
クレアが息を吸った。
「情報そのものを構造化して格納・検索するスキル。つまり、収納ではなく、情報管理のスキルです」
三つ目が正解に最も近い。この子は最初に会ったときから、ずっと観察していたのだ。「検索しているみたい」と言ったあの日から。
◇
神殿の中庭に出た。小さな庭だ。石畳の間から草が生え、隅に古い井戸がある。壁に囲まれていて外からは見えない。
二人きりだった。
区画のことを考えた。情報を分けて、必要な人に必要な分だけ渡す。クレアにはディートリヒの文書関連の情報を渡している。だがスキルの名前は渡していなかった。
クレアが必要としているのは名前だ。名前が分かれば、俺の情報処理の仕組みが分かる。仕組みが分かれば、今よりも正確に補助できる。
合理的だ。だが合理性だけで決められない。昨日、エドを区画の外に出した。今度はクレアを内側に入れる。入れたら、もう戻れない。
口を開こうとして、声が出なかった。喉の奥が詰まっている。セレナに明かしたときは、取引の延長だった。今は違う。クレアに渡す情報は、俺の弱点そのものだ。
クレアが黙って待っている。眼鏡の奥の目が、静かにこちらを見ている。急かさない。
「俺のスキルは【データベース】だ」
声が出た。思ったより低かった。
言った瞬間、胸の奥で何かが一段沈んだ。もう戻せない。
「収納じゃない。情報を構造化して格納し、検索し、分析するスキルだ」
クレアの目が見開かれた。口が開きかけて、閉じた。眼鏡の奥で瞳が揺れている。興奮を押さえようとしている。
「……ありがとうございます」
声が震えていた。だが怯えているわけではない。眼鏡の奥の瞳が、息を吸うたび細かく揺れた。
眼鏡を直した。呼吸を整えた。
「信頼に応えます」
「ただし」
俺はクレアの目を見た。全てを渡したら、俺はこの子の前で丸裸になる。それが怖い。セレナに明かしたときにはなかった恐怖だ。クレアの目は、渡したものの奥にあるものまで見る。
「全機能は教えない。お前が知るのは、お前の仕事に必要な範囲だけだ」
クレアが少し間を置いた。それから、小さく頷いた。
「区画分けですね。情報を必要な人に必要な分だけ渡す。最近、あなたは人によって話す内容を変えています。セレナさんには政治の話をするのに、エドさんには商売の話しかしない」
背筋が冷えた。
「なぜ分かった」
「あなたの行動パターンです」
クレアが眼鏡の奥で微笑んだ。穏やかだが、目の奥に鋭いものがある。
「スキルの名前を教えていただきました。でも、あなたの本当の怖さはスキルではないと思います」
「何だ」
「誰に何を知らせるかを、全部自分で決めていることです」
中庭の井戸から風が吹き上がった。草が揺れた。クレアの三つ編みが肩の上で跳ねた。
この子を区画の内側に入れた。もう戻れない。だがクレアは、渡した内側だけで満足していない。区画の構造そのものを見抜いている。内側にいながら、壁の形を観察している。
スキルの名前を知られたことより、壁まで読まれたことの方が怖かった。




