銀貨9枚で商売を始める
王都クレストは、騒がしい街だった。
石畳の大通りを荷馬車が行き交い、露店の商人が声を張り上げる。香辛料の匂い、焼いた肉の匂い、そしてどこからか漂う下水の匂い。
「でっか……」
隣でエドが口をぽかんと開けている。往来の人波に押されそうになりながら、首を左右に振り回していた。
「口を閉じろ。田舎者に見える」
「いやだって、この人の数——田舎者で間違いないでしょう、俺たち」
否定できなかった。
バルトス領の城下町とは、人の数が桁違いだ。だが、俺のデータベースには王都の地図も、主要な通りの情報も入っている。迷うことはない。
「まず、商人ギルドだ」
◇
王都の商人ギルドは、中央広場に面した三階建ての石造りだった。
受付には二十人ほどの列ができている。戦争のせいで商人の需要が増え、新規登録が多いらしい。
俺たちも列に並んだ。
一時間待って、ようやく受付に辿り着く。
「新規登録です」
太った受付係が、気怠そうに書類を広げた。
「名前」
「レイン。姓はなしで」
父に言われた通り、バルトスの名は使わない。平民の商人として登録する。
「スキルは」
「【収納】です」
「ああ、収納持ちか。最近多いんだよな」
受付係がつまらなさそうに書き込む。
(多い、か)
「登録料は銀貨50枚。最初の等級は『銅級行商人』だ。取引額に上限があるから気をつけな」
銀貨50枚。金貨半分。安くはないが、ギルドの信用がなければ商売にならない。
「はい」
登録証を受け取る。銅の板に名前と等級が刻まれている。指先にひんやりとした金属の感触。
これで、俺は正式に商人になった。
◇
まずは市場の視察から始めた。
エドを宿に残し、一人で王都の市場を回る。目的は二つ。相場の確認と、競合の観察だ。
三日かけて、中央市場、東市場、南門前市場を歩く。見たもの、聞いたもの、全てデータベースに格納していく。
そして分かったことがある。
【収納】持ちの商人は、想像以上に多い。
市場で数えただけで十二人。荷物を収納空間に入れ、客の前で取り出す。便利ではあるが、それだけだ。
俺と同じことをやっている。
布を扱う中年男は品揃えが豊富だ。客が迷っている間に次の客を捌く手際は、十年以上の腕だろう。薬草を並べる若い女は、客の症状を聞いてから勧める丁寧さで人だかりを作っている。雑貨の老人は常連の名前を全員覚えているらしく、「おう、またか」と笑いながら商品を包んでいた。それぞれに工夫がある。だが、根幹は同じだ。
収納スキルは便利だが、それだけでは差別化にならない。十年準備してきた俺も、「収納持ちの新参商人」でしかない。
(まずいな)
焦りではない。想定の範囲だ。だが、このままでは資金が先に尽きる。
差別化が必要だ。他の【収納】持ちにはできない、俺だけの強み。
それは何だ。
俺のスキルは【データベース】。テーブルにデータを格納する。それが今使える全ての機能。
だが、スキルの説明には「段階的に解放」とあった。次の機能は何だ。いつ解放される。
答えを探すように、俺はデータベースに意識を集中させた。
◇
宿に戻り、部屋の椅子に座る。
データベースの中に潜り込むように、深く集中する。
89のテーブル。5万を超えるレコード。この中から、必要な情報を引き出したい。
たとえば、薬草に関する知識だけを取り出すとしたら。
今の俺にはテーブル一覧を眺めて、一つずつ開くしかない。書庫で本棚を端から見ていくのと同じだ。膨大な時間がかかる。
(もっと速く探せたら)
その瞬間だった。
頭の奥で、何かが噛み合った。
視界が開ける感覚。新しい情報が静かに流れ込んでくる。
試す。
薬草に関するものだけを引き出せ、と念じた。
一瞬だった。膨大なテーブルの中から、薬草に関するレコードだけが浮かび上がる。産地、効能、相場、品質の見分け方。バラバラに散らばっていた情報が、意識の中で整列する。
「これは……」
今度は条件を重ねてみる。薬草の中で、戦争で相場が高騰しているものだけ。
三つの名前が浮かんだ。止血の赤傷草、仕入れ目安は銅貨200。鎮痛の月光花は銅貨350。解毒の銀苔が銅貨500。いずれも戦場の需要で値が跳ね上がっている。
「三つ。この三つが今、最も利益率が高い」
他の商人が経験と勘でやっていることを、俺は一瞬でできる。
これだ。これが、差別化になる。
俺は椅子の背もたれに身体を預ける。
口元が緩むのを止められない。
「検索か。いい機能だ」
明日から、勝負できる。




