値踏みの続き
封書が届いたのは、午前の便だった。
差出人の欄に「ドルク商会」の印が押されている。封蝋は赤。商会の紋章が型押しされている。
エドが「あの老人からっすね」と顔をしかめた。俺はうなずいて、セレナに渡した。
セレナが文面を読んだ。「本日の昼過ぎに、茶室での面会を」という一文だけだった。前置きなし。理由なし。返事の要求もない。
セレナの指が机を四回叩いた。
「行く前に、鑑定の結果を言っておくわ」
銀色の髪が、窓からの光を受けた。
「嘘はない。でもあの人が見せている面は、氷山の一角よ」
◇
ドルク商会の茶室は、一階の奥まった場所にあった。窓が高い位置にある。外から覗けない。声が漏れにくい造りだ。
ヴェルナー・ドルクは、俺が通されたときにはすでに座っていた。白髪の老人。痩せていて、目が細い。湯気の立つ茶杯を両手で包んでいる。口元には微笑みが浮かんでいた。目は笑っていない。
「来てくれてよかった。突然で悪かったね」
「いいえ」
席についた。茶が出された。香りがいい。
「単刀直入に話そう」
ヴェルナーが茶杯を置いた。動作に迷いがない。
「王都商人ギルドに、新しいポストを設けることが決まった。名前は仮に『情報仲介役』としておこうか。私がその人事を取り仕切ることになっている。そこに、君を推薦したい」
俺は黙った。
「見返りはギルドが保有する全商取引記録へのアクセス権だ。仕入れ値の推移、取引量の変化、商会ごとの資金の流れ。王都で商いをしている全員分の記録が揃っている」
全商取引記録。
指が止まった。茶杯に伸ばしかけた手が、空中で止まった。索引を張れば、王都経済の全体図が見える。今は断片でしか掴めないものが、一望できる。
喉が渇いた。
「条件は、ギルド内の不正監視だ。帳簿の改竄、取引の隠蔽、加盟商会の規約違反。そういったものを早期に発見して、ギルドの首脳部に報告してもらう」
ヴェルナーの声が穏やかすぎる。古い友人の言葉のように胃の底に落ちてくる。体が前に傾きそうになった。
(おかしい)
不正監視と引き換えに全記録へのアクセスを渡す。ギルドには利がある。だがヴェルナー個人には——
「一点、確認させてください。先生がこの人事を主導されるなら、先生にもご利益があるはずです」
ヴェルナーが微笑んだ。今度は目尻の皺が深くなった。
「正直な子だ。君は正直だから好きだよ」
声の温度がまた変わった。信じたくなる。引き寄せられる。分かっているのに。
「そして、君が握った情報は、いずれ私にも回ってくる。それが正直なところだ」
穏やかに。刺さらない口調で。
俺をギルドに置いて、ギルド内の情報を先読みする。俺は装置だ。
「三日、待っていただけますか」
ヴェルナーの目が一瞬だけ変わった。笑みは残っている。だが目の奥の温度が落ちた。ほんの一瞬。次の呼吸では戻っていた。
「いいだろう」
「ありがとうございます」
茶を一口飲んだ。香りがいい。それだけは本物だった。
◇
ドルク商会を出て、事務所に戻った。
セレナが扉の近くで立っていた。席についていない。待っていたのだ。
「話して」
俺は提案の内容を並べた。セレナは最後まで黙って聞いた。指を机に一度、強く叩いた。
「あの人は何かを隠している。明かさないまま契約するなら、後悔するわよ」
「ああ」
「引き受けるなら、単独で動かないこと。ギルド内で味方を作ること」
銀色の瞳が俺を見た。鑑定の目ではない。警告の目だ。
「氷山の一角、か」
「見えていない部分の方が大きい。あなたならそれくらい分かるでしょう?」
分かっている。分かっていても、全取引記録という言葉が消えない。索引を張れば、王都経済の構造が見える。どの商会が伸びているか。どの取引ルートに隙があるか。推測でしかなかった部分が、数字で浮かぶ。
それが欲しい。だが欲しいという感情で動けば、ヴェルナーの掌の上だ。
三日ある。ヴェルナーとギルドの繋がりを辿れるだけ辿る。情報仲介役という立場に前例があるかを調べる。受けた場合の最悪の筋を想定する。
情報へのアクセス権。それは武器にもなるし、鎖にもなる。
ヴェルナーの目が一瞬冷たくなった瞬間を、俺は覚えている。あの目はスキルで作った顔ではなかった。
三日後に答えを出すとき、あの目を忘れてはいけない。




