索引
封書の一件から五日が経った。
俺は事務所の椅子に座ったまま、データベースに意識を沈めていた。朝からずっとだ。接触した人間を一人ずつ辿り、情報が流れた経路を洗い直している。関係定義78、レコード数十万。その全てを端から端まで流す作業を、五日間繰り返している。
あの夜、セレナにしか見せなかったメモの完璧な複製が届いた。蝋燭の明かりの下で書いた文字を、誰かが覗いていた。その事実が、まだ喉に引っかかっている。
◇
「レイン」
セレナの声が飛んできた。帳簿を閉じる音がした。
「聞いてる?」
「聞いてる」
「嘘おっしゃい。三回目よ」
セレナが椅子を引いて立ち上がった。靴音が近づいてくる。俺の机の前に立って、腕を組んだ。
「ラウス商会の信用評価。三日前に聞いたとき、あなた二秒黙ったわよね。以前は聞いた瞬間に答えが返ってきたのに」
指が机を叩いた。三回。苛立ちのリズムだ。
「あれから仕入れ先の照会も遅い。顧客の取引履歴も遅い。全部遅い。何が起きてるの?」
俺は目を閉じた。
分かっている。データが増えすぎた。十万件のレコードを端から舐めている。以前は十数人の人脈を一瞬で引けた。今は欲しい情報に辿り着く前に、関係のないレコードが次々と目の前を流れていく。
「確かに遅い」
セレナの眉が上がった。あっさり認めたのが意外だったらしい。
「原因は分かっている。データの量に処理が追いついていない」
「直せるの?」
「考えている」
セレナの指が止まった。叩かない。待っている。
俺は机の端を見た。セレナが取引先から仕入れた商業書の束が積んである。一番上に、分厚い革表紙の法典の写しが載っていた。
背表紙の下に、薄い紙が挟まっている。索引だ。
目が止まった。
索引。本文を端から読まなくても、目当ての頁に飛べる。重要な言葉に目印を打っておけば、全頁を走査する必要がない。
ああ——これか。
静かだった。弾けるような感覚はない。ただ、霧の中に道が見えた。膨大なデータの海に、重要な項目への近道を刻む。名前で引けば名前に関連するレコードだけが集まる。属性で引けば属性ごとに束になる。全件を端から舐めなくていい。
「少し待て」
セレナが黙って一歩退いた。
人脈テーブルに索引を張った。名前、所属、信用度の三軸。十万件のレコードに目印が落ちていく。地図に灯りを置くような感覚だ。数秒で終わった。
試す。「ヴェルナー」。
接触した日時、交わした言葉、断った提案、来訪の目的——一瞬で束になって浮かんだ。以前は十万件の中から手繰り寄せていた。今は呼べば来る。
「解決した」
セレナが目を細めた。
「索引を張った。本の末尾にあるやつと同じだ。必要な情報に直接飛べる」
セレナの視線が法典の写しに向かい、背表紙の索引を確認して、俺に戻った。
「……なるほどね」
指が一回、軽く叩かれた。納得の音だ。
◇
次に、ディートリヒの封書の経路を辿った。
あのメモを誰が見て、誰が写して、どうやって俺の手元に届けたのか。
索引でディートリヒに関連するレコードを引いた。接触した人間、資金の流れ、王弟派の動き。関連情報が瞬時に束になる。五日間かけて洗い直した経路を、索引が数秒で絞り込んだ。
候補は三つだ。
ギルドの内部に協力者がいて、作戦の段階から動きが筒抜けだった。
あるいは、王弟派の目が事務所に届いていた。あの夜の蝋燭の明かりを、誰かが外から覗いていた。
あるいは——俺の周囲の人間が関与している。
最後の候補を引いたとき、胃の底が冷えた。索引は感情を挟まない。可能性があるなら、並べる。それだけだ。
◇
夕方。セレナが帳簿を閉じた。
「速くなった?」
「ああ」
「どのくらい?」
「体感で十倍以上だ」
セレナは頷いただけだった。窓の外で馬車の車輪が石畳を鳴らしている。鍛冶屋のハンマーが遠くで響いた。
速くなった。だが速さは、俺だけの武器じゃない。
ディートリヒが、あるいは王弟派の誰かが情報を整理する手段を持っていれば、俺の網も同じ速度で解かれる。索引は便利だ。便利だからこそ、使えるのが俺だけという前提は、今日この瞬間から崩れている。




