返答
期限の前日だった。
事務所の机にセレナが座っている。手元には三枚の羊皮紙。彼女が独自に調べた、ドルク商会の過去の提携先だ。
「結果から言うわ。ドルク商会と全面提携した商会は、過去十年で三件。グリューン商会、ベッカー商会、ハイネ商会」
セレナの指が一枚目の紙を叩いた。
「三件とも、提携解消後に規模を縮小している」
「潰れたのか」
「潰れてはいない。ただ、提携前の規模に戻れていない。グリューンは東方の販路を失い、ベッカーは仕入れ先がドルクに吸われたまま。ハイネに至っては、代替わりして看板だけ残っている状態よ」
俺はデータベースに三件の情報を格納した。パターンを見る。
共通点は明白だった。提携中にドルクの流通網に依存し、自前の仕入れルートを手放している。提携が終わった時点で、足がない。
「流通網を握られた商会は、ドルクなしでは商売が回らなくなる」
「ええ。提携条件自体は悪くないの。利益率も上がる。でも、それは相手の足で歩いているだけ。自分の足を捨てた商人は、相手が手を離した瞬間に倒れる」
セレナの声に力が入った。この調査に三日かけている。眠れていないだろう。目の下に薄い影がある。
「断る」
俺が言うと、セレナの指が止まった。
「理由は」
「データが足りない。ヴェルナーの提案は数字の上では合理的だ。だが、提携後に何が起きるかのデータが三件しかない。三件中三件が縮小。標本が少なすぎるから断定はできない。だが、受ける根拠にもならない」
「……あなたらしい断り方ね」
セレナが椅子にもたれた。少しだけ、肩の力が抜けたように見えた。
「対案は」
「品目ごとの都度取引。独占なし。卸値での仕入れだけ。ドルクの流通網は使わせてもらうが、うちの仕入れルートは維持する」
「受けると思う?」
「分からない。だが、断るだけでは次がない」
◇
ドルク商会の応接室は、前回と同じ匂いがした。香木の甘い煙。壁の織物。磨かれた床。
ヴェルナーは茶を注いでいた。白髪の老人が、陶器の急須を傾ける手つきは丁寧だ。湯気が立つ。
「期限より一日早いね。答えは決まったかな」
「全面提携はお断りします」
間を置かなかった。商談で沈黙を作ると、相手に空気を読ませる隙を与える。
ヴェルナーの手が止まらなかった。茶を注ぎ終え、俺の前に置いた。
「理由を聞いてもいいかな」
「アルク商会はまだ小さい。大きな流通網に入ると、自前の足が弱る。今の段階で依存先を作るのは早いと判断しました」
ヴェルナーが茶を一口飲んだ。
「賢い選択だ」
怒っていない。声の調子も、目の色も変わらない。あの違和感——理由もなく信じたくなる圧が、今日は薄い。前回の会食では、断ること自体が難しく感じた。今日は違う。
(この老人は、断られることを想定していた)
「代わりに、提案があります」
俺は対案を出した。品目ごとの都度取引。ドルクが東方で扱う品目のうち、薬草と鉱石に限って卸値で仕入れさせてもらう。独占契約なし。他の仕入れ先との併用を認めること。
ヴェルナーは聞き終えてから、二度頷いた。
「いいだろう。薬草と鉱石、都度取引。条件は追って書面で送る」
あっさりしていた。あまりにも。
利益折半の共同事業を蹴られて、品目限定の卸取引に落とされた。普通なら不快だろう。交渉で言えば、ヴェルナー側の完敗だ。
なのに、この老人は負けた顔をしていない。
「一つ、老人の助言を許してもらえるかな」
ヴェルナーが茶碗を置いた。
「君の判断は正しい。だが、正しい判断を出せる若者は珍しくない。珍しいのは、正しい判断を——相手に飲ませられる若者だ」
意味を掴みかねた。褒められているのか、試されているのか。
「また取引しよう。次が楽しみだよ」
商談は終わった。
◇
帰り道、セレナが口を開いた。
「あの人、怒っていなかったわね」
「ああ」
「最初からこの答えを予想していた顔よ。全面提携を持ちかけて、断られることを想定して、こちらの判断力を見ていた」
セレナの分析は、俺の感触と一致していた。
「値踏みか」
「かもしれない。でも、何のためかは分からない」
分からないものは保留する。データが足りないうちに推測で動くのは危険だ。ヴェルナーの件はテーブルに入れて、次のレコードが増えるまで待つ。
事務所に戻った。エドが帳簿と格闘している。ミラは二階で素振りの音がする。いつもの夕方だ。
机に座り、今日の商談を振り返った。
ヴェルナーへの返答に至るまでの流れを、頭の中で巻き戻す。
セレナが過去の提携先を調べた。三件のデータを照合した。パターンを分析した。結論を出した。対案を組んだ。ヴェルナーに伝えた。
調査。照合。分析。判断。交渉。
ディートリヒの件もそうだった。税収報告の不整合を検知し、書類の流通経路を辿り、関係者を特定し、バルクハルトに報告した。
同じだ。順番が同じだ。
毎回、同じ手順を踏んでいる。対象が変わっても、工程は変わらない。商談でも、不正の調査でも、仕入れ先の選定でも。
(もしこの手順を、固定できたら)
固定して、名前をつけて、呼び出せたら。対象だけ差し替えて、同じ品質の判断を何度でも出せる。
蝋燭の芯を替えた。新しい炎が机を照らす。
ヴェルナーの本当の狙いは全面提携ではなかった。それは分かった。
では、何だ。
答えはまだ、テーブルにない。




