「あなた、検索しているみたい」
王都神殿の記録室は、中央通りから三本裏に入った石造りの棟にある。
正門ではなく、脇の通用口。礼拝に来る民は正面の大扉を使うが、記録の閲覧は裏手の小さな扉からだ。扉を開けた瞬間、古い紙の匂いが鼻を突いた。
埃が窓の光に舞っている。棚が壁を埋め尽くし、羊皮紙の束と革綴じの台帳が隙間なく並んでいた。各地の神殿から写しが送られてくる。王国全土のスキル発現記録が、この一室に集まっている。インクの染みが棚板に黒い模様を作っている。
静かだった。礼拝堂の賛美歌も、市場の喧騒も、ここには届かない。
受付の机に一人、女がいた。
薄い金髪を三つ編みにしている。眼鏡の奥の目は書類に落ちていて、こちらに気づいていない。色白の肌に、目の下の隈が濃い。華奢な肩が棚に囲まれて、書物の一部のように見えた。
書類をめくる手つきが丁寧だ。紙の端を指先で押さえ、折り目がつかないように一枚ずつ持ち上げる。本を愛している人間の指だった。
「失礼。記録の閲覧を願いたい」
女が顔を上げた。
眼鏡越しの目が、一瞬だけ俺を見た。品定めというより観察だ。視線に圧はない。
「お探しのものは何ですか」
淡々とした声だった。抑揚が少ない。事務的だが、冷たいわけではない。
「過去十年のスキル発現記録で、文書に関連するスキルの一覧をお願いしたい」
女の指が止まった。
「文書関連、ですか。範囲が広いですね。筆記系、複写系、翻訳系、暗号系まで。どこまで含みますか」
(分類が正確だ。記録を扱い慣れている)
「全部で。該当するものは全て見たい」
「承知しました。閲覧記録にお名前とスキルをお願いします」
女が冊子を差し出した。来訪者の記入欄。名前、所属、スキル。俺はペンを取り、名前と「収納」を書いた。
女が記入に目を落とし、小さく頷いた。冊子を戻し、椅子から立ち上がった。棚に向かい、迷いなく三列目の上段に手を伸ばした。背が足りない。踏み台を持ってきて、台帳を一冊引き抜く。
台帳を机に広げ、頁をめくり始めた。指の動きが速い。目が左から右へ走り、頁を返す。また走る。返す。
三十頁ほどめくったところで、手が止まった。
「ありました。ただ……」
女が眉を寄せた。
「この記録、貸出禁止です。閲覧は可能ですが、書き写しは禁じられています」
「構わない。閲覧だけで」
女は台帳をこちらに向けた。
俺はデータベースに意識を向け、頁の内容を流し込んだ。過去十年。文書関連スキルの発現記録。筆写、速記、書道、複写、模写。
視界の端で、女が別の棚に手を伸ばしたのが見えた。気にせず、頁に集中する。
模写。
ある。
発現年月と発現地は記録されている。だが、発現者の名前の欄が黒く塗り潰されていた。
「名前がない」
「神殿の規則です。スキル発現記録は個人情報に該当するため、発現者名は十五年経過後でなければ開示できません」
十年前の記録だ。あと五年は開示されない。
(だが、スキルの存在は確認できた。模写。文書を完璧に再現するスキル。ディートリヒの手段は、これだ)
俺が頁を見つめている間に、女は別の作業を始めていた。白紙の羊皮紙を一枚取り出し、ペンを持つ。
台帳の頁を一度だけ見た。
目を閉じた。
白紙にペンを走らせ始めた。
速い。迷いがない。線の太さ、インクの濃淡、文字の間隔。台帳の頁が、白紙の上にそのまま再現されていく。罫線の微妙な歪みまで同じだ。
十秒もかからなかった。
女がペンを置いた。
「閲覧記録の控えです。お客様がどの頁を見たかの記録を取る必要があるので」
台帳の頁と、女が書いた紙を見比べた。
同じだ。筆跡も、配置も、インクの染みの位置すら。
「今のは」
「私のスキルは【写本】です」
女が眼鏡を直した。
「見たものを完璧に再現できます。記録室の仕事には向いているスキルですね」
淡々と言った。自慢でも謙遜でもない。事実の報告だ。
「クレア・フォン・ヘルツと申します。記録官見習いです」
◇
閲覧を終え、台帳を返した。
クレアが台帳を元の棚に戻す。踏み台に乗り、上段の定位置に正確に差し込んだ。
「ありがとう。助かった」
「いえ。それが仕事ですので」
帰ろうとしたとき、クレアの声が背中にかかった。
「失礼ですが、あなたのスキル、収納ですよね」
足が止まった。
振り返ると、クレアは机の前に立っていた。眼鏡の奥の目に、悪意はない。敵意もない。あるのは、興味だった。純粋な、剥き出しの知的好奇心。
「ああ。収納だ」
「収納にしては、情報の探し方が独特ですね」
心臓が跳ねた。
「台帳を開いたとき、頁を順番に読んでいませんでした。目が特定の列だけを追っていた。まるで——」
クレアが首を傾げた。
「検索しているみたいでした」
背筋が冷えた。
さっき別の棚に手を伸ばしていた。閲覧記録に俺が書いた名前で、発現台帳を引いたのだ。「収納」が本物だと裏を取った上で、俺の目の動きを写本で記憶している。収納スキルの人間はああいう読み方をしない——そう見抜いた。
三百以上のスキルを記録してきた人間だ。スキルの使い方を観察する目が鍛えられている。
(まずい)
だがクレアの目は変わらない。探っているのではない。ただ、知りたいだけだ。
「……気のせいだろう。荷物の整理に慣れていると、目が勝手に動く」
沈黙が落ちた。
クレアが瞬きを一つした。
「そうですか」
間があった。
「残念です」
それだけだった。追求しない。問い詰めない。レインが嫌がった。だから引いた。顔にそう書いてある。
遠慮ではない。この女は俺が拒否したことを正確に読み取って、踏み込まないことを選んだだけだ。
「また何かお探しの際は、お越しください」
クレアは椅子に座り、書類に目を戻した。三つ編みが肩から垂れ、眼鏡が少しずれている。もう俺を見ていない。
◇
神殿を出た。
午後の日差しが目に刺さった。記録室の薄暗さに慣れた目が、しばらく眩んだ。
通りを歩きながら、考えた。
模写スキルの存在は確認できた。十年前の発現記録。名前は伏せられているが、ディートリヒの年齢と一致する。書類改竄の手段として、これ以上ないスキルだ。
だが、それよりも。
(あの女は危険だ)
悪意がないのが一番厄介だった。
悪意があれば対処できる。利害を読み、弱みを握り、取引に持ち込める。だがクレアの目にあったのは純粋な好奇心だけだ。取引の材料にならない。
写本は完璧な記録だ。見たものを一切の劣化なく再現する。
俺のデータベースは完璧な分析だ。蓄積した情報を構造化し、必要な答えを引き出す。
この二つが合わさったとき——。
足を止めた。
(巻き込むべきじゃない)
あの記録室の静けさと、古い紙の匂い。書類を扱う丁寧な指。
あの場所に、俺の問題を持ち込んではいけない。
だが頭の隅で、クレアの言葉が消えなかった。
検索しているみたい。
俺のスキルの秘密に、あの女が最も近い。
そしてヴェルナーへの返答期限は —— あと三日だ。
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