三ヶ月続いた差額の正体
蝋燭の芯が崩れた。
小さな火花が机に散って消える。夜更けの事務所は俺一人だ。セレナは帰り、エドは配達の帳尻を合わせに市場へ出ている。
ヴェルナーの返答期限まで、あと四日。
提案の条件をVIEWで何度組み替えても、断る根拠が見つからない。ドルク商会の仕入れ網を使えば東方への供給量は三倍になる。仕入れ値も下がる。データ上は、受けない理由がない。
だが、セレナの「危険よ」が頭に残っている。
(考えても仕方ない。今は目の前の仕事だ)
東方辺境伯からの月次税収報告。ノルト経由で届いた三枚の羊皮紙を、データベースに流し込む。
税目ごとの収入。支出の内訳。前月との差分。
流し込みながら、俺は別の帳簿を開いていた。アルク商会が辺境伯領内で直接取引した記録だ。薬草の納入、食糧の卸値、運搬費。俺自身のテーブルに、独自の数字がある。
整合性トリガーが、走った。
頭の中で細い光の線が明滅する。数字と数字を結ぶ線が赤く変わった。
(何だ)
税収報告の薬草関連収入と、俺の取引記録が合わない。
差額は金貨12枚。月の取引総額から見れば小さい。3%にも満たない。
だが、トリガーは数字の大小で発動するのではない。定義した条件に合致したかどうかだ。
俺は先月の報告書を引き出した。データベースに記録がある。
先月も差額があった。金貨9枚。
先々月。金貨11枚。
(パターンがある)
GROUP BYで月ごとにまとめる。差額は毎月、金貨8枚から金貨15枚の間で揺れている。ランダムに見えるが、完全なランダムではない。一定の範囲に収まっている。
誰かが、気づかれない程度に数字を動かしている。
蝋燭がまた崩れた。芯を摘んで立て直す。指先に蝋の熱が残った。
◇
二階のミラを起こした。
「セレナを呼んできてくれ。宿を知っているか」
「ああ。南通りの角だろ」
ミラは外套を引っ掴んで出ていった。聞き返さない。深夜に人を呼ぶ理由を問わない。
四半刻後、セレナが事務所の扉を開けた。外套の下はまだ室内着だ。
「何があったの」
「税収報告に不整合がある。トリガーで引っかかった」
セレナが机の前に座る。俺は三ヶ月分の差額を並べた。
「金貨9枚、12枚、11枚。一件ずつなら誤差で済む。だがパターンがある」
セレナの指が数字を辿った。爪の先が羊皮紙に触れるたび、わずかに眉が動く。鑑定を使っている。
「この報告書 —— 書き手が途中で変わっている」
「分かるのか」
「筆圧と墨の濃さが違う。数字の部分だけ、別の手が書いている」
俺は関係テーブルに意識を向けた。書類の流通経路を辿る。
辺境伯領で作成された税収報告は、まず領内の書記官がまとめる。それが辺境伯の承認を経てノルトに渡り、ノルトから俺に届く。
書記官。
「名前は」
データベースを検索する。辺境伯領の人員テーブル。書記官のレコード。
「フランツ・ベーア。辺境伯の書記官。三年前に王都から赴任」
セレナの指が机を叩き始めた。
「王都から。誰の推薦で」
関係テーブルを辿る。フランツの赴任記録。推薦元は、辺境伯の前任書記官が病で辞した後、王都の人事局経由で着任。人事局の担当者は。
「推薦者の記録がない。人事局経由としか」
「人事局は形だけよ。推薦がなければ辺境に人は送れない」
セレナの声が低くなった。蝋燭の明かりが顔の半分を影にしている。
「書記官自身に動機はあると思う?」
「ない。辺境伯の書記官は薄給だ。金貨10枚程度の差額を操作しても、本人の懐には入らない。リスクに見合わない」
「なら、操作させている人間がいる」
俺は関係テーブルをさらに遡った。フランツの前歴。王都での所属。交友関係。
レコードが薄い。意図的に記録が残されていない印象がある。
だが、一つだけ引っかかるレコードがあった。
フランツが王都にいた時期、ある貴族の事務所に出入りしていた。バルクハルトから受け取った王都の派閥情報。王弟派の関係者リスト。
「ディートリヒ・フォン・アイゼンベルク」
名前を口にした。
セレナの指が止まった。
「公式には王弟の書記官。だが、バルクハルトの情報では情報工作の責任者だ」
「書記官が書記官を使う、というわけね」
セレナが椅子の背にもたれた。天井を見上げている。
「レイン。これ、税収報告だけの話じゃないわ」
「ああ」
「あなたのデータベースは正確な情報を前提にしている。情報の入口が汚されたら——」
「全部が狂う」
沈黙が落ちた。蝋燭の炎が揺れて、二人の影が壁で重なる。
俺はこれまで、情報を集め、整理し、正しい相手に正しい見せ方で届けることで戦ってきた。テーブルの正確さが、俺の武器だった。
だが、テーブルに入る前のデータが汚れていたら。
トリガーは発動した。今回は検知できた。差額が小さかったから、パターンを見つけられた。
もし、もっと巧妙だったら。
(俺のデータベースを信じて判断を下した先に、偽の数字が仕込まれていたら)
「バルクハルトに報告する。VIEWで整理して、政治案件として警告を出す」
「そうね。辺境伯領の内部に王弟派の手が入っている。それだけでバルクハルトには十分な情報よ」
俺はVIEWを組んだ。三ヶ月分の差額。書類の流通経路。フランツの前歴。ディートリヒとの接点。
バルクハルト向けに、政治的な文脈で切り出す。数字の不正ではなく、王弟派の浸透として見せる。
報告書を書き終えた頃、蝋燭は三本目になっていた。
セレナが立ち上がった。
「一つ聞いていい」
「何だ」
「情報が武器なら、情報を汚す者が最大の敵よ。あなた、それを今まで考えたことがなかったでしょう」
返す言葉がなかった。
セレナが外套を羽織る。扉に手をかけて、振り返った。
「ヴェルナーの件。まだ四日あるわ。でも、今夜のことを踏まえて、もう一度考えた方がいい」
扉が閉まった。
俺は一人、机に残った。
インクの染みが羊皮紙に広がっている。書き損じた文字の上に、新しい文字が重なっていた。
ディートリヒ・フォン・アイゼンベルク。
名前しか知らない。顔も、声も、手口の全容も分からない。分かっているのは、この男が書類の数字を静かに書き換えているということだけだ。
だが、手口の一端は掴んだ。書類の改竄。ならば、痕跡が残っているはずだ。
王都神殿の記録室。スキル発現記録が保管されている場所だ。
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