利益折半という甘い毒
ドルク商会から夕食の招待が届いたのは、トリガーの設定を終えた翌日のことだった。
使いが持ってきた封書は上質な羊皮紙で、蝋印が一つ。ドルク商会の紋章。丁寧だが飾りすぎない。この一通だけで、送り主の性格が読み取れる。
「行くんですか」
セレナが封書を覗き込んだ。
「断る理由がない。断れば、それ自体が情報になる」
「でしょうね。気をつけて」
セレナは指で机を二度叩いた。何か考えている。だが、口には出さなかった。
◇
ドルク商会の食堂は、三階の奥にあった。
案内されたのは個室だ。窓が大きく、夕日が石壁を赤く染めている。テーブルは四人掛けだが、椅子は二脚しか置かれていない。残りを片付けたのだろう。一対一の会食だと示している。
ヴェルナーは既に座っていた。
「やあ、レイン君。忙しいところをありがとう」
「お招きいただき光栄です、ヴェルナー殿」
白髪の老人が微笑む。目が細い。前回の面会で感じた「信用できる」が、また胸の底を押す。根拠のない確信。それ自体が警告だと、頭では分かっている。
席についた。テーブルの上に料理が並ぶ。鹿肉のロースト、根菜の煮込み、焼きたてのパン。量は控えめで、盛り付けに余白がある。金に物を言わせた豪勢さではなく、素材と腕に自信がある店の出し方だった。
ヴェルナーがワインの瓶を取った。
注ぎ方を見た。瓶の傾きが一定で、液面が杯の三分目で止まる。一滴も垂らさない。六十年、商人をやってきた手つきだ。
「東方の物資供給、順調だと聞いているよ」
「おかげさまで。まだ規模は小さいですが」
「謙遜だね。辺境伯領への納入を、三ヶ月で軌道に乗せた商会は他にない」
ヴェルナーが鹿肉を一切れ、口に運ぶ。ナイフの使い方に迷いがない。噛む回数が少ない。味わっているのではなく、確認している。食事すら商談の一部だと言わんばかりだった。
「本題に入ろうか」
「はい」
「君の東方の顧客には感心している。だが、顧客だけでは市場は育たない。需要が増えたとき、仕入れが追いつくかね」
仕入れ。そこが今の弱点だと、見抜いている。
「うちの仕入れ網と、君の東方の顧客。組めば効率がいい。共同事業の提案だ」
(来た)
俺はデータベースに意識を向けた。
ドルク商会の仕入れ網に関するレコードを引く。薬草の主要産地との独占契約が五件。王都周辺の採取師ネットワークは三十名以上。卸値はアルク商会の現在の仕入れ値より推定2割安い。
数字だけ見れば、断る理由がない。
「具体的には、どのような形を」
「利益は折半。東方への輸送と顧客対応は君に任せる。うちは仕入れと品揃えを提供する。分かりやすいだろう」
分かりやすい。分かりやすすぎる。
VIEWを切り替えた。仕入れ値が2割下がる。利益率は12%から19%に跳ね上がる。
だが、その数字の先に何がある。仕入れをドルクに握られた瞬間、アルク商会は販路だけの存在に固定される。切り離されたら、東方への供給が止まる。
「ほう。考えているね。若い人がちゃんと考えるのは、素晴らしいことだよ」
ヴェルナーの声が耳に入った瞬間、思考の天秤が揺れた。
リスクの角度で見ていたはずの視界が、ぼやける。「信用できる」という感覚が、どこからか湧いてくる。根拠がない。データにない。なのに、この老人の前に座っていると、断ることが失礼に思えてくる。
(おかしい。俺は今、データでリスクを見ていたはずだ)
ワインを一口飲んだ。舌に渋みが走る。その感覚で、頭が少し冷えた。
「ありがたいお話です。ただ、即答は避けたい」
「もちろん。信用は、待てる期間に比例するものだよ」
ヴェルナーが微笑んだ。穏やかで、温かくて、どこにも棘がない笑みだ。
「七日で構わない。返事を聞かせてくれ」
◇
事務所に戻ると、セレナが待っていた。
机の上に紙が広げてある。ドルク商会の過去の取引先と、提携後に離脱した商会のリスト。ヴェルナーと初めて会った日から、セレナが独自に洗い出していた結果だ。
「三件あった。ドルクと組んで、数年後に独立した商会。いずれも提携前より規模が縮小している」
つまり、仕入れをドルクに依存した結果、離れたときに自力で立てなくなった。データベースになかった情報が、紙の上にある。
「どうだった」
「共同事業の提案だ。東方への物資供給に、ドルクの仕入れ網を使わないかと」
「条件は」
「利益折半。東方への輸送と顧客はこちら。仕入れと品揃えはドルク持ち」
セレナの指が机を叩き始めた。
「データ上は」
「断る理由が見つからない。仕入れ値が2割下がる。利益率が7ポイント上がる」
「でも、あなたは即答しなかった」
「ああ」
セレナが俺を見た。青い目が、蝋燭の光を受けて鋭くなる。
「前に言ったわよね、あの人の言葉には重みがあるって。今日また考えたの」
セレナが紙の束を指で弾いた。
「私の鑑定は、言葉の重みを感じ取るだけ。嘘を見抜くものじゃない。もし重みそのものを作り出すスキルがあったら、鑑定では区別がつかないのよ」
指が止まった。セレナの目が据わっている。
「データでは断れないのよね」
「そうだ。どのVIEWで見ても、短期的には利益が出る」
「じゃあ、データ以外で判断するしかないわ」
沈黙が落ちた。
俺はデータベースに意識を向けた。ヴェルナーとの会話の記録を引く。言葉の選び方、間の取り方、話題の切り替え。全てが滑らかだった。滑らかすぎた。六十年の商人人生で磨かれた技術なのか、それとも——
(情報だけでは、この老人には勝てないかもしれない)
セレナが立ち上がり、窓辺に寄った。
「七日間あるのよね」
「ああ。七日で返事をしろと」
「七日間で、データ以外のものを探しましょう。あの人が本当に何を望んでいるか。仕入れ網の提供が、ドルク商会にとってどんな意味を持つのか。数字の外側にあるものを」
セレナが振り返った。
「あなたのデータベースは優秀よ。でも、データベースに入っていないものは検索できない。そうでしょう」
返す言葉がなかった。
七日間。その間に、ヴェルナーの本当の目的を見抜かなければならない。
データベースにない情報を、どうやって。
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