条件を満たせば自動で走る
ミラが常駐して三日目の朝だった。
事務所の扉が叩かれる。リッツが立ち上がろうとするより先に、ミラの手が動いていた。
腰の短剣の柄に指がかかる。椅子を蹴って半身を扉に向ける。重心が落ちた。
扉が開いた。
商人ギルドの使いだった。書類袋を抱えた若い男が、ミラの姿勢を見て固まっている。
「……す、すみません。月次報告の受領確認を——」
「ああ。すまん、癖だ」
ミラが手を柄から離した。使いの男は書類を置くと、足早に出ていった。
リッツが小さく息を吐いた。
「ミラさん、驚かせすぎです」
「だから癖だって言っただろ。扉が急に鳴ると、身体が勝手にやる」
ミラは椅子に座り直した。悪びれた様子はない。
俺は帳簿から目を上げないまま、今の動きを頭の中で再生した。
扉が叩かれる。音が鳴る。ミラの手が動く。
音が鳴ってから手が動くまで、間がない。考えてから動いた動きではない。
(条件が揃った瞬間に、処理が走っている)
東方への街道で山賊に襲われたとき、同じものを見た。矢の音が俺の耳に届くより先に、ミラの左手が跳ね上がっていた。
あのとき、俺はこれを「条件が揃うと発動する仕組み」と思った。名前はまだなかった。輪郭だけが見えて、掴めなかった。
今、もう一度それを見た。
違う場面。違う脅威の度合い。だが、同じ構造だ。
扉が鳴った。それだけで手が柄に行き、重心が落ちる。脅威かどうかの判断は後から来る。あるいは永遠に来ない。ミラの意志は介在していない。
(条件が揃った瞬間に、処理が走る。考える前に、もう動いている)
頭の奥で、何かが繋がった。
テーブルの縁に薄い光の線が走るのが見えた。条件を示す起点から、処理を示す終点へ。一本の線が、静かに伸びていく。
線が結ばれた瞬間、概念が流れ込んだ。
トリガー。
目を開けた。
テーブルの上に広げた帳簿の数字が、さっきとは違って見えた。
◇
午後。俺は事務所の奥で、新しい機能を試していた。
まず在庫テーブル。薬草が20束を割り込んだ瞬間、発注テーブルにレコードが立つよう設定した。データベースの中に細い光の線が一本、在庫テーブルから発注テーブルへ伸びた。
今の在庫は32束。まだ発動しない。だが、19束になった瞬間に動く。
次に、帳簿の整合性。リッツが日々つけている売上と仕入れと在庫。三つの数字が合わなくなった瞬間、不整合のフラグが立つよう設定した。
「リッツ。今日の帳簿、見せてくれ」
「はい、レイン様。こちらです」
リッツが帳簿を差し出した。数字を流し込む。
反応なし。数字は合っている。
「何か問題がありましたか」
「いや。問題がないことを確認した」
リッツは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。几帳面な男だ。数字が合わないことの方が珍しい。
だが、もし合わなかったら。
俺が帳簿を開くまでもなく、データベースが自動で警告を出す。見落としがなくなる。
(使える)
在庫管理、帳簿の整合性。日々の目視確認に頼っていた作業が、条件を正しく定義するだけで自動化される。
俺が寝ていても、データベースは動いている。
◇
日が落ちた。リッツが帰り、事務所にはミラと俺だけが残った。
ミラは窓際の椅子に座って、昨日渡した練習用の羊皮紙に文字を書いている。名前の一文字目が三行。ペンの持ち方がまだぎこちない。
「ミラ」
「ん」
「お前のスキル、自分では何て呼んでる」
「反射だろ。発現のとき、神官にそう言われた」
「俺の中での呼び方は違う」
ミラがペンを止めた。顔を上げる。
「トリガーだ。条件が揃うと、勝手に発動する仕組み。お前の反射と同じ構造をしている」
「トリガー」
ミラが口の中で繰り返した。
「勝手に動くのは、確かにそうだ。寝てても起きるからな。夜中に虫が顔に止まっただけで叩き落としてた」
「虫もか」
「あれは脅威じゃねえだろって自分でも思う。でも身体が先に動く」
ミラは羊皮紙に目を落とした。ペン先で文字の端をなぞっている。
「トリガー、か」
口元が少し緩んだ。本人は気づいていない。
俺は蝋燭の芯を切った。炎が揺れて、ミラの赤毛に影を落とす。
(トリガーは自動で動く。条件が正しければ、確実に発動する)
それは強い。だが、裏を返せば。
条件を外部から操作されたら、意図しない処理が走る。
トリガーが発動するということは、条件を仕込まれる可能性もあるということだ。
窓の外の暗がりを見た。
俺のデータベースに入ってくる情報が、全て正しいという保証は —— どこにもない。
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