兄の陰謀、弟の帳簿
十四歳の秋。焼いた肉の脂と、温めたワインの匂いが食堂に漂っている。夕食の席で、三男のガルドが切り出した。
「父上、私に商売をやらせてください」
食堂の空気が凍った。
長男が眉をひそめ、次男は興味なさそうに杯を傾ける。父は食事の手を止め、ガルドを見た。
「商売だと?」
「はい。このままでは領地の財政が持ちません。新しい収入源が必要です」
(へえ)
俺は黙ってスープを口に運んだ。根菜の甘みが舌に広がる。
ガルドの言い分は正しい。領地の赤字は年々膨らんでいる。だが、正しいことと、できることは別だ。
「貴族が商売か。品がないな」
長男が鼻で笑った。
「品より金だ、兄上。戦費がかさむ今、悠長なことは言っていられない」
ガルドは食い下がる。虚栄心が強い男だが、危機感はあるらしい。
父は少し考えてから言った。
「……好きにしろ。ただし、家の名は使うな」
ガルドの目が光った。
俺は静かにパンをちぎる。
◇
三日後。ガルドが俺の部屋を訪ねてきた。
「レイン、お前は書庫で商売の本を読んでいるだろう」
「ええ、多少は」
「どこに投資すべきか、意見を聞きたい」
五男に意見を求める。ガルドにとっては、それほど追い詰められているということだ。継承権争いで長男派についたが、旗色が悪い。独自の功績が欲しいのだろう。
(来た)
俺は表情を変えなかった。
「兄上は、どんな商売をお考えで?」
「南方の香辛料だ。戦争で流通が減っている。今仕入れれば大きく儲かる」
悪くない着眼点だ。だが、甘い。
俺のデータベースには、南方の交易路に関する情報がある。
東回りは敵国の海上封鎖で完全に潰れている。西回りは山賊が出る。中央路だけは通れるが、誰もが殺到した結果、関税が跳ね上がっていた。
どの道を選んでも、見かけほどの旨味はない。
だが、俺はそれを言わなかった。
「いい目のつけどころですね、兄上」
「そうだろう」
ガルドの口元が緩む。
「ただ、中央路は混んでいます。皆が同じことを考えますから」
「では、どうすればいい」
「西回りです」
ガルドの目が泳いだ。
「西回りは危険だと聞くが」
「だからこそ、です。誰も使わない今、先に契約を押さえれば独占できます。山賊対策に護衛をつければ、十分に通れるかと」
嘘ではない。通れはする。だが護衛の費用、遅延のリスク、荷の損耗。それらを計算に入れれば、利益はほぼ消える。
俺のデータベースが弾き出した数字は明快だった。仕入れ、護衛、輸送、損耗を積み上げると490金貨。売れても400がいいところ。どう転んでも赤字になる。
だが、この試算をガルドに見せるつもりはない。
「なるほど……西回りか」
ガルドは顎に手を当て、考え込んでいる。虚栄心が判断を曇らせていた。「独占」という言葉に飛びついている。
「もちろん、判断は兄上次第です。僕はただの五男ですし」
「ああ。参考になった」
ガルドは上機嫌で部屋を出ていった。
俺は扉が閉まるのを確認してから、小さく息を吐いた。
◇
二ヶ月後。
ガルドの投資は失敗に終わる。
西回りの輸送は予定の三倍の時間がかかり、護衛費は膨れ上がった。届いた香辛料の3割は湿気で駄目になっており、残りも相場が下がった時期に届く始末。
結果、150金貨の損失。
「馬鹿な真似を」
食堂で、父がガルドを叱責した。
「やはり貴族に商売は向いていない。二度とこんなことをするな」
ガルドは唇を噛み、黙っている。
長男が冷ややかに笑い、次男は我関せずの顔。四男が俺にちらりと目を向けた。
俺は何も言わず、スープを口に運ぶ。
(ご愁傷様、兄上)
同情はない。
ガルドの失敗は、父に「商売は貴族のやることではない」という印象を植えつけた。これで、俺が商人として独立を申し出ても、「まあ五男だし」で済む。
誰も競合しない。商売の道は、俺だけのものになった。
部屋に戻り、計画テーブルを更新する。
知識の蓄積は済んでいる。情報も十分だ。そこに「競合排除」の三文字を書き加えた。残るは資金と、独立そのもの。
窓の外は、もう冬の気配だった。
あと半年。
「悪いな、兄貴」
口にしたが、反省はしていない。
情報を持っている者が勝つ。持っていない者は、持っている者に利用される。
それが、俺がこの十年で学んだ真実だ。




