俺はまだ商人だ、と言い聞かせる
三日間、セレナと俺は事務所にこもった。
バルクハルトへの返答を練る。
「駒にはならない。だが、繋がりは提供する。その線引きをどう言葉にするかよ」
セレナが紙の上に条件を並べていく。
俺はデータベースに意識を向けた。
スキーマ設計で全体を俯瞰する。
目を閉じると、12のテーブルが暗闇の中に浮かび上がる。顧客、仕入先、品目、取引、人物、関係。それぞれが光の箱のように存在し、主キーと外部キーの線が箱と箱を繋いでいる。正規化された構造が、星座のように整然と広がっていた。
この図の中に、答えがある。
自分自身を中心にした関係の全体像を浮かべた。取引先が14。情報提供が3。仲介が1。
俺とバルクハルトの関係を「仲介」に定義すれば、俺は仲介者になる。だが「取引」に定義すれば——商人のままだ。
「セレナ。条件はこうだ」
「聞くわ」
「一つ。俺は商人として関わる。仲介者ではなく、情報の売買として扱う」
「情報を売る、という形式にするのね」
「二つ。対価は金ではなく、東方への物資供給の優先権。商売の一環として辻褄が合う」
「三つ目は」
「俺の名前は表に出さない。バルクハルトと俺の間に、もう一つ窓口を噛ませる」
セレナが目を細めた。
「窓口って、誰」
「お前だ」
◇
三日目の午後。カッセル茶館。
今度はセレナも同席した。
「レイン殿。お返事を」
「お受けします。ただし、条件があります」
バルクハルトの灰色の目が、俺を見た。
「私は商人です。これは政治ではなく取引です。私が提供するのは、人と人の繋がりに関する情報。対価は、東方への物資供給における優先取引権」
「商取引に見せかける、ということですか」
「見せかけるのではなく、実際に商取引にするのです。私が政治的仲介者であってはなりません。あなたにとっても、です」
バルクハルトは数秒、黙って考えている。
「なるほど。商人が商売をしている。それだけの構図か」
「はい。そして、今後の窓口は彼女が務めます。セレナ・ラングフォード。私の商会の共同経営者です」
セレナが軽く頭を下げた。
「セレナ・ラングフォードです。以後、よろしくお願いいたします」
「ラングフォード……侯爵家の」
「元、ですわ」
セレナの声には、一切の感傷がなかった。
バルクハルトはセレナを見て、それからもう一度、俺を見た。
「没落侯爵家の令嬢と、伯爵家の五男。面白い商会ですね」
「お褒めにあずかります」
バルクハルトが立ち上がる。
「条件を受けましょう。東方への物資供給は、議会承認後に正式に。窓口はセレナ殿に」
「ありがとうございます」
「レイン殿。最後に一つ」
「はい」
「あなたは、商人ですか」
ノルトと同じ問い。だが、重みが違う。
「商人です」
バルクハルトは小さく笑い、部屋を出ていった。
◇
事務所に戻る道すがら、セレナが口を開く。
「上手くいったわね」
「ああ」
「鑑定したわ、あの人」
「どうだった」
「言葉に重みがある。嘘はついていない」
セレナが少し歩調を落とした。
「ただ、重みがあるのは言葉だけ。あの人自身に温度がないの。冷たいのよ、芯が」
使える相手だが、情で動く人間ではない。対等にやるなら、常にこちらも冷えていなければならない。
「窓口を私にしたのは、あなたを隠すため?」
「それもある。だが、お前の方がバルクハルトとは噛み合う。元侯爵家の令嬢なら、貴族社会の作法も言葉遣いも分かる」
「褒めてるの?」
「適材適所だ」
セレナが鼻を鳴らした。
事務所に着いた。エドとリッツは帰った後だった。
蝋燭を灯す。炎が揺れて、机の上の帳簿に暖かい影を落とした。蝋の甘い匂いが広がる。
俺は椅子に座り、データベースに意識を向けた。
12のテーブル。5万3,000のレコード。78の関係定義。
半年前、この街に来たとき、データベースにあったのは薬草のテーブルが一つだけだった。十年かけて溜めた情報と、SELECTすら使えない原始的な構造。
今は違う。
テーブルがある。レコードがある。主キーで一意に識別し、外部キーで関係を辿り、GROUP BYで全体を俯瞰し、正規化で構造を整えた。
一つずつ、積み上げてきた。
「セレナ」
「何」
「俺たち、どこまで行けると思う」
セレナが窓辺に寄りかかった。
「さあ。でも、半年前に南門の宿で握手したとき、王太子の側近と取引することになるとは思わなかったわ」
「俺もだ」
「あなたのデータベースには、未来のテーブルもあるの?」
「ない。データベースに入るのは、起きた事実だけだ」
「じゃあ、未来は自分で作るしかないわね」
セレナが振り返った。青い目が、蝋燭の光を映している。
五ヶ月前に交わした契約は利用関係だった。
今日交わした沈黙は、それとは違う。
「レイン。明日の朝、ノルト殿に手紙を出すわ。東方の件、動かしましょう」
「ああ。頼む」
セレナが出ていった。
一人になった事務所で、俺は帳簿を開いた。
最初のページ。独立初日の仕入れ記録。銀貨30枚分の薬草。
あの日、俺はただの薬草商だった。
今、俺は——
帳簿を閉じた。
「商人だ」
誰もいない事務所で、俺はそう言った。
まだ商人だ。
だが、この先に何があるかは分からない。
データベースにはまだ知らない機能がある。正規化の先に、何が待っているのか。
窓の外が白み始めていた。
新しい一日が始まる。
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