王太子側近から届いた書状
ノルトから二通目の手紙が届いた。
「グレイス子爵家との会談が実現しました。家令ハルト殿を通じ、バルクハルト様との接触にも成功。東方への予算は、次の議会で審議される見通しです」
上手くいった。
俺は関係テーブルに結果を記録した。仲介の経路、結果、所要期間。全て正規化されたテーブルに格納する。
種を蒔いて、芽が出た。あとはノルトとハルトが育てればいい。
そう思っていた。
◇
三日後。見覚えのない封蝋の手紙が届いた。
紋章は——王家の百合。
俺の手が止まった。
封を切る。
「レイン・バルトス殿。一度お目にかかりたく存じます。明後日の午後、王都のカッセル茶館にて。——バルクハルト」
王太子の側近からの、直接の書状。
俺に宛てて。
名前を出すなと言ったはずだ。ノルトには伝えた。だが——
データベースに意識を向けた。情報がどう流れたか、関係を遡って辿る。
正規化されたテーブルが、伝播の経路を正確に浮かび上がらせた。
俺がハルトに東方の話を振った。ハルトがバルクハルトに伝えた。バルクハルトがノルトと会った。ノルトは俺の名前を出さなかっただろう。約束した。
だが、ハルトは違う。
ハルトに「バルクハルト様をご存知でしたね」と聞いたのは俺だ。ハルトは子爵家の家令として、バルクハルトに経緯を報告する義務がある。
「誰がこの繋がりを知っていたのか」
バルクハルトがそう問えば、答えは一つしかない。
正規化の代償だ。関係が整理されているということは、辿れるということ。俺がテーブルを辿って三段階の経路を見つけたように、向こうもまた経路を辿って俺に行き着いた。
◇
セレナに手紙を見せた。
「王太子の側近が、あなたを名指し」
セレナの顔が一瞬、強張った。だがすぐに表情を戻す。
「断れる?」
「断る方が危険だ。無視は敵意と取られる」
「行くのね」
「ああ。ただし、商人として行く。それ以上の立場は見せない」
セレナが腕を組んだ。
「一つ聞いていい。ハルトが漏らしたの?」
「漏らしたんじゃない。聞かれたんだ。正規化された関係は、辿ろうと思えば辿れる。俺が三段階で経路を見つけたように、バルクハルトも同じことをした」
「つまり、あなたの武器は相手にも使える」
沈黙が落ちた。
「セレナ。今回は俺の読みが甘かった」
「甘かったわね。でも、取り返しがつかないわけじゃない」
セレナの目が鋭くなった。
「バルクハルトが敵か味方かは、会えば分かる。問題は、会った後にどう振る舞うかよ」
◇
明後日。カッセル茶館。
個室に通された。上等な茶葉の香りが漂い、磨かれた木のテーブルが窓の光を柔らかく反射している。
バルクハルトは三十代半ば。短い金髪に、冷たい灰色の目。軍人のような姿勢の良さ。
「レイン殿。お忙しいところ、ありがとうございます」
丁寧だが、品定めの目。
「こちらこそ。お呼びいただき恐縮です」
「単刀直入に聞きます。東方辺境伯の予算問題を、グレイス子爵家経由で解決しようとした。その経路を設計したのは、あなたですね」
否定しても無駄だ。
「経路を示しただけです。動いたのはノルト殿とハルト殿です」
「経路を示す方が難しい。私の情報官でも、ハルトと私の士官学校の縁までは把握していなかった」
バルクハルトが茶を一口飲んだ。
「あなたは何者ですか。レイン殿」
「アルク商会の商人です」
「商人が、なぜ政治的な関係図を持っている」
「商売に必要だからです。誰が誰と繋がっているかを知ることは、何をどこに売るかを知ることと同じです」
バルクハルトは数秒、俺を見つめた。
「面白い。では、商人として聞きます」
声が落ちた。
「王太子殿下は、東方辺境伯の予算を通すつもりです。ただし、条件がある」
「条件」
「東方辺境伯が王弟派から中立に移ること。殿下はそのための仲介者を探している」
政治工作の依頼だ。
商人の領域ではない。完全に、フィクサーの仕事だ。
「私にそれを話す理由は何ですか」
「あなたが東方辺境伯の代理人ノルトと繋がり、かつ私とも繋がっている。両方の窓口になれる人間は、今のところあなたしかいない」
正規化されたデータベースの、結節点。
俺がそこにいる。
「考えさせてください」
「三日で返答を。それ以上は待てません」
バルクハルトが立ち上がる。
「レイン殿。一つだけ」
「はい」
「この話を受けても断っても、あなたの名前は私の記憶に残ります。王太子派の側近の記憶に」
それは脅しではない。
事実の提示だ。
◇
事務所に戻る。
セレナが待っていた。
「どうだった」
「王太子が東方辺境伯を中立派に引き込みたいらしい。その仲介を、俺に」
セレナの目が見開かれる。
「それ、受けたの」
「まだだ。三日ある」
「三日しかない、でしょう」
セレナが椅子に腰を落とした。
「受ければ、あなたは王太子派の駒になる。断れば、知りすぎた商人として警戒される」
「ああ」
「どちらにしても、もう普通の商人には戻れないわね」
俺はデータベースに意識を向けた。
12のテーブル。5万を超えるレコード。78の関係定義。
全てが正規化され、整然と繋がっている。
その中心に、俺がいる。
「セレナ。俺は商人だ」
「ええ」
「商人として、最善の取引をする」
セレナが微笑んだ。
「分かったわ。三日間で、最善の条件を詰めましょう」
窓の外が暗くなっていた。
アルク商会は、もう小さな薬草商ではない。
そして俺は——もう、ただの商人でもない。




