名前を出さずに橋を架ける
ノルトから手紙が届いた。
いつもの物資発注ではない。文面が違う。
「至急、ご相談したい件がございます。本日夕刻、お時間をいただけますか」
相談。発注ではなく、相談。
俺はセレナに手紙を見せた。
「物資の話じゃないわね」
「ああ。何だろうな」
「行けば分かるわ。ただ、一つ言っておく」
セレナが真剣な目をした。
「軍の人間が商人に『相談』を持ちかけるのは、二つの場合だけよ。金か、情報か」
◇
夕刻。事務所にノルトが来た。
窓から差し込む西日が、事務所の木の床を赤く染めている。椅子に座るなり、ノルトは声を落とした。
「レイン殿。これは辺境伯の公務ではなく、私個人の相談です」
「承ります」
「南方の戦線が拡大して、東方の補給に影響が出ています。辺境伯は国に増援を要請しましたが、返答がない」
「予算の問題ですか」
「いえ。王都の貴族間の問題です」
ノルトが苦い顔をした。
「東方辺境伯は王弟派です。現在、王都では王太子派との主導権争いが起きている。王弟派への増援予算は、王太子派の貴族が議会で止めている」
政治の話だ。商人が踏み込むには危険な領域。
だが、ノルトが俺に相談するということは——
「予算を通すために、王太子派の貴族を説得したい。しかし、軍人の私には貴族社会の人脈がない」
「それで、俺に」
「あなたの顧客には、王太子派の貴族がいるはずだ」
俺はデータベースに意識を沈めた。顧客の情報と、その背後にある派閥の関係を繋いで検索する。王太子派の貴族だけを浮かび上がらせた。
正規化されたデータベースが、一瞬で答えを返す。
二家。グレイス子爵家は姻戚経由で王太子派に連なり、フェルト男爵家は直接の繋がりを持つ。
さらに関係を辿る。グレイス子爵家の政治的影響力を引き出した。
グレイス子爵家は王太子派の中では中堅。発言力はあるが、議会の票を動かすほどではない。
フェルト男爵家はハイゼン男爵家の姻戚で、ハイゼン家は中立。直接の政治力は弱い。
だが——
もう一段辿る。
グレイス子爵家の家令ハルトは、王太子の側近の一人と士官学校の同窓だ。これはセレナが拾ってきた情報で、何気なく関係テーブルに入れていた。
三段階の関係。グレイス子爵家→家令ハルト→王太子側近。
この経路なら、東方辺境伯の窮状を王太子の耳に入れられる可能性がある。
「ノルト殿。直接的な解決は難しいですが、間接的な経路なら心当たりがあります」
「聞かせてください」
「グレイス子爵家の家令が、王太子の側近と旧知です。家令を通じて、東方の状況を側近に伝えることはできるかもしれません」
ノルトの目が鋭くなった。
「そんな繋がりを、どうやって」
「商売をしていると、色々な話が入ってきます」
ノルトは数秒、俺を見つめている。
「レイン殿。あなたは商人ですか」
「商人です」
「商人が、軍の補給問題に政治的な解決策を提示するのですか」
「お客様のお困りごとを解決するのが、商人の仕事です」
ノルトが小さく笑った。初めて見る表情だ。
「分かりました。グレイス子爵家への橋渡しをお願いできますか」
「ただし、条件があります」
「条件」
「俺の名前は出さないでください。グレイス子爵家には、ノルト殿が直接話を持ちかける形にする。俺はきっかけを作るだけです」
「何故です。手柄になるでしょう」
「商人が政治に首を突っ込んでいると知れたら、他の顧客が警戒します。俺は黒子でいい」
本音だ。表に出たくない。
ノルトが頷いた。
「承知しました。恩は忘れません」
◇
翌日。俺はグレイス子爵家の家令ハルトを訪ねた。
納品の確認を口実に、世間話をした。
「ハルト殿。最近、東方の砦の補給が滞っていると聞きました」
「ええ。議会で予算が止まっているようですね。前線の兵が気の毒です」
「ハルト殿は確か、王太子の側近のバルクハルト様とお知り合いでしたね」
ハルトの手が止まった。
「……よくご存知ですね」
「東方の状況を、バルクハルト様のお耳に入れていただくことは可能でしょうか。党派の争いで前線が干上がるのは、王国のためにならないと思うのですが」
ハルトは慎重な目で俺を見た。
「それは子爵家の政治判断に関わることです。私の一存では」
「もちろんです。ただ、東方辺境伯の代理人が、子爵家に直接ご相談に来る可能性があります。その際に、子爵家の方でもお話を聞いていただければ」
「……考えておきましょう」
これ以上は踏み込まない。種は蒔いた。
◇
事務所に戻ると、セレナが待っていた。
「どうだった」
「種は蒔いた。あとはノルトとハルトが動くかどうかだ」
「あなたは何も得ていないわね。金も、契約も」
「今はいい。情報と信頼は、すぐには換金できない」
セレナが椅子に座った。
「ねえ、レイン。あなた、いつからこういうことを始めるつもりだったの」
「こういうこと?」
「人と人を繋ぐこと。商品じゃなくて、関係を売ること」
考えたことがなかった。いつから、だろう。
「外部キーが解放されたときかもしれない。テーブルとテーブルを繋いだとき、見えたんだ。商品よりも、関係の方が価値がある場面があると」
セレナは黙って聞いていた。
「データベースに入っているのは、薬草の在庫だけじゃない。誰が誰と繋がっていて、何を求めていて、何に困っているか。全部入ってる」
「それを使って、人と人を繋ぐ」
「ああ。商品を右から左に流すのが商人なら、関係を右から左に繋ぐのは——」
セレナが少し間を置いた。
「フィクサー、って言葉を知ってる? 没落する前、父がよく使っていたわ。表に出ず、裏で人と人を繋いで動かす者のこと」
知らない言葉だった。
「あなたがやっていることは、それよ」
俺は答えない。
だが、否定もしなかった。




