王都と南方、棲み分けの条件
ガストが事務所に来た。
アポイントなし。セレナとエドは外出中。俺一人だ。
「久しぶりだな、小僧」
ガストの顔は、前に会った時より痩せていた。目の下に隈がある。
「ガスト殿。何かご用ですか」
「用がなきゃ来ちゃいかんか。同業者の挨拶だよ」
嘘だ。この男が挨拶だけで来るはずがない。
ガストは招かれてもいないのに椅子に座り、事務所を見回した。安い葉巻の匂いが漂ってくる。
「いい場所に構えたな。南区の一等地。家賃は月に20か30か」
「二十です」
「金級の商会が月20の事務所ね。慎ましいことだ」
ガストの目が机の上の書類に向いた。報告書の控えが見える位置にある。
俺はさりげなく書類を裏返した。
「で、本題は」
ガストの目が据わった。
「衛兵隊の全量契約。取ったそうだな」
「ええ。試用期間の評価で」
「評価ね。三ヶ月で十年の実績を超えたと」
「品質管理の差です」
ガストの指が、椅子の肘掛けを叩いた。
「品質、品質と。お前はそればかり言う。だがな、品質だけじゃ商売は回らんぞ」
「おっしゃる通りです。だから報告書も出しています」
「報告書?」
ガストの目が動いた。知らなかったのか。
「月次の納品実績、品目別の数量と品質評価。衛兵隊に毎月提出しています」
「……ヴォルフがそんなものを求めたのか」
「求められたので応えました」
ガストの顔が赤くなった。衛兵隊との十年間、報告書を求められたことはなかったのだろう。つまり、ガストの納品にはそれだけの管理がなかった。
だが、ガストは怒りを飲み込んだ。
「いいだろう。衛兵隊は譲る。だが、南方の軍需はうちが押さえている。お前が手を出せる領域じゃない」
「南方には興味がありません」
「嘘をつくな」
ガストが身を乗り出した。
「お前が仕入れを積み増したのは知ってる。値上がりの前にな。誰かから情報を得ただろう」
「市場の動きを見ていただけです」
「市場の動きだけで、戦線拡大を読めるわけがない」
鋭い。ガストは馬鹿ではない。二十年の経験は伊達ではない。
「仮に読めたとして。南方には手を出すつもりはない。うちの供給力では前線の量を賄えません」
これは事実だ。南方の軍需は月に数千金貨の規模。アルク商会の規模では足りない。
ガストは俺を見つめていた。嘘か本当か、測ろうとしている。
「……小僧。取引をしよう」
「取引?」
「お前は王都を取れ。俺は南方を取る。互いの領域を侵さない。棲み分けだ」
俺はデータベースに意識を向けた。
ドルク商会の売上構成を推測する。断片的な情報をまとめると、南方が6割、王都が4割といったところか。南方に注力すればするほど、王都の余力がなくなる。
つまりガストは、王都を守る余裕がない。だから棲み分けを提案してきた。
攻める立場にいるのは、俺の方だ。
だが。
「いいでしょう」
「……受けるのか」
「条件があります」
ガストの目が細くなった。
「王都の市場で、うちの仕入先に圧力をかけないこと。赤傷草の仕入れ値を吊り上げるのも含めてです」
ガストの顔が固まった。仕入れ値の操作を知っていたことに驚いたのだろう。
「何故それを——」
「品目別の利益率を追えば分かります。赤傷草だけ仕入れコストが不自然に高い。市場価格と乖離している」
数字で殴る。ガストが一番嫌がる戦い方だ。
「……いいだろう。仕入先への圧力はやめる。その代わり、南方向けの取引に手を出すな」
「約束します」
握手はしなかった。互いに、信用していない。
だが、利害は一致している。今のところは。
ガストが立ち上がった。
「お前の情報力、どこから来ている」
「商人の基本です。帳簿を読むだけですよ」
ガストは鼻を鳴らして出ていった。
◇
セレナが戻ってきたのは夕方だった。
「ガストが来た? 何を」
「棲み分けの提案だ。王都はうち、南方はドルク。互いの領域を侵さない」
セレナが椅子に腰を下ろした。
「受けたの」
「受けた。仕入先への圧力停止が条件だ」
「悪くないわね。でも、ガストが約束を守るとは限らないわよ」
「守らなくていい。時間を稼げればそれでいい」
セレナが首を傾げた。
「赤傷草の仕入れ値が下がれば、利益率が改善される。その間に高利益率品目を伸ばす。半年後には、赤傷草への依存度を3割以下にできる」
俺は分析結果を見せた。赤傷草の依存度を現在の39%から28%へ。月光花の比率を18から25に引き上げる。高利益品目の比率は22から35へ。全体の平均利益率を24から30に持っていく。
「半年後にはドルク商会が約束を破っても、影響を吸収できる構造にする」
セレナは数字を見つめていた。
「あなた、最近変わったわね」
「何がだ」
「前は、目の前の取引を一つ一つ勝ち取っていた。今は、半年先の数字を見ている」
「取引の量が増えたからな。一つ一つ追っていたら間に合わない」
「そうじゃなくて」
セレナが俺を見た。
「視座が変わったのよ。商人から、経営者に」
経営者、か。
「俺はまだ商人だ」
「そう。でも、もうすぐ違うものになるわ」
セレナは何かを見通すような目をしていた。
俺には分からない。だが、セレナの勘は大体当たる。
「明日、北門詰所に営業をかける。ヴォルフの紹介だ。セレナ、来れるか」
「もちろん」
セレナが立ち上がりかけて、足を止めた。
「ねえ。商会をもう一段大きくするなら、人を入れないと本当に無理よ」
「分かってる」
「経理ができて、数字が読めて、信頼できる人間。心当たりはないけど、探さないと」
三人の限界。それは数字が教えてくれている。
取引件数は増え続ける。分析はできるようになった。だが、実行する手が足りない。
次の壁は、人だ。




