彼女のスキルは【鑑定】だった
北門詰所との契約は、拍子抜けするほど簡単に決まった。
ヴォルフの名前を出した瞬間、詰所の隊長は頷いた。
「ヴォルフが認めた商会なら問題ない。月30金貨分、頼む」
営業というより、紹介の連鎖だ。信用が信用を生んでいる。
事務所に戻り、資産テーブルを更新した。
手持ちの資金は金貨720。月間売上は金貨1,140で、うち軍関係が830、貴族が310。人材はエドとセレナ。顧客は貴族四家、冒険者、衛兵隊の全量、東方辺境伯、南門警備隊、北門詰所、傭兵団「鉄槌」。仕入先は独立系が四つ。ギルド等級は金級。関係定義数は78。月間取引件数は150を超えている。
独立から五ヶ月。月の売上が1,100を超えた。
数字だけ見れば、順調を通り越して異常だ。
◇
その夜。セレナがいつもより遅くまで事務所に残っていた。
エドは配達の疲れで宿に引き上げている。二人きりだ。窓の外から、遠くの酒場の喧噪がかすかに聞こえる。机の上では蝋燭が揺れ、溶けた蝋の甘い匂いが漂っている。
セレナが帳簿を閉じた。
「レイン」
「何だ」
「話があるの」
その声には、普段の軽さがなかった。
「あなたのスキルのこと」
俺の手が止まった。
「約束したわよね。『次に何かあったら話す』って」
約束した。外部キーが解放されたあの日。セレナに三回目の追及をされて、俺は約束した。
「何かあったでしょう。ガストに利益率の異常を突きつけたとき。120件の集計を一晩でやったとき。仕入先の関係調査を三日で終わらせたとき」
全部、覚えている。セレナは一つも見逃していない。
「私はあなたのパートナーよ。利益の35%を受け取って、あなたの商売を支えている。でも、商売の核心を知らされていない」
セレナの声は静かだった。怒っているのではない。
「信用されていないのかと思っていたわ。最初はそれでもよかった。利用関係だったから」
「今は」
「今は違う」
セレナが真っ直ぐ俺を見た。青い目が、蝋燭の光を映している。
「あなたが何を隠しているのか。知った上で、一緒にやりたいの。知らないままだと、いつか致命的な判断を間違える」
正しい。
セレナが俺のスキルを知らなければ、俺の行動の理由が分からない。理由が分からなければ、補佐のしようがない。
それに——もう一つ。
俺のデータベースに蓄積された関係は78。その大半は、セレナが教えてくれた情報だ。
セレナがいなければ、外部キーは空の機能だった。
パートナーに秘密を抱えたまま、これ以上先には進めない。
「分かった。話す」
セレナの目が見開かれた。予想していなかったのかもしれない。
「俺のスキルは、収納じゃない」
「……知ってるわ。収納だけでは説明がつかないことが多すぎる」
「正確に言う。俺のスキルは【データベース】だ」
沈黙。
「データベース……? 聞いたことがないわ」
「誰も知らない。スキル発現式では【収納】と判定された。だが、中身は違う」
俺は説明した。
「まず、頭の中にテーブルという入れ物がある。そこにレコード——記録を格納できる。アイテムだけじゃない、情報もだ。それぞれに主キーという固有の番号が振られる。だから混ざらない」
セレナは黙って聞いている。
「条件を指定すれば、何千件の中からでも一瞬で欲しい情報を引き出せる。テーブル同士の関係を定義すれば、仕入先と顧客の繋がりも見える。さらに、データをまとめて集計する力もある。百件だろうが千件だろうが、一瞬だ」
セレナは一言も口を挟まなかった。
説明が終わると、長い沈黙が落ちた。
「……だから、品質管理証明書が一晩で作れたのね」
「ああ」
「仕入先の関係調査が三日で終わったのも」
「データベースに関係を定義したら、一瞬で検索できた」
「120件の集計も」
「GROUP BYで、一瞬だ」
セレナが額に手を当てた。
「呆れた。いえ、呆れたのは自分にだわ。収納スキルのはずがないって、ずっと思ってたのに。まさか、こんな……」
「怒っているか」
「怒ってない。ただ、整理している」
セレナは目を閉じて、十秒ほど黙った。
目を開けたとき、表情が変わっていた。商人の顔だ。
「このスキルのことは、私たち以外には」
「誰にも話していない。エドにも」
「そのままにしましょう。知られたら、利用価値が消える。あるいは、もっと悪いことが起きる」
「分かってる」
セレナが少し間を置いた。机を指で叩いている。
「公平にしましょう。あなたが見せたなら、私も」
「何を」
「私のスキルは【鑑定】よ。物に触れれば品質と真贋が分かる。人に対しては——言葉の重みを、漠然と感じ取れる程度だけど」
品質の見極めと、人物の重み。地味に聞こえる。だが、商売において地味な精度こそが生死を分ける。
セレナがこの五ヶ月、値崩れした薬草の山から良品を抜き、取引相手の話を一度で見切ってきた理由が繋がった。
「お互い様ね。隠していたのは」
「ああ。お互い様だ」
「それと」
セレナが身を乗り出した。
「もう一つ聞きたいことがある。このスキル、まだ成長するの」
鋭い。
「……たぶん」
「たぶん、じゃなくて」
「する。これまでも段階的に新しい機能が解放されてきた。次に何が来るかは分からない」
セレナが息をついた。
「なら、組織を大きくする必要があるわ。あなた一人で処理できる量には限界がある。スキルが強くなっても、実行するのは人間よ」
「人を雇うか」
「雇う。でも、その前にやることがある」
セレナが机を指で叩いた。
「今の商会の仕組みが、あなたの頭の中にしかないの。仕入れのルール、品質管理の基準、顧客ごとの対応方針。全部、あなたが判断している。人を入れたら、その人にも分かるように整理しないと」
「仕組みの整理か」
「そう。商会を回す仕組みを、誰が見ても分かる形に」
重複をなくし、構造を整理し、誰がどこを担当しても同じ結果が出る仕組み。
それをどう呼ぶのか、まだ分からない。だが、必要なものの輪郭は見えている。
「できるわね? あなたのスキルなら」
セレナの目が、初めて「共犯者」の目になった。
秘密を共有した。もう後戻りはできない。
だが、不思議と軽くなった。
「ああ。できる」
「じゃあ、始めましょう。アルク商会の第二章よ」
セレナが手を差し出した。
俺はその手を握った。
五ヶ月前、南門の宿で交わした契約とは違う。
あの時は利用関係だった。
今は——たぶん、もう少しだけ、それ以上の何かだ。




