薬草価格が上がる前に動け
翌朝、窓から差し込む陽光の中、淹れたての茶の湯気が漂う事務所で打ち合わせを始めた。セレナは俺の推測を聞いて黙り込んだ。
「南方の戦線が動く、か。根拠は」
「三つある。南方の砦の補給頻度が増えている。ドルク商会が南方の行商人を囲い込んでいる。そして、独立の行商人まで薬草を買い集めている」
「一つ一つは弱いわね。でも三つ揃うと——」
「偶然にしては出来すぎている」
セレナが指で机を叩いた。考えるときの癖だ。
「仮にそうだとして、私たちに何ができるの。南方に供給網はないわ」
「供給網はいらない。情報があれば十分だ」
「どういうこと」
「この推測が正しければ、南方の薬草需要は急増する。ドルク商会は既に囲い込みを始めている。つまり、王都の在庫が減る。王都で薬草を扱う商人は、仕入れが苦しくなる」
セレナの目が光った。
「先に仕入れを積み増す」
「そうだ。ドルク商会が南方に物資を流す前に、北と東の仕入先から在庫を確保する。値が上がる前に」
「でも、推測が外れたら在庫を抱えるわよ」
「薬草の需要は戦争が続く限り落ちない。最悪でも損はしない」
セレナが頷いた。
「分かったわ。マルコ商店とケルン農場に増産を頼む。ランゲ村にも。いつまでに」
「二週間。それ以上は値が動き始める」
「やりましょう」
◇
セレナとエドが仕入先を回っている間、俺は別のことを考えていた。
南方の戦線拡大。この情報には、もう一つの使い道がある。
ノルトだ。
東方辺境伯の代理人。軍の物資調達を担当している。彼にとって、南方の動きは無関係ではない。
南方に兵力が割かれれば、東方の増援が遅れる可能性がある。物資の配分も変わる。
この情報を、ノルトに伝えるべきか。
(伝えれば、恩を売れる)
情報は、ただ持っているだけでは意味がない。適切な相手に、適切なタイミングで渡すことで価値が生まれる。
だが、リスクもある。
推測が外れれば信用を失う。軍事に関わる情報を民間の商人が口にすること自体、警戒される可能性もある。
俺はデータベースを開いた。
ノルトに関する全ての関係を引き出す。
ヴォルフとは士官学校の同期。東方辺境伯とは主従関係で、代理人を務めている。アルク商会とは医療物資の取引。そして——南方第二砦に元所属。五年前に東方へ転属している。
最後の一つ。
南方第二砦。ノルトは元々南方にいた。
これはセレナの調査で出てきた情報だ。何気なくデータベースに入れていたが、今になって意味を持つ。
ノルトは南方の事情を知っている。だからこそ、俺の推測に耳を貸す可能性が高い。
そして、元所属の砦に知人がいるなら、情報の裏取りもできるだろう。
(よし)
俺はノルトに手紙を書いた。
「南方の物資動向について、お伝えしたい件がございます」
商人が軍人に情報を提供する。不自然ではない。商人は市場を通じて、軍よりも早く物資の流れを掴むことがある。
問題は、どこまで話すかだ。
全てを話す必要はない。推測の根拠を示し、判断はノルトに委ねる。
それが、情報を扱う者の作法だろう。
◇
三日後。ノルトが事務所に来た。
俺は市場で起きていることだけを伝えた。南方での薬草買い集め。ドルク商会の動き。補給頻度の変化。
推測は口にしなかった。事実だけを並べた。
ノルトは聞き終えると、しばらく沈黙した。
「……レイン殿。あなたはこの情報を、他の誰かに話しましたか」
「いいえ。ノルト殿が最初です」
「理由を聞いても」
「辺境伯は前線を預かっておられます。南方の動きは、東方の補給計画にも影響する。お知らせする価値があると判断しました」
ノルトの目が俺を見据えた。
「商人が、軍の補給計画を気にするのですか」
「取引先の事情を把握するのは、商人の基本です」
嘘ではないが、全てでもない。
ノルトは立ち上がった。
「確認を取ります。もしこの情報が正しければ——」
言葉を切り、俺を見た。
「あなたには改めて、お礼を申し上げることになるでしょう」
ノルトが去った後、俺は椅子に深く座った。
情報を売ったわけではない。金は一銭も受け取っていない。
だが、信頼を一つ積んだ。
軍の内部情報に近い人間との信頼。これは金では買えない。
◇
一週間後。
南方の第三砦が増強されたという報せが王都に届いた。
隣国が南方国境に兵を集めている。戦線の拡大。俺の推測は当たった。
王都の薬草市場は騒然となった。南方向けの需要が急増し、価格が3割上がった。
だが、アルク商会は既に在庫を積み増していた。
「信じられない。値上がりの前に動いてたのね」
セレナが帳簿を見ながら言った。
「運が良かっただけだ」
「嘘おっしゃい。二回目」
セレナは笑っていたが、目は笑っていなかった。
俺に秘密があることを、確信している目だ。
その日の夜。ノルトから手紙が届いた。
短い文面だった。
「情報、感謝します。今後もお気づきの点があれば、ご連絡ください」
たった二行。だが、この二行の意味は大きい。
軍の物資調達担当者が、民間の商人に「情報をくれ」と言っている。
これは取引関係ではない。情報提供者としての信頼だ。
俺はこの関係をデータベースに追加した。
アルク商会とノルトの間に、新たな線を引く。関係は「情報提供」。
関係定義数、54。
数字は一つしか増えていない。だが、この一本の線は、他の53本とは質が違う。
商売の線ではない。情報の線だ。
エドが茶を持ってきた。
「レイン様、また帳簿ですか。目が潰れますよ、そんな暗い中で」
「ああ」
「いったい何をそんなに睨んでるんです」
「数字だ。仕入れの量、売上の内訳、顧客ごとの注文傾向。全部ばらばらに記録してあるが、まとめて見る方法がない」
個々の取引は追える。関係も辿れる。
だが、「全体として何が起きているか」が見えない。
先月の薬草の総仕入量は。顧客別の売上比率は。品目ごとの利益率は。
一つ一つ数えれば出せる。だが、取引が百を超えた今、一つ一つ数えるのは現実的ではない。
必要なのは、データをまとめる力だ。
個々のレコードではなく、レコードの集合を扱う機能。
(GROUP BY……か)
まだ見ぬ機能の名前が、頭の隅に浮かんだ。
「レイン様?」
「何でもない。茶、もらう」
俺は湯気の立つ杯を受け取り、夜の事務所で帳簿の山を眺めた。
独立から四ヶ月。月の売上は1000金貨に届こうとしている。
商会を持ち、軍と取引し、情報で一手先を読んだ。
だが、まだ足りない。
データは増え続ける。関係も増え続ける。それらを「まとめて見る」力がなければ、いずれ溺れる。
次の壁は、もう見えている。




