月500金貨の契約に潜む罠
東方辺境伯の代理人、ノルトという男が事務所に来た。
三十代後半。軍人上がりらしく背筋が伸びている。寡黙だが、目は鋭い。
「辺境伯は前線に出ておりますので、後方の物資調達は私が任されています」
「お話は衛兵隊のヴォルフ殿から伺っています」
「ヴォルフとは士官学校の同期でして。あの男が品質を認めた商人なら、信用できる」
悪くない入り方だ。ヴォルフの紹介は、軍関係者には何より効く。
「必要な品目は」
「医療物資が中心です。前線に送る分ですので、量は多い。月に金貨500は動きます」
五百。
衛兵隊の全量より多い。取れれば、月の売上は一気に1000を超える。
「ただし」
ノルトが声を落とした。
「辺境伯は品質だけでなく、供給の安定を重視します。仕入れルートの説明をいただきたい」
「もちろんです。現在の仕入先は——」
俺は仕入先の情報を説明した。古いインクと羊皮紙の匂いが漂う事務所の中で、マルコ商店を筆頭に、独立系の採取師、セレナが開拓した没落貴族の領地栽培と、順に挙げていく。
ノルトは一つ一つ頷いていたが、ある名前で手が止まった。
「レイン殿。南方の行商人とは、クレフのことですか」
「ええ。月光花の仕入先です」
ノルトの表情が硬くなった。
「クレフは、ドルク商会の下請けです」
空気が変わった。
「……何ですか」
「半年前から、ドルク商会が南方の行商人を囲い込んでいます。クレフもその一人だ。知りませんでしたか」
知らなかった。
俺のデータベースには、クレフの情報がある。名前、扱い品目、取引実績、信頼度。全て記録している。
だが、「クレフとドルク商会の関係」は記録されていなかった。
仕入先テーブルの「クレフ」と、商会テーブルの「ドルク商会」。二つのレコードは、俺のデータベースの中で何の接点も持っていない。
現実には、繋がっていたのに。
「レイン殿。辺境伯の物資は軍事機密に準じます。ドルク商会と繋がりのある仕入先を使っている商会とは、取引できません」
「お待ちください。クレフからの仕入れは全体の1割にも満たない。その分は他の——」
「問題は割合ではありません」
ノルトが遮った。
「情報管理の問題です。仕入先の一つがドルク商会と繋がっている。そこから辺境伯の調達情報が漏れる可能性がある。可能性がある限り、契約はできない」
正論だ。反論の余地がない。
「……承知しました。クレフとの取引を即時停止し、仕入先を再精査します。その上で、改めてお話しさせていただけますか」
ノルトは少し間を置いた。
「一度だけ、機会を差し上げます。二週間後に、再度伺います」
立ち上がり、一礼して去った。
◇
事務所に沈黙が落ちた。
エドが恐る恐る口を開いた。
「あの……レイン様、顔色やばいですよ」
「自覚はある」
月五百金貨の契約を、目の前で逃しかけた。理由は、仕入先の一人がドルク商会と繋がっていたことを知らなかった。ただそれだけだ。
セレナが戻ってきたのは、ノルトが去って一時間後だった。
「聞いたわ。エドから」
「ああ」
「クレフがドルク商会の下請けだったのは、私も知らなかった」
セレナの声に、珍しく悔しさが混じっていた。
「半年前に囲い込まれたなら、私が王都に来る前の話よ。知りようがなかった」
「お前のせいじゃない。俺の管理の問題だ」
セレナが椅子に座った。
「仕入先の背景まで全て把握するのは、現実的じゃないわ。でも——」
「でも、把握できなければ商売にならない」
「ええ」
沈黙。
俺はデータベースに意識を沈めた。
仕入先テーブルを開く。
仕入先の情報が脳裏に並ぶ。マルコ商店は赤傷草を扱い、取引は継続中。西区の採取師は銀苔、こちらも問題ない。クレフは月光花——停止。ランゲ村の青葉草とケルン農場の白粉花は継続。
5件の仕入先。それぞれ独立したレコード。
だが、この中に他にもドルク商会と繋がっている者がいないと、言い切れるか。
言い切れない。
テーブルの中の情報は正しい。名前、品目、品質、取引状態。全て正確だ。
しかし、テーブルの「外」にある関係が見えない。
(俺のデータベースは、孤立した島の集まりだ)
顧客は顧客だけの島。仕入先は仕入先だけの島。人物は人物だけの島。
島と島の間に、航路がない。
だから、クレフとドルク商会の繋がりが見えなかった。ノルトとヴォルフの繋がりは、たまたまノルト本人が口にしたから知れた。ハイゼン家とフェルト家の姻戚関係は、セレナが覚えていたから分かった。
全て、偶然と個人の記憶に頼っている。
「仕組み」がない。
あの感覚が、また来た。
脳の奥で何かが脈打っている。新しい機能が解放される前の、あの予兆。
主キーが解放される直前と同じだ。手が届きそうで届かない、あの感覚。
だが、今回は——まだ足りない。
何が足りないのか、分かっている。
「俺は、まだ関係を一つも定義していない」
「何?」
セレナが聞き返した。
「独り言だ。すまない」
俺は立ち上がった。
「エド、明日から仕入先の全件調査をする。どこから仕入れて、誰と繋がっていて、他にどの商会と取引があるか。全部洗い出す」
「全件って……うわ、まじですか。何件あるんです」
「五件だ。今は少ない。だが今のうちにやる」
セレナが頷いた。
「私も動くわ。貴族側の関係も洗い直す。誰が誰の派閥で、どの家とどの商会が繋がっているか」
三人が動き出した。
二週間後のノルトとの再会議。それが期限だ。
だが、本当の問題はノルトではない。
テーブルを繋ぐ仕組みがなければ、同じ失敗を何度でも繰り返す。
(関係を、定義しろ)
自分に言い聞かせた。




