衛兵隊の全量契約を奪い取れ
王都衛兵隊の調達官は、ヴォルフという名の男だった。
四十代半ば。元は前線の軍医だったらしく、薬草の知識がある。つまり、ごまかしが利かない相手だ。
「来月分の医療物資について、二者から提案を受ける。ドルク商会と、レイン殿だ」
ギルドの会議室に、俺とガストが並んで座っている。会議室の窓から差す朝日が、磨かれた長机の表面を白く光らせていた。
ガストは余裕の表情だ。腕を組み、俺をちらりと見て鼻で笑う。
俺は気にしない。表情は武器ではなく、数字が武器だ。
「では、ドルク商会から」
ガストが立ち上がった。
「衛兵隊との取引は十年になります。うちの供給力は王都一。今回も、月間必要量の全てを安定供給できます」
書類を配る。価格表だ。
俺はちらりと目を落とす。
(安い)
前回の契約より2割下げている。俺を意識した値下げだ。この価格なら、普通は勝てない。
「さらに、今回は特別に1割引きの提案をさせていただきます」
ガストが俺に目を向けた。「勝てるものなら勝ってみろ」という目だ。
「ありがとうございます。では、レイン殿」
俺は立ち上がった。
「価格では、ドルク商会さんにはかないません」
会議室が静まる。ガストの眉が上がった。
「ですので、別のものを提案します」
俺は鞄からサンプルを二つ取り出した。
赤傷草を二束。見た目はほぼ同じだ。
「ヴォルフ殿。この二つの赤傷草、違いが分かりますか」
ヴォルフが手に取る。茎を折り、断面を嗅ぎ、葉を指で擦った。元軍医の手つきだ。
「……こちらの方が成分が濃い。乾燥方法が違うな」
「その通りです。左が効能A評価、右がB評価。見た目は似ていますが、止血の効きに3割の差があります」
ヴォルフの目が鋭くなる。
「三割は大きいな。前線では、その差が命に関わる」
「はい。そして、現在の大口卸では、このAとBが混在して納品されています」
ガストの顔色が変わる。
「おい、何を——」
「事実を申し上げているだけです。品質にグレードがあることは、問屋の方も認めているはずです」
ガストが何か言おうとしたが、ヴォルフが手を上げて制した。
「続けてくれ、レイン殿」
俺は品質管理証明書を取り出した。
「俺の納品では、全ての薬草に管理番号を振っています。産地、加工方法、効能評価。一束ごとに追跡可能です」
証明書をヴォルフに渡す。品名は赤傷草。管理番号AK-047。産地はマルコ商店の北部採取、乾燥法は吊るし干しで十四日間、効能評価A。一枚の紙に、その束の全てが記されている。
「衛兵隊には、効能A評価の品のみを納品します。混在は起こりません」
ヴォルフは証明書に目を通している。
「一束ごとに番号? 手間がかかるだろう」
「かかります。ですが、前線の兵士が使う薬草です。手間を惜しむべきではないと考えます」
沈黙。
ヴォルフは元軍医だ。前線で薬草の品質に泣いた経験があるのだろう。その表情が、わずかに動いた。
「価格は」
「ドルク商会さんの通常価格と同じです。値引きはしません。その分、品質を保証します」
ガストが口を挟んだ。
「ヴォルフ殿、こんな小僧の口約束を信じるんですか。うちは十年の実績がある」
「実績は認めている」
ヴォルフが言った。
「だが、前線から品質のばらつきについて報告が上がっていたのも事実だ」
ガストの顔が強張る。
ヴォルフは俺とガストを交互に見てから、口を開いた。
「提案がある。来月分は折半にしよう。半分をドルク商会、半分をレイン殿に発注する。三ヶ月後に前線の評価を見て、本契約を決める」
折半。全取りではない。だが——
「承知しました」
俺は即答した。
ガストも頷いたが、歯を食いしばっている。半分を新参に取られた。大手のプライドには堪えるだろう。
◇
会議室を出ると、セレナが廊下で待っていた。
「どうだった」
「半分取った」
セレナの目が見開かれる。
「半分? ドルク商会と折半?」
「三ヶ月の試用期間つきだ。その間に前線の評価で上回れば、全量を取れる」
「取れるわね」
セレナの声に迷いはない。
「品質で負けるわけがないもの」
◇
宿に戻り、三人で安い酒を開けた。麦酒の苦い香りが鼻をくすぐる。
エドが杯を掲げる。
「ドルク商会と対等に渡り合うなんて、信じられないっす」
「対等じゃない。まだ半分だ」
「半分でも金貨150ですよ、月に。今までの倍じゃないですか」
数字は正しい。
資産の状況を意識の中で更新する。資金は金貨210。月間売上は衛兵隊を含めて金貨430。在庫は全品に主キーが付き、効能のA、B、Cで分類済み。人材はエドとセレナ。顧客は貴族四家に冒険者、そして衛兵隊が半量。仕入先は独立系三つにセレナが開拓した二つで計五。ギルド等級は銀級。
独立から三ヶ月。月の売上が金貨400を超えた。
セレナが杯を傾けながら言う。
「ねえ、そろそろ宿を出ない? 事務所が必要よ。商会として動くなら」
「商会か」
「あなたの規模なら、もう個人商人では回らないでしょう」
正しい。顧客が増え、仕入れ先が増え、管理が複雑になっている。データベースがあるから回っているが、対外的には組織が必要だ。
「商会の設立に必要なものは」
「金級への昇格、ギルドへの届け出、事務所の確保。それと——」
セレナが杯をテーブルに置く。
「人脈よ。誰が誰と繋がっているか。貴族、商人、軍。関係性が複雑になればなるほど、把握しきれなくなる」
(人脈。関係性の管理か)
データベースに意識を向けた。
顧客テーブル。仕入先テーブル。人物テーブル。それぞれ独立して存在している。だが、現実には繋がっている。
ハイゼン男爵家はグレイス子爵家と姻戚関係にある。マルコ商店の主人は、西区の採取師と旧知の仲だ。ヴォルフは元軍医で、前線の医療班と太い繋がりを持つ。
それらの「関係」は、今のテーブルには記録されていない。
(テーブルとテーブルを繋ぐ仕組みが、要るな)
まだ見ぬ機能の輪郭が、かすかに浮かんだ。
「レイン? また変な顔してるわよ」
「考え事だ」
「商会の名前、考えておいてね」
セレナはそう言って、部屋に引き上げていく。
商会か。
俺は空になった杯を見つめた。
ここまでは、一人の商人の話だった。ここから先は、組織の話になる。
面白い。




